今日は子飼へガソリンの給油に行ったが、浄行寺交差点のあたりが渋滞していたので、熊大脇から立田山の山裾を抜けて帰ることにした。途中、泰勝寺跡の前を通るのでちょっと立ち寄った。ひとつは昨年秋から干上がっていた池がどうなったか気になっていた。満水とはいかないがかつての池の半分くらい水が戻っていた。入門受付の方に聞くと2月に降り続いた雨によってだいぶ回復したという。マガモも戻ってきているのでさらに今後の雨に期待したい。

泰勝寺山門跡

茶室仰松軒

水がだいぶ回復した池で泳ぐマガモ
わが父はこの泰勝寺境内に隣接するわが家の本籍地で生まれ育った。父が書き遺した備忘録には「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『柳暗花明又一村』の感懐を抱かせたのでは…」と書いている。
僕が幼い頃、初めてこの地に連れて来られた時のことをよく憶えている。ここが俺の生家があったところだと教えてもらった。戦後間もない頃で現在の風景とは全く違っていた。その時の心に残る風景と全く同じような風景を10数年前に見つけた。それは「神戸の空の下で。~近畿の史跡めぐり~」というサイトに掲載されていた1枚の写真だった。実は京都市右京区嵯峨の古刹・往生院祇王寺の写真だった。苔庭から仏殿を望むその風景は僕の心に残る父の生家のイメージにそっくりだった。すぐにサイト管理者にお願いしてその写真をブログに使わせていただいた。
※「柳暗花明又一村」という表現は南宋時代の中国の詩人陸游の「遊山西村」の中の一節で、「柳が生い茂り、明るく花が咲いている村がまた現れた」という旅人の気持を明るくさせる美しい風景を表現しているという。

往生院祇王寺の苔庭から仏殿を望む写真

泰勝寺山門跡

茶室仰松軒

水がだいぶ回復した池で泳ぐマガモ
わが父はこの泰勝寺境内に隣接するわが家の本籍地で生まれ育った。父が書き遺した備忘録には「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『柳暗花明又一村』の感懐を抱かせたのでは…」と書いている。
僕が幼い頃、初めてこの地に連れて来られた時のことをよく憶えている。ここが俺の生家があったところだと教えてもらった。戦後間もない頃で現在の風景とは全く違っていた。その時の心に残る風景と全く同じような風景を10数年前に見つけた。それは「神戸の空の下で。~近畿の史跡めぐり~」というサイトに掲載されていた1枚の写真だった。実は京都市右京区嵯峨の古刹・往生院祇王寺の写真だった。苔庭から仏殿を望むその風景は僕の心に残る父の生家のイメージにそっくりだった。すぐにサイト管理者にお願いしてその写真をブログに使わせていただいた。
※「柳暗花明又一村」という表現は南宋時代の中国の詩人陸游の「遊山西村」の中の一節で、「柳が生い茂り、明るく花が咲いている村がまた現れた」という旅人の気持を明るくさせる美しい風景を表現しているという。

往生院祇王寺の苔庭から仏殿を望む写真