3月15日、妻が「あなたの誕生日だから行きたい所に行っていいよ!」というので、前から行きたいと思っていた重茂半島(おもえはんとう)の最東端にある魹ケ崎(とどがさき)灯台に行くことにしました。
この灯台で7年間も過ごした灯台守の妻である田中キヨさんの手記をもとに、1957年に木下恵介監督によって映画化された(「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」とガイドブックで読んだからです。
若い頃封切りの映画を見て感動したこと、先ごろTV(NHK-BS)でリバイバル放映されたのを見て再び感動したことなどがありました。北の地で夫婦(佐田啓ニと田中絹代)が共に悩みながらも助け合い絆を確かめ合った姿が描かれています。
辿り着いた「白亜の灯台」は、丁度修理中で足場が組まれていたため足場で覆われたようになっていました。
灯台には平成8年3月まで航路標識事務所の職員が常駐していたそうですが、今は無人とのことです。
直立する断崖に建ち、明治35年に建てられて以来、被災に見舞われながらも100有余年もの間、航海の安全を祈って明かりを灯し続けています。
姉吉キャンプ場にある上の画像には、本州最東端にある「魹ケ崎(とどがさき)灯台」は、東経142度4分34秒/北緯39度32分46秒の位置にあると記されています。
灯台の南側の断崖30mの場所には、田中キヨさんの筆によるという「本州最東端の碑」が静かにこの地を守り続けた人々の強い絆の証を伝えていました。
灯台から「本州最東端の碑」がある台地に下りて行く途中に、「ハイビャクシン(這百槙)」と思われる群落がありました。こんなところによくも生えていると感心するほどの場所で、映画の燈台守夫婦に似ているように思いました。
ハイビャクシン*這百槙)ヒノキ科 ビャクシン属 Juniperus chinensis
ふつうは海岸の近くに生える常緑高木の「イブキ(伊吹/白栢)」とも呼ばれている「ビャクシン(百槙)/イブキビャクシン(伊吹百槙)」の仲間とのこと。
横臥性のもので横に広く枝を張るので、「這百槙」の和名がある。葉は鱗片状のものと針状(刺状)のものがあるという。
花期は4月。雌雄別株、まれに同株。球果は直径7~10mmの球形で、翌年の秋に紫黒色に熟し、白い粉をかぶる。ヒノキ科の中でヒノキやクロベ、アスナロなどは、球果が木質で、熟すと鱗片が開くのに対し、イブキやネズの球果は液果状になるのが特徴。分布:本州(岩手県以南)~九州
本州最東端の魹ケ崎(とどがさき)灯台・本州最東端の碑に辿り着くまで
津軽石川が太平洋の宮古湾に注ぐ国道45号線の「津軽石」から41号線に入ると「寒風峠」を経て、山田湾のところで再び45号線に出られる(距離は36.5km)ようなので、狭い道を「どうか対向車が来ませんように!」と祈りながら進行しました。(入って間もなくの「堀内」という所で防潮堤を潜って東進すべきだったのに、間違えて「白浜」の方に進行してしまい少し遠回りしてしまいましたが)41号線から灯台に行く道がある「姉吉キャンプ場」の駐車場に到着しました。
詳しい地図を見ると、重茂(おもえ)漁港~姉吉キャンプ場10.8km間は「自然歩道」があり、姉吉漁港から魹ケ崎灯台までなら3時間で往復できると書いてあります。
妻は「とても無理!」というのを「ここまで来たのだから、せめて灯台が見えるところまで行こうよ!」と促しながら山道を歩き始めました。
しかし、行けども行けども木々に遮られているのか灯台の姿は全く見えず、結局灯台まで行くことになってしまうのですが、途中で「戻ろう」というのを、今度は妻が「ここまで来たのに諦めたりしたらきっと後悔するから行こう!」と逆に励ましてくれました。
この灯台で7年間も過ごした灯台守の妻である田中キヨさんの手記をもとに、1957年に木下恵介監督によって映画化された(「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」とガイドブックで読んだからです。
若い頃封切りの映画を見て感動したこと、先ごろTV(NHK-BS)でリバイバル放映されたのを見て再び感動したことなどがありました。北の地で夫婦(佐田啓ニと田中絹代)が共に悩みながらも助け合い絆を確かめ合った姿が描かれています。
辿り着いた「白亜の灯台」は、丁度修理中で足場が組まれていたため足場で覆われたようになっていました。
灯台には平成8年3月まで航路標識事務所の職員が常駐していたそうですが、今は無人とのことです。
直立する断崖に建ち、明治35年に建てられて以来、被災に見舞われながらも100有余年もの間、航海の安全を祈って明かりを灯し続けています。
姉吉キャンプ場にある上の画像には、本州最東端にある「魹ケ崎(とどがさき)灯台」は、東経142度4分34秒/北緯39度32分46秒の位置にあると記されています。
灯台の南側の断崖30mの場所には、田中キヨさんの筆によるという「本州最東端の碑」が静かにこの地を守り続けた人々の強い絆の証を伝えていました。
灯台から「本州最東端の碑」がある台地に下りて行く途中に、「ハイビャクシン(這百槙)」と思われる群落がありました。こんなところによくも生えていると感心するほどの場所で、映画の燈台守夫婦に似ているように思いました。
ハイビャクシン*這百槙)ヒノキ科 ビャクシン属 Juniperus chinensis
ふつうは海岸の近くに生える常緑高木の「イブキ(伊吹/白栢)」とも呼ばれている「ビャクシン(百槙)/イブキビャクシン(伊吹百槙)」の仲間とのこと。
横臥性のもので横に広く枝を張るので、「這百槙」の和名がある。葉は鱗片状のものと針状(刺状)のものがあるという。
花期は4月。雌雄別株、まれに同株。球果は直径7~10mmの球形で、翌年の秋に紫黒色に熟し、白い粉をかぶる。ヒノキ科の中でヒノキやクロベ、アスナロなどは、球果が木質で、熟すと鱗片が開くのに対し、イブキやネズの球果は液果状になるのが特徴。分布:本州(岩手県以南)~九州
本州最東端の魹ケ崎(とどがさき)灯台・本州最東端の碑に辿り着くまで
津軽石川が太平洋の宮古湾に注ぐ国道45号線の「津軽石」から41号線に入ると「寒風峠」を経て、山田湾のところで再び45号線に出られる(距離は36.5km)ようなので、狭い道を「どうか対向車が来ませんように!」と祈りながら進行しました。(入って間もなくの「堀内」という所で防潮堤を潜って東進すべきだったのに、間違えて「白浜」の方に進行してしまい少し遠回りしてしまいましたが)41号線から灯台に行く道がある「姉吉キャンプ場」の駐車場に到着しました。
詳しい地図を見ると、重茂(おもえ)漁港~姉吉キャンプ場10.8km間は「自然歩道」があり、姉吉漁港から魹ケ崎灯台までなら3時間で往復できると書いてあります。
妻は「とても無理!」というのを「ここまで来たのだから、せめて灯台が見えるところまで行こうよ!」と促しながら山道を歩き始めました。
しかし、行けども行けども木々に遮られているのか灯台の姿は全く見えず、結局灯台まで行くことになってしまうのですが、途中で「戻ろう」というのを、今度は妻が「ここまで来たのに諦めたりしたらきっと後悔するから行こう!」と逆に励ましてくれました。