今年は放送が開始されて100年ということで、NHKアーカイブスでは「NHK放送100年史」と題したサイトを設け、放送の歴史を振り返っています。
1925年(大正14年)3月22日、「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」という第一声が東京・芝浦より発せられ、放送の歴史が始まりました。
その3年後の1928年(昭和3年)6月16日、九州で最初の放送局、熊本放送局(JOGK)が放送を開始しました。
下に歴代の放送局の写真を掲載しましたが、僕の思い出は幼稚園の頃、現在、熊本市役所の駐車場ビルの辺りに初代の熊本放送局がありましたが、千葉城町の熊大附属幼稚園から先生や数名の園児たちと一緒に歩いて来て、スタジオで童謡を歌いました。当時はナマ放送でしたのでスタジオはピリピリした緊張感が漲っていたことを憶えています。この地にはJOGK(熊本放送局)放送発祥の地の記念碑が建てられています。

初代NHK熊本放送局(城見町 昭和3年6月~昭和38年3月)

熊本市役所裏・立駐の前にある初代放送局の跡碑

2代目NHK熊本放送局(千葉城町 昭和38年3月~平成29年6月)

3代目NHK熊本放送局(花畑町 平成29年6月~)
熊本放送局が開局間もない昭和3年7月19日、柳川に帰郷していた北原白秋が招かれ、開局記念特別番組が放送されました。その時、白秋は荒尾の少女海達公子を伴っていました。文芸誌「赤い鳥」で童謡・自由詩の選者を務めていた白秋は、応募者の一人であった小学生の公子の詩才を高く評価していました。白秋は自分の愛弟子ということで連れて行ったのですが、それがきっかけとなり、2ヶ月後の9月24日、熊本放送局の番組「コドモの時間」に荒尾北尋常小学校の児童が出演。公子の談話「児童自由詩の作り方」が放送されました。

北原白秋と海達公子
1925年(大正14年)3月22日、「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」という第一声が東京・芝浦より発せられ、放送の歴史が始まりました。
その3年後の1928年(昭和3年)6月16日、九州で最初の放送局、熊本放送局(JOGK)が放送を開始しました。
下に歴代の放送局の写真を掲載しましたが、僕の思い出は幼稚園の頃、現在、熊本市役所の駐車場ビルの辺りに初代の熊本放送局がありましたが、千葉城町の熊大附属幼稚園から先生や数名の園児たちと一緒に歩いて来て、スタジオで童謡を歌いました。当時はナマ放送でしたのでスタジオはピリピリした緊張感が漲っていたことを憶えています。この地にはJOGK(熊本放送局)放送発祥の地の記念碑が建てられています。

初代NHK熊本放送局(城見町 昭和3年6月~昭和38年3月)

熊本市役所裏・立駐の前にある初代放送局の跡碑

2代目NHK熊本放送局(千葉城町 昭和38年3月~平成29年6月)

3代目NHK熊本放送局(花畑町 平成29年6月~)
熊本放送局が開局間もない昭和3年7月19日、柳川に帰郷していた北原白秋が招かれ、開局記念特別番組が放送されました。その時、白秋は荒尾の少女海達公子を伴っていました。文芸誌「赤い鳥」で童謡・自由詩の選者を務めていた白秋は、応募者の一人であった小学生の公子の詩才を高く評価していました。白秋は自分の愛弟子ということで連れて行ったのですが、それがきっかけとなり、2ヶ月後の9月24日、熊本放送局の番組「コドモの時間」に荒尾北尋常小学校の児童が出演。公子の談話「児童自由詩の作り方」が放送されました。


北原白秋と海達公子