「部屋の起こり」という話、別のタイトルのものも含めると相当分布しています。
三省堂「日本昔話百選」の「へやの起こり」は、京都。
息子が出稼ぎ先から連れてきたよめさん。くるくる働くいいよめだったが、十日たち十五日たつと、嫁さんの顔が蒼く青くなり、心配した姑ばあさんが声をかけると、一日に一つは大きい屁をこかないと、どうにも辛抱ができないという。
「人間だれでも屁はする 遠慮しないでこきたいだけおきなはいや」という姑ばあさんのさばけたことばで喜んだ嫁さんが、ボガアンという大きいのをこくと、家はぐらぐらゆれ、ばあさんは天井まで吹き飛ばされてしまう。
これが原因で家をだされてしまったよめが、山の峠までくると、呉服屋と小間物屋の商人ふたりが、美味しそうな梨がなっている大きな木の下で、石を投げて、とろうとするが、何回投げても梨はとれない。
それを見た嫁さんが「この梨を取るぐらい、うちにやらせたら屁でもない」と笑うと、二人の商人は、梨が一つ残らずとれたら、自分たちがもっている荷物をあげることを約束します。
屁で梨を全部落とした嫁さんは二人の荷物をもらうことに。ちょうどそこに婿がかえってきて、こんな宝女房をなんで離縁されようかと、家につれかえり、母屋とは別に、嫁さんが屁をこく離れをたててやったという。
京都の話らしく、屁は丹後地震にたとえられています。
この屁こきよめの話が「かたれやまんば 第一集 藤田浩子の語り」では、「百べでこりた」というタイトル。
よめさまのする屁は、なんと百回!。
一回目はめんこい屁「プツ」
二回目は「ピッ」
三回目は「ポン」
そのあと「ブウ」、「ププン」、「ブ~~~ッ」、「ピピピ」
そして、99回目が「ボカーン」
100回目がおさめの屁で「プッ」
このやりとりが、抱腹絶倒で、藤田さんならでは。(ぜひ、全文を読んでみてください)
よめの屁で、縁側の下に落ちて寝込んでしまった婆様のところに、隣の婆様がお見舞いにせんべいをもっていくと、婆様がいうことには 「あーぁ せんべはいらん。百べこりたぁ」
オチに おもわずうなりました。
「おならで成功した嫁さん」(世界の民話9 アジアⅠ/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1976年)は、朝鮮の話で、おならをするまでがとにかく長い。結婚してから3年もたってからおならをするというもの。
後半部は、よめが梨を木から落としますが、この梨を三つ食べると病気がなおるというもので、これで王さまの病気がなおり、梨を食べたよめの屁も、治ります。
よめさんの屁は、労働力として、家に縛られ、不自由な生活をじっと我慢をしなければならなかったよめの解放されるさまが込められています。
山形の「部屋の起こり」では、は少しおさえたものになっています。
大黒柱も倒れるかと思うような屁をたれるよめさんのために、屁我慢して、身体悪くされると困るからと、壁でもつけて屁屋(部屋)をつくるというもの。
高知の「おならよめ」(ちゃあちゃんのむかしばなし/中脇初枝・再話 奈路道程/福音館書店/2016年)では、村の人たちが麦刈りの途中、いきなり雨がふりはじめたので、よめさまが着物をまくって、お尻を出し、空に向かってふといおならをして、雨雲をいっぺんに吹き飛ばすという豪快な話です。
栃木の「へっぴり姉さん」(栃木のむかし話/下野民俗研究会/日本標準/1977年)は、よめさんがおならをすると、おっかさんの頭の髪の毛が吹き飛ばされてしまいます。後半では、子どもたちの凧が木にひっかかったのを、おならでおろすと、ばくろうの馬十四頭を手に入れます。ばくろうと賭けをしたのですが、気の毒に思ったよめさんが、二頭の馬をばくろうに返し、さらに村の人にも馬をやって、みんなに喜ばれます。
秋田の「屁たれ嫁」(秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年)は、家からだされたよめさんが、馬喰と梨を屁で落す賭けをし、馬を手に入れるとその馬に乗ってぽっくり家に帰ります。一方馬喰は、梨を売って たくさんの金をもうけるという、後味がいい終わり方です。
大分の「へひりのじょうずな女」(大分のむかし話/大分県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1975年)。よめごの屁で、家の前の畑にふきとばされたしゅうと。よめごが、屁を出るのをこらえて、しりをつぼめると、そのひょうしに もとのところへ もどってくる。そのしゅうとが手に持っていたのは大根。
よめごが、がまんできなくなってスーと ひると しゅうとは また畑に。よめごが しりをつぼめると また しゅうとが 大根を手に持って、もどってくる。
この繰り返しで、大根の取入れができて、しゅうとは たいそう 喜ぶ。いいよめを もろうたと しゅうとはよろこび、よめごの顔色もよくなる。
大分版で楽しいのは、おわりのことば。
「もうすこす 米んだんご、こんどは、○○さんの番で、はよう話さにゃ、だんごが かとうなるで(かたくなるよ)」
昔話に誇張はつきものですが、話しての方が楽しんで誇張しているようすが、目に浮かびます。