徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

なにをくよくよ川端柳

2024-08-13 19:47:58 | 熊本
 先日、車で明午橋通りを味噌天神方面へ向かって走っていた時、新屋敷の大井手をわたるところで信号停車した。ふと大井手の方に目をやると川端柳が見えた。近頃、川端柳を見る機会が減った。昔はもっと川や井手沿いに多くの川端柳が植わっていたものだが。この大井手沿いには辛うじて昔の風情が残っている。
 そんなことを考えているとつい「東雲節」の一節が口をついて出る。
 「♪ なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ」
 これは坂本龍馬の作とも高杉晋作の作ともいわれる都々逸である。「柳に風」なんていうことわざもあるが、要するに「しなやかに おだやかに生きましょう」ということを言っているのだろうと勝手に解釈している。この歳になると妙にその言葉が胸に染みるのである。
 この都々逸は、熊本ゆかりの俗謡「東雲節(ストライキ節)」にも歌い込まれていてなじみ深い。

 〽なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
  水の流れを見てくらす
  東雲の暁の鐘 ごんとつきゃ辛いね
  てなことおっしゃいましたかね


大井手の川端柳(金剛寺の裏あたり)


「俚奏楽 島めぐり」のはなし。

2024-08-12 23:10:10 | 音楽芸能
 三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんが創始された俚奏楽のなかで、僕が一番好きな曲、それが「島めぐり」である。大まかに言うと伊豆諸島や小笠原諸島に古くから残る唄つづりとでも言ってよかろう。しかし、何度も聞いていると実に巧みに構成されていることに気付く。随分前に本條秀美さんにいただいた歌詞(下記)を見てみると、赤い角括弧でくくられた部分が、ト書きでもあり曲のメインストリームにもなっていて、そこに各島唄を入れ子とした構造になっている。実はこの赤い角括弧部分もどこかの島の古謡を使ってあるのかと思っていたが、どうやらそうではないことが段々わかって来て、先般、東京での稽古に行かれた本條秀美さんに確認してきていただいた。やはり本條秀太郎さん自ら作られた歌詞なのだそうだ。こうした工夫が俚奏楽の本旨である、失われそうな鄙唄の再生につながるのだろう。




まぼろしの銘菓「さおしか」復刻!

2024-08-11 20:14:26 | 熊本
 味噌天神の福栄堂さんから電話があり「さおしか復刻版の試作品が出来上がりました!」とのこと。
 今年5月、25回忌を営んだ亡父が幼い頃(大正初期)日参した泰勝寺の長岡家(細川刑部家)でふるまわれた銘菓「さおしか」を製造販売していた老舗菓子舗・福栄堂さんが、味噌天神近くで火曜日だけ営業されているという情報を得たのは昨年11月のことだった。すぐに福栄堂さんに電話をかけて確かめたのだが、今は「さおしか」は作っていないが、復刻を検討しているとのことだった。父の思い出の「さおしか」の復刻を切望していることをお伝えした。
 その後の経過を知りたくて、福栄堂さんのインスタグラムにメッセージを入れてみたりもした。お返事の中に「さおしか」の特長である「皮むき餡」(小豆の芯の部分だけを使った餡)の入手が何とかメドがつきそうなので、近々試作をしてみたいということだった。
 そして今日、復刻版完成のご連絡をいただきさっそく訪問した。「さおしか」の上品な甘さを味わいながら女将さんと「さおしか」談義に花が咲いた。25回忌には間に合わなかったけれど、お盆には父にお供えができる。父もきっと喜んでいるに違いない。困難な条件のもと、復刻を実現していただいた福栄堂さんに心から感謝申し上げたい。


 「さおしか(小牡鹿)」が詠まれた万葉集の和歌を一首
  わが岡にさをしか来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさをしか (大伴旅人)
  (私の岡に若い牡鹿がやって来て、まるで萩の花に求婚をするかのように鳴いている)
  ※大伴旅人は飛鳥時代から奈良時代の歌人で、元号「令和」の由来となった「梅花の宴」を
   開いたことでも知られる。

 なお、商品化に当たっては「さおしか」が他店舗で既に商標登録されているため、上の和歌にも詠まれている「初萩」という商品名にされる予定だという。

熊本市の姉妹都市~福井市~

2024-08-10 19:26:36 | イベント
 先日、熊本市役所の前を車で通りかかったら、庁舎に「福井市・熊本市 姉妹都市提携30周年」の横断幕が掲げられていた。そうか、もうあれから10年経つのかと思った。あれからというのは、2014年10月に熊本城二の丸広場で開催された「熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント」のことである。
 福井市は熊本市の国内唯一の姉妹都市である。姉妹都市となったのは、経済や産業面での共通点もさることながら、1840年に肥後熊本藩10代藩主・細川斉護公の三女である勇(いさ)姫が、越前福井藩主・松平春嶽公へ輿入れし、姻戚関係になったことや、熊本藩士で儒学者の横井小楠が福井藩に招聘されて藩政改革にあたるなど深い歴史的関係があったことが大きな要因となっている。
 1994年に熊本市・福井市両市の間で姉妹都市が締結され、2014年10月には熊本城二の丸広場の「秋のくまもとお城まつり」の一環として「熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント」が行われた。


熊本藩10代藩主・細川斉護公の三女勇姫と奥女中たち


高橋公園(熊本市千葉城町)の維新群像。左から坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久


2014年10月10日 熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント 熊本城二の丸広場


熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント 福島竹峰社中による伝統芸能の披露


 個人的には、彦根在勤時に福井県内各地を旅した楽しい思い出もあり、そして何よりも好印象となっているのが、わが母校済々黌水球部がこれまで二度、福井市の大会で全国制覇をしたことである。


昭和43年(1968)福井国体水球 済々黌(熊本)vs 茨木高(大阪)の一戦

適地適作

2024-08-09 20:58:08 | 農業
 九州東海大学の片野学先生が亡くなられて今年でもう10年になる。自然農法や有機農業の権威だった先生とは、僕は15年前、一度だけお会いしたことがある。僕の知人で洋菓子店経営をされている方から、阿蘇で無農薬の果樹栽培をしたいので専門家の指導を受けたいという相談を受けた。たまたま僕の知人に片野先生の奥様と親しい方がおられたので、僕が間を取り持つ形で先生の指導を受けることになった。会食しながらということで、僕も同席することになったが、とてもざっくばらんな先生で、面白い話が次から次に出て、時の経つのも忘れるほどだった。その席で先生が言われた言葉で一番印象深かったのは「適地適作」ということだった。阿蘇は火山灰地だから作物は限られる。とりあえずブルーベリーを始められたらいかが、というような話だった。先生とは機会があればもう一度お目にかかりたいと思っていたがかなわなかった。
 先日、YouTube検索していたら、先生が「NHKラジオ深夜便」でお話をされているオーディオデータがアップされているのを見つけた。「雑草からのメッセージ」というテーマでとても興味深いお話をされている。3回にわたっているのでじっくり聴いてみたい。

色彩感覚の回復

2024-08-08 18:07:18 | 
 一昨日、白内障の手術を受けた。術後、何に驚いたかというと、目に映る夏の空や木々や花々など風景の鮮やかな色彩だった。まるで子供の頃、初めて総天然色の映画を見た時のような新鮮な感動があった。長い間、余程ぼやけた目で見ていたのだろう。あらためてわれわれが住む地球の色彩の見事さとそれを感じ取る人間の視覚の凄さを再認識した。
 退院後、帰宅してパソコンを起動し、マイブログを開いてみるとこれまで投稿した写真がやけに綺麗に見える。やはり術前は色彩感覚が鈍っていたのだろう。


2023.5.4「代継宮~曲水の宴」で女性歌人に扮したRKK後生川凜アナの十二単姿

山鹿灯籠まつり と 木村祐章

2024-08-07 18:27:11 | 歴史
 今年の山鹿灯籠まつりもいよいよ来週に迫った。久しぶりに見に行こうと思っていたのだが、白内障の術後1ヶ月ほどは人混みを避けるようにとの医師の指示で残念ながら断念することにした。
 さて、この祭りが全国区の祭りとなり、今日の隆盛を見るに至った裏に、「影のプロデューサー」の存在があったことはあまり知られていない。その人の名は「木村祐章(きむらゆうしょう)」。戦後昭和に民俗学研究家として、また放送作家として活躍した人である。
 木村は、山鹿灯籠祭りを民俗学的な側面から、単に灯籠奉納行事としてだけでなく、盆踊りの一形式としてプロデュースし復活させる役割を果した。また、NHK番組等を通じた山鹿灯籠踊りの全国への宣伝でも与って力があった。
 大正8年、山鹿の商家に生まれた木村は、昭和12年に鹿本中学を卒業後、東京の國學院大学に進んだ。ここで日本民俗学の巨人であり、歌人でもあった折口信夫(おりくちしのぶ)との運命的な出会いがあった。折口を顧問とする「青衿派」(せいきんは)の同人となり、その編集にも携わり、終生折口を師と仰いだ。戦後、東京へ出ることを夢見ていたが、師折口の指示に従い、故郷山鹿に住みついて民俗学の研究に励んだ。昭和27年からはNHKの契約作家としてラジオ放送の脚本も書き始め、昭和40年、45歳の若さで世を去るまで民話の発掘、民俗芸能や民謡の振興、地元放送業界の発展等、熊本の地方文化に貢献した。


 僕が木村祐章のことを知ったのは、12年前に少女舞踊団ザ・わらべが踊る「愛の南十字星」を初めて見て、この曲の原作が昭和38年6月にNHK第2「ラジオ小劇場」で全国放送されたドラマ「ぬれわらじ」であることを知った時である。木村が書いたこのドラマは「からゆきさん」を題材にしている。実はちょうどその頃、僕の父が書き遺した備忘録の中に上天草の「からゆきさん」の話があり、いろいろ資料を調べたりしていた。なんとかこのドラマの脚本を見たいと探したが見つからず、ダメもとで問い合わせた山鹿市教育委員会から、元山鹿市立博物館館長でもあるご子息木村理郎氏を紹介していただき、理郎氏にお願いして埋もれていた脚本を探し出していただいた。そんなご縁もあって理郎氏の著書を通じて山鹿灯籠まつりの歴史や灯籠踊りの起源などについて知ることとなった。

▼ラジオドラマ「ぬれわらじ」より「愛の南十字星」
 原作:木村祐章 作曲:今藤珠美 作調:藤舎千穂 舞踊:舞踊団花童/花喜楽

清原元輔と清少納言

2024-08-04 18:18:29 | 歴史
 先日、藤崎八旛宮に八朔詣りをした時、境内の末社詣りをしながら清原元輔の歌碑「藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代か子の日過ぐさむ」をあらためて読みながら、大河ドラマ「光る君へ」に登場する元輔の娘・清少納言のことを考えていた。元輔が周防国司として赴任した時は清少納言がまだ8歳だったので帯同しているが、肥後国司として赴任した時、清少納言は20歳くらいになっていて、既に15歳の時に橘則光と結婚しており、帯同しなかった。というよりできなかった。元輔が任地肥後で死去したのが83歳、時に清少納言24歳。その3年後くらいから中宮定子に出仕するようになり、その5年後に離婚している。中宮出仕してしばらくしてから「枕草子」を書き始め、中宮定子が亡くなった1年後くらいに完成したと伝えられる。
 肥後とは縁がなかった清少納言だが、「枕草子」の「島」の條には
  「島は 八十島 浮島 たはれ島 絵島 松が浦島 豊浦の島 まがきの島」
と、肥後の「たはれ島(風流島)」が含まれている。史料によっては八代の「水島」が含まれていることもある。当時は海上交通の要衝として都にも知られていたのだろう。


藤崎八旛宮境内の清原元輔の歌碑


緑川河口の有明海に浮かぶ小さな岩島「たわれ島」。背景は金峰山と二の岳

今年の出水神社薪能

2024-08-03 22:11:38 | 古典芸能
 今日は楽しみにしていた「出水神社薪能」が水前寺成趣園能楽殿で行われるので夕方から見に出かけた。日は暮れたものの能楽殿の芝生席は昼間の熱気が滞留している感じで蒸し暑さには閉口した。野天だから過去には土砂降りの雨に見舞われたこともあり、自然環境の中で行われるのが本来の能。気候も舞台の設定と思えば我慢できないことはない。(つよがりか)
 しかし、今日の演目「田村」は亡父の思い出の曲。8年前に同じ「出水神社薪能」で見た「田村」の印象が強く残っていたので、それと比べると明らかに不出来。何のアナウンスもなかったが予定のシテ役者が替わったのではないだろうか。楽しみにしていただけに残念だった。


日が暮れても夕凪の状態で能楽殿の芝生席はとにかく暑かった。


火入れの式が行われる頃になってやっと微風が。


能「田村」は期待していただけにちょっと残念。

八朔と猛暑

2024-08-02 21:23:08 | 季節
 昨日は八月朔日。藤崎八旛宮に八朔詣りに行った。節供なので拝殿でお詣りした後、境内の末社をお詣りして廻った。その間の暑さといったら…。八朔というのはもともと旧暦での節供で、新暦では今年の場合、9月3日になるようだ。その頃になると、稲穂が頭を垂れ始める頃で、摘んだ御初穂を神に供える習わしがあったので、八月朔日を「ほづみ(穂摘)」ともいうようになったそうだ。
 各末社の神前には神饌が置かれていたが、右の写真のように「酒・塩・オクラ」だった。オクラは季節野菜の代表として供えられたのか、本来ならばこれに御初穂が供えられていたのだろう。
 家に帰り着いてホッとしていると、テレビでは京都祇園の八朔の習わし、芸舞妓さんたちの関係先へのお礼参りの様子がニュースで流れていた。
 下の写真はちょうど10年前、京都祇園の八朔の様子を報じるTBSのニュース映像の一部だが、当時もやはり相当暑かったと見える。新人舞妓時代のまめ藤さんが写っていて懐かしい。


大谷翔平と「舞踊団花童&はつ喜」

2024-08-01 18:12:41 | 話題
 一昨日、テレビ熊本(TKU)夕方のニュース情報番組「TKU Live News」で大谷翔平選手と寝具メーカー西川の共同企画「大きな夢を見よう!プロジェクト」が紹介された。
 これは全国の子どもたちへ約2500枚のマットレスをプレゼントするというもので、全国の小学生から大学生までの若い世代を対象に「叶えたい大きな夢」について作文を募集。多くの応募が集まった中、熊本からは3つの団体が選ばれ、その中の一つが「舞踊団花童&はつ喜」だった。現在「花童&はつ喜」には3歳から高校3年生の12人が所属している。
 なお、「舞踊団花童&はつ喜」とともに「専修大学熊本玉名高校吹奏楽部」が選ばれた。
 詳しい内容は下のニュース映像をご覧ください。

   ▼放送されたニュース映像

   ▼舞踊団花童&はつ喜による「長唄 花見踊り」

   ▼専修大学熊本玉名高校吹奏楽部による「マツケンサンバ」