どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ラプンツェル

2016年04月04日 | グリム

 グリムの「ラプンツェル」は、魔女、娘、王子がでてきて、あまり長くもなく、語られる人も多いようです。

 語り手による楽しさもありますが、ぜひ聞いてみたいのは矢川澄子訳のもの。矢川訳は味がある訳という感じです。

 例えば、冒頭の子どもがいない夫婦に子どもがさずかるところ.

 「やっと子どもをさずかることになり、妻のおなかがだんだん大きくなってきました。」佐々木田鶴子訳・岩波少年文庫
 「神さまもようやくのぞみをかなえてくださるおつもりか、おかみさんは身重になったのだった」矢川澄子訳

 王子が塔のなかに、髪をのぼって、娘にあいにいくと、そこにいた魔女がいうセリフ。
 「ラプンツェルは、もういないのさ。おまえのようなわるいやつは、もう二度と会うことがないだろうよ」佐々木田鶴子訳

 「いとしい奥方をつれにおいでかね。ところがきれいな鳥さんはもう巣にゃいない。もう唄もうたわない。猫にとられちまったのさ。お猫さんたら、あんたの目玉をほじくりがっててねえ。ラプンツェルはもう手に入らない。二度とふたたびあの子にゃ会えるものかね」矢川澄子訳

 矢川訳では「ラプンツェルというこまかいサラダ菜の青々と生えているのが目にとまった」と話の流れでラプンツェルを説明しています。「おはなしのろうそく」の「チシャ」、こぐま社版は、ラプンツェルをそのまま使い、注釈をそえていますが、矢川訳が一番しっくりきそうです。
 
 ラプンツェルが、塔の下にたらす髪の毛の長さ、矢川訳では13m、「おはなしのろうそく」では9m、こぐま社版では、20エレとして注釈を、また40フィートとしているものもあります。
 語るということからすると、メートルとした方がわかりやすいと思いますが、どうでしょうか。

 筑摩書房の野村訳に「エレ」は、人間の腕の長さをもとにした尺度で、60~80㎝という注釈がありますから、髪の長さは12mから16mということのようです。

 さらに矢川訳に、「ゴテルばあさんよりよりもあたしを大事にしてくれそうだと思ってね」という場面があって、このゴテルばあさんというのが突然でてきて、違和感がありましたが、野村訳に、ゴテルというのは固有名詞ではなく「女の名付け親」をさす普通名詞と注釈があって、疑問が解消されました。
 グリムの訳はたくさんあるので、あたってみることいろいろ発見があります。
  
 2000年に発行されている東京子ども図書館の愛蔵版「おはなしのろうそく」のなかに、「王子はまったくのめくらとなり、もりの中をあちこちさまよいあるきました」というシーンがあります。めくらは放送禁止用語。少し(大分?)気になっていましたが、その後に訂正されていることがわかりました。

      
   ラプンツェル/ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ/L・シーガル M・センダック選/矢川澄子・訳/福音館初書店/1986年初版 
   ラプンツェル/ついでにペロリ 愛蔵版おはなしのろうそく3/東京子ども図書館編/2000年初版    
   ラプンツェル/子どもに語るグリムの昔話3/佐々梨代子・野村 ひろし 訳/こぐま社/1991年初版
   ラプンツェル/グリム童話集1/相良 守峯 訳/岩波少年文庫/1997年
   ラプンツェル/完訳 グリム童話集1/野村 ひろし 訳/筑摩書房/1999年初版


 絵本版の「ラプンツェル」では、ラプンツェルと王子が塔から落とされる順番が逆で、さらに魔女がどうなったかにもふれられています。(髪の長さは15m)
 そして、ラプンツェルが双子を産んだこともでてきません。 

ながいかみのラプンツェル  


 ところで、矢川澄子訳で何回か読み直しています。
 場面をイメージしながら覚えなさいというので、いろいろと妄想。

 昔話ではこまかな描写がないので、想像するしかありませんが、ラプンツェルが閉じ込められた森と塔はどんな様子だったろうか。高さは地上にたれる髪の長さがヒントになります。

 ラプンツェルが閉じ込められた塔のなかの灯りは、トイレは?

 魔女がラプンツェルをさらっていったのはなぜ? 一人暮らしの魔女がさびしさをまぎらわすため?
 魔女がラプンチェルを塔に閉じ込めてしまったのは、下世話に言うと虫がつかないようにするため?
 でも、この魔女、子育てに失敗しています。

 魔女が、髪の毛をつたってのぼっていくのは、ラプンツェルの様子をみにいくことだけなのか、はたまた、食事をもっていってあげたのか。

 この魔女、わざわざ髪をつたわって塔にのぼるというは、魔法は使えないようなので、どんな怖さがあったのか想像するしかなさそう。

 ラプンツェルは王子の最初のよびかけに髪をたらすが、魔女と区別がつかないのは不自然なので、もしかして魔女以外の誰かを期待していたのではないか。

 しかし、この話、「成熟の過程を描いたもの」というわりには、簡潔で、もう少し別な展開があってもよさそうな話。長ければいいというものでもないが。

 イギリスのルース・マニング=サンダース著(ラプンゼル/世界の民話館 魔女の本/西本鶏介・訳/ブッキング/2004年初版)は、この話が大分ふくらんでいるのが特徴。

 魔女が、ラプンチェルを連れ去る場面で言うセリフ。
 「これかからも子どもはたくさんうまれるのだから」とあって、この夫婦には、子どもが次々に生まれるという場面がでてくる。
 ラプンチェルが絹のはしごを編んでいるはずが、グリムでは、この梯子はでてこない。サンダースは、この梯子を発見する場面をくわえている。
 王子が塔から身を投げ、茨で目が見えなくなる場面では、枯葉の山に落ちるとあります。

 ところで、「ラプンツェル」は、17世紀末のフランスの女流作家の恋愛小説を18世紀のドイツの作家が翻訳したものが採用されているという(昔話入門/小澤俊夫編著)。

 また、太宰治の「ろまん燈籠」は、五人の兄弟が共同して小説を完成させていく話ですが、このなかでラプンツェルが素材となっていました。太宰治の想像力みたいなものがでていて、両方を読みくらべてみると楽しい。