熊本地震で被災した監物櫓復旧工事が行われている。そのため、令和3年6月1日から令和6年3月末までの間、監物台樹木園は休園となり、樹木や草花の愛好家には寂しい3年間となる。
監物櫓は国の重要文化財に指定されている。江戸時代には豊前街道・豊後街道脇に位置し、熊本城北端の守りを固めていた。平成28年熊本地震で外壁が破損し、建物本体が傾いたため、平成31年(2019)3月に建物が解体され、復旧工事まで格納庫で保管されている。
しかし、この監物櫓、下の図のとおり、長岡図書邸にあり、正しくは「長岡図書預櫓(ながおかずしょあずかりやぐら)」という。明治時代に熊本城を管理していた陸軍が隣の長岡監物邸と間違えたまま、それが定着したのだという。
江戸時代には監物櫓の下に新堀御門があり、参勤交代の御行列もここから出入りした。さぞや壮観であったろう。
さて、2年前に櫓が解体されて以来、放置状態が続き、石垣も見えないほど雑草に覆われていたが、やっと石垣の補修工事が始まり、復旧に向けて歩み始めたことは喜ばしい。3年後、監物櫓が再建される日が待ち遠しい。
旧藩時代熊本城全図(一部):熊本市史より
雑草に覆われていた石垣が再び顔を見せた。
2016年4月、熊本地震直後の監物櫓
2015年3月、熊本地震1年前の監物櫓
2015年4月、監物台樹木園の内側から見た監物櫓
▼肥後細川藩の御行列を描いた「肥後の殿様」
監物櫓は国の重要文化財に指定されている。江戸時代には豊前街道・豊後街道脇に位置し、熊本城北端の守りを固めていた。平成28年熊本地震で外壁が破損し、建物本体が傾いたため、平成31年(2019)3月に建物が解体され、復旧工事まで格納庫で保管されている。
しかし、この監物櫓、下の図のとおり、長岡図書邸にあり、正しくは「長岡図書預櫓(ながおかずしょあずかりやぐら)」という。明治時代に熊本城を管理していた陸軍が隣の長岡監物邸と間違えたまま、それが定着したのだという。
江戸時代には監物櫓の下に新堀御門があり、参勤交代の御行列もここから出入りした。さぞや壮観であったろう。
さて、2年前に櫓が解体されて以来、放置状態が続き、石垣も見えないほど雑草に覆われていたが、やっと石垣の補修工事が始まり、復旧に向けて歩み始めたことは喜ばしい。3年後、監物櫓が再建される日が待ち遠しい。
旧藩時代熊本城全図(一部):熊本市史より
雑草に覆われていた石垣が再び顔を見せた。
2016年4月、熊本地震直後の監物櫓
2015年3月、熊本地震1年前の監物櫓
2015年4月、監物台樹木園の内側から見た監物櫓
▼肥後細川藩の御行列を描いた「肥後の殿様」