徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

墓石と家紋

2016-07-04 18:54:05 | ファミリー
 地震で滅茶苦茶に壊れたわが家の墓を改修しなければならないが、一番肝心な仏石が倒れて割れてしまったので、この際、地震でも倒れにくいといわれる洋型墓石に変えようかと思う。
 35年前の昭和56年に父が改葬した時、仏石の下の台座に初めてわが家の家紋が刻まれた。それは「右三つ巴」と呼ばれる紋だった。しかし、8年前に甥の結婚式で上京した際、東京在住の従弟が、実はもともとのわが家の家紋はこれだと、印刷物を見せられたのが「軍配唐団扇」と呼ばれる紋だった。由来などを調べたのだが、確認できる史料が見つからない。本当にそうなのだろうかと半信半疑だった。
 先日、母が押入れから古い新聞紙にくるんだ筆箱を取り出してきた。祖母が生前ずっと大事に保管していたもので、細川家に仕えて書道師範をやっていた曽祖父が使っていたものだという。細川九曜紋の下にわが家の姓が書いてあり、その下に小さな紙片が貼ってあった。何だろうと思って目を凝らすと、なんとそれは「軍配唐団扇」の家紋だった。16年前に父が亡くなって以降、おそらくこの筆箱を開けたことはないと思われるので、随分昔から貼ってあったのだろう。父が貼ったのか、それとも祖父が貼ったのかわからないが、おそらくこれがわが家の本当の家紋だということを子々孫々に伝えたいと思っていたのかもしれない。
 これを見て、今度の新しい墓石には「右三つ巴」ではなく「軍配唐団扇」を刻んでもらおうと思っている。






右三つ巴 と 軍配唐団扇
          


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2 コメント

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こんばんは (小父さん)
2016-07-04 20:11:17
とても興味深く読ませていただきました。

私の家にも家紋はありますが、長姉が結婚する時に
着物につけられていたように思います。

あと何冊かある家系のまとめたものには載っていたような。

もう私のような根無し草的人生では明石の私の墓にも長兄の富士霊園の墓にも、たぶん2番目の兄の広島の墓にも家紋は残されていないように思います。

私の一人息子も家系図も見そうにない気がしますし、家紋にも見向きもしないでしょうね。

福岡を離れた私たち兄弟ってそんなものです(笑)
私が福岡に残っていたら違う生き方をしたかも知れませんね。
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Re: 小父さん様 (FUSA)
2016-07-04 21:25:42
そんなもんですよね(笑)
私もわが家の家紋が「右三つ巴」であることは知ってはいましたが、会社勤めの頃まではほとんど関心はありませんでした。歳とってから、本当の家紋は違うんだよ、なんて話を聞くと急に祖先に対する興味が湧いてきたものです。
ただ、曽祖父も養子で入って新しく家を興していますし、さらに父が幼い時に祖父が他界したので、親戚に家督を譲っていますので、ほとんど史料が残っていません。それが残念です。
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