昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩いて往復しました。
途中、仕上がっている服を受け取るため、紳士服の店に立ち寄りました。
家に帰ってからは、二人でワインを飲みながらチーズとポトフを食べる。
前の日はモッツァレラをドライ・トマトのオリーブ油漬と食べたので、
昨日はカチョカヴァロを買ってきて、軽くフライパンで焼き、
ドライ・トマトのオリーブ油漬と食べ、これはこれでよかった。
ポトフも相変わらずおいしく、冬の時期は暖かいポトフがいい。
途中聴いたのは、1804年パリに生まれたファランク(ファラン)の作品。
彼女は、幼少からピアノをクレメンティ門下のセシル・ソリアに学び、
15歳になってからアントニン・レイハ(ライヒャ)に和声学を師事したようだ。
フルート奏者で出版業を行っていたアリステッド・ファランクと1821年結婚し、
子供も育てる一方でピアノを教え、作曲法などを学び、
1830年代からは様々な作品を作曲して発表し、世に知られるようになり、
1842年にはパリ音楽院のピアノ科教授にも就任した。
交響曲第3番作品36ト短調は、1847年に作曲された。
聴いたCDは、ヨハネス・ゴリツキ指揮、
ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるもの。
第一楽章アダージョ-アレグロは、オーボエが悲哀をこめた旋律を奏で、
弦楽器がそれを引継ぎ、木管楽器に引き継がれこの序奏が終わり、
アレグロの主部に入り、弦楽器中心に主題を奏でていくが、
これはシューベルトの交響曲を思わせるような音楽である。
木管楽器や弦楽器により別の主題が示され、これら主題が展開されていく。
この展開の手法もシューベルト風な部分もあるが、
この曲を聴いてフランスの作曲家と思うことはないだろう。
終わり方も堂々としていてなかなかである。
第二楽章アダージョ・カンタービレは、木管楽器が活躍し、
牧歌的な穏やかな楽章で、クラリネットなどが奏する旋律が美しい。
師の影響もあってか木管楽器の扱いが優れている感じがする。
中間部のドラマティックな展開はシューベルトの未完成交響曲の
第二楽章の部分に似たところを感じる。
そのあとはおだやかな牧歌的な音楽となって終わる。
第三楽章スケルツォ、ヴィヴァーチェは、
メンデルスゾーン風の軽快なスケルツォである。
中間部では木管楽器が活躍し、その扱いはさすがである。
再び冒頭の速い主題が奏されて終わる。
第四楽章フィナーレ、アレグロは、シューベルト風でもあり、
一部ではモーツアルトを感じさせ、流れるような音楽がいい。
メンデルスゾーンのような情熱的で、ドラマティックな展開をみせ、
古典派的な部分とロマン派的な部分がうまく融合している感じだ。
最後も盛り上がりをみせつつ、短調で堂々とした感じで終わる。
全曲聴いてみて、なかなか聴き応えのある作品である。
フランスにこんな女性作曲家がいたんだということで感心した。
時代の中で忘れ去られていた作曲家の代表作といっていいだろう。
途中、仕上がっている服を受け取るため、紳士服の店に立ち寄りました。
家に帰ってからは、二人でワインを飲みながらチーズとポトフを食べる。
前の日はモッツァレラをドライ・トマトのオリーブ油漬と食べたので、
昨日はカチョカヴァロを買ってきて、軽くフライパンで焼き、
ドライ・トマトのオリーブ油漬と食べ、これはこれでよかった。
ポトフも相変わらずおいしく、冬の時期は暖かいポトフがいい。
途中聴いたのは、1804年パリに生まれたファランク(ファラン)の作品。
彼女は、幼少からピアノをクレメンティ門下のセシル・ソリアに学び、
15歳になってからアントニン・レイハ(ライヒャ)に和声学を師事したようだ。
フルート奏者で出版業を行っていたアリステッド・ファランクと1821年結婚し、
子供も育てる一方でピアノを教え、作曲法などを学び、
1830年代からは様々な作品を作曲して発表し、世に知られるようになり、
1842年にはパリ音楽院のピアノ科教授にも就任した。
交響曲第3番作品36ト短調は、1847年に作曲された。
聴いたCDは、ヨハネス・ゴリツキ指揮、
ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるもの。
第一楽章アダージョ-アレグロは、オーボエが悲哀をこめた旋律を奏で、
弦楽器がそれを引継ぎ、木管楽器に引き継がれこの序奏が終わり、
アレグロの主部に入り、弦楽器中心に主題を奏でていくが、
これはシューベルトの交響曲を思わせるような音楽である。
木管楽器や弦楽器により別の主題が示され、これら主題が展開されていく。
この展開の手法もシューベルト風な部分もあるが、
この曲を聴いてフランスの作曲家と思うことはないだろう。
終わり方も堂々としていてなかなかである。
第二楽章アダージョ・カンタービレは、木管楽器が活躍し、
牧歌的な穏やかな楽章で、クラリネットなどが奏する旋律が美しい。
師の影響もあってか木管楽器の扱いが優れている感じがする。
中間部のドラマティックな展開はシューベルトの未完成交響曲の
第二楽章の部分に似たところを感じる。
そのあとはおだやかな牧歌的な音楽となって終わる。
第三楽章スケルツォ、ヴィヴァーチェは、
メンデルスゾーン風の軽快なスケルツォである。
中間部では木管楽器が活躍し、その扱いはさすがである。
再び冒頭の速い主題が奏されて終わる。
第四楽章フィナーレ、アレグロは、シューベルト風でもあり、
一部ではモーツアルトを感じさせ、流れるような音楽がいい。
メンデルスゾーンのような情熱的で、ドラマティックな展開をみせ、
古典派的な部分とロマン派的な部分がうまく融合している感じだ。
最後も盛り上がりをみせつつ、短調で堂々とした感じで終わる。
全曲聴いてみて、なかなか聴き応えのある作品である。
フランスにこんな女性作曲家がいたんだということで感心した。
時代の中で忘れ去られていた作曲家の代表作といっていいだろう。