今日は所用で旧浜線を通ったので足を伸ばして御船町まで行ってみた。この町は若い頃、営業でよく訪れた懐かしい町。今回の目的は、平安時代末期、源平の屋島の戦いで源氏方の那須与一が射落とした扇を掲げた平家の官女・玉虫御前の故郷をたずねること。随分前から話には聞いていたが、現地を訪れたことは一度もない。
地図で確認はしていたが若い頃に行っていた御船町とはすっかり様子が変わっていて位置関係がよくわからない。何しろ50年以上も前のことだから無理もない。やむなくまず御船郵便局を訪れた。窓口の若い局員が「私も地元じゃないのでわからない」というのですぐにあきらめ、御船警察署へ。窓口の署員が「玉虫寺ですかぁ?」と言って地図を引っ張り出した。地図を見てもよくわからないようで他の署員に声をかけて聞いている。すると外回りから帰ってきた(?)巡査さんがよく知っていて地図で教えてくれた。ただ「道が細いので途中から歩くことになるかもしれませんよ」と言う。3人がかりで対応してくれた署員の皆さんにお礼を言って現地に向かった。現地近くの集落まで行って、はたして車で入れるか確認したかったので誰かいないかなとゆっくり車を走らせていると、70代前後と思しき貫禄のある男性が自宅の庭で煙草をふかしているのが目に入った。すぐに車を停め門の前まで行って声をかけた。するとなんと元区長さんだそうでとにかく詳しい。こちらとしては車で入れるかどうかだけ確認できればと思っていたのだが、玉虫姫に関する話が止まらない。予想外の長話となった。とにかく道は狭いが車で入れることがわかり現地へ向かう。
何度も写真で見たことのある風景が見えて来た。近くに車を停めるスペースもあり、じっくり見て回ることができた。玉虫御前が平家の菩提を弔うため建てたという玉虫寺は今はないが、そこに地区の公民館が建っている。周辺にはそこがかつて寺であったことを示す六地蔵や五輪塔、石の祠などが散在しており、裏には小さな御堂もある。
そんな風景を眺めながら、僕がかつて在勤時に度々参拝した栃木県那須の那須温泉神社、那須与一ゆかりの神社のことを思い出し、千数百キロ離れたこの玉虫寺跡と物語が繋がっているという不思議な感動が湧いて来た。
屋島の戦い 扇の的の段
国道445号線を滝尾地区で右折し、御船川を渡る。
橋の名は「たまむしはし」
付近の地図
細い山道を登って行くと玉虫寺の跡「玉虫公民館」が見えてくる。
公民館の周辺には多くの遺物が散在
地図で確認はしていたが若い頃に行っていた御船町とはすっかり様子が変わっていて位置関係がよくわからない。何しろ50年以上も前のことだから無理もない。やむなくまず御船郵便局を訪れた。窓口の若い局員が「私も地元じゃないのでわからない」というのですぐにあきらめ、御船警察署へ。窓口の署員が「玉虫寺ですかぁ?」と言って地図を引っ張り出した。地図を見てもよくわからないようで他の署員に声をかけて聞いている。すると外回りから帰ってきた(?)巡査さんがよく知っていて地図で教えてくれた。ただ「道が細いので途中から歩くことになるかもしれませんよ」と言う。3人がかりで対応してくれた署員の皆さんにお礼を言って現地に向かった。現地近くの集落まで行って、はたして車で入れるか確認したかったので誰かいないかなとゆっくり車を走らせていると、70代前後と思しき貫禄のある男性が自宅の庭で煙草をふかしているのが目に入った。すぐに車を停め門の前まで行って声をかけた。するとなんと元区長さんだそうでとにかく詳しい。こちらとしては車で入れるかどうかだけ確認できればと思っていたのだが、玉虫姫に関する話が止まらない。予想外の長話となった。とにかく道は狭いが車で入れることがわかり現地へ向かう。
何度も写真で見たことのある風景が見えて来た。近くに車を停めるスペースもあり、じっくり見て回ることができた。玉虫御前が平家の菩提を弔うため建てたという玉虫寺は今はないが、そこに地区の公民館が建っている。周辺にはそこがかつて寺であったことを示す六地蔵や五輪塔、石の祠などが散在しており、裏には小さな御堂もある。
そんな風景を眺めながら、僕がかつて在勤時に度々参拝した栃木県那須の那須温泉神社、那須与一ゆかりの神社のことを思い出し、千数百キロ離れたこの玉虫寺跡と物語が繋がっているという不思議な感動が湧いて来た。
屋島の戦い 扇の的の段
国道445号線を滝尾地区で右折し、御船川を渡る。
橋の名は「たまむしはし」
付近の地図
細い山道を登って行くと玉虫寺の跡「玉虫公民館」が見えてくる。
公民館の周辺には多くの遺物が散在