
薩摩藩の参勤ルートは江戸前期には日向細島港から船出する東ルートや川内川河口あたりから船出する西ルートなどの海路もあったようだが、江戸後期にはほとんど陸路を使っていたらしい。薩摩街道を北上すると当然熊本藩を通過することになり、しかも薩摩街道(豊前街道)は熊本城二の丸を通ることになるので、熊本藩士との間で一触即発ということもあり、街道を避けて脇道を使うこともあったようだ。もちろん篤姫のお輿入れの時は熊本藩も最大限の配慮をしたことだろう。熊本城から北へ豊前街道を7㌔弱進んだところに「御馬下の角小屋」という庄屋の屋敷があり、薩摩藩もここを休息所として使っていたが、ここに篤姫のお輿入れのエピソードが残っている。「御馬下の角小屋」で永年番頭を務めた利平の目撃談が、今は資料館となっている屋敷の一角に貼られている。


