今夜は復活ブラタモリの第1回。徳川幕府が開いた東海道大津宿から五十三次と別れて大坂へ向かう五十七次の伏見宿まで。旅の内容は2・3回と合せて後日まとめたいと思うが、今日はタモリさんもチャレンジした「鬼の絵」、大津宿名物・大津絵にまつわるはなし。
大津絵とは、江戸初期に、東海道五十三次の大津宿(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりといわれる。
そもそも大津絵は、「大津絵の筆の始は何仏」という芭蕉の句が残っているように、旅人のお守りとして作られた仏画が始まりだという。旅の土産として人気が出ると「藤娘」のような風俗画も描くようになり益々人気を博して行った。江戸中期になると、これら人気の大津絵を題材とした「大津絵節」を大津の遊女たちが歌い始め、これが街道を往来する旅人たちによって各地に伝えられていった。
絵師の指導でタモリさんが鬼の絵にチャレンジ
大津絵の代表的な「鬼の寒念仏」と「藤娘」
大津絵とは、江戸初期に、東海道五十三次の大津宿(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりといわれる。
そもそも大津絵は、「大津絵の筆の始は何仏」という芭蕉の句が残っているように、旅人のお守りとして作られた仏画が始まりだという。旅の土産として人気が出ると「藤娘」のような風俗画も描くようになり益々人気を博して行った。江戸中期になると、これら人気の大津絵を題材とした「大津絵節」を大津の遊女たちが歌い始め、これが街道を往来する旅人たちによって各地に伝えられていった。
絵師の指導でタモリさんが鬼の絵にチャレンジ
大津絵の代表的な「鬼の寒念仏」と「藤娘」