ランシモ

ランニングからツチノコカメラや時事まで興味あるすべて

宮城県山元町の「つばめの杜」復興住宅で文化祭

2018-02-03 21:28:49 | 日記・エッセイ・コラム

宮城県山元町は、先の東北大震災で津波に町を流されたりして大被害を受けました。


県と山元町では被災者用の住宅を建設し、被災した方々が入居。


「つばめの杜」と名付けられた住宅は、線路を敷きなおされた常磐線の近くにあります。


津波の威力はすごくて、常磐線は線路ごと列車も駅舎もずたずたに流された。


それで、海近くにあった線路を山側に敷きなおした。


住宅地も海近くは居住禁止にして、山側に新規に町営住宅地を作った。


分譲もあるが借家もある。


2011年の災害直後の数か月は、釜石や気仙沼の映像がすごくて注目が全てあちらにいって、救援活動やボランティアが足りなかった。それに暴発した福島第二原発が比較的近かったので、マスコミも敬遠して入らなかった。被害の大きさの割に報道されなかった地区でした。




今回は、復興住宅(町営住宅)で町民による文化祭があると聞いて駆け付けました。



集会所も真新しい。


自然発生的にできたタウンじゃないので、こんな形の集会場は必要です。


居住者は、基本的に災害に合われた方たちだけです。



つばめの杜とは、、、仙台は杜(もり)の都って言われますから、、、杜は森と若干意味合いが違って、神社などのような閉ざされた林という意味合いがあるようです。



学校の文化祭をスケールダウンした感じです。


出展者は流されたり破壊されたりした今までの生活から、新しい町営住宅で生活を始められて、、、どんな感慨があるやかも。


そんな中で、手芸や絵の制作に取り組んでいたり、その発表の場を設けて町内親睦ですねーーー。


文化祭に出展されている方のお話を聞くと、新しい生活に前向きに生きていて、、、。


みなさん年配者が多いのは当然のことで、伴侶をなくされた方が多い!


それで新しい生活を始めなきゃいけないのだから、その心身ダメージたるや相当です。


男やもめの方は、どうしてもお酒に飲まれる方が多いようだ。


この雪まじりの寒空の中、玄関外の植え込みの花壇に、座り込んで呆然としている爺がいらした。


あれじゃ体が凍えて死んじゃうじゃないかーーー!


なんと声をかけていいかわからないが、大声で挨拶しておきました。


身につまされるような、、、。



集会所ではいろんな企画を出して、家の中で1人っきりにならないように誘い合っています。


男はとくに7年前までは1軒家の主人だったのだもの、、、。



猫・百面相?



刺繍や縫物です。


手芸や物作りをしていると、没頭しますから全てにいいのでしょう。



端切れから楽しい人形ができました。


こう見てくると、逆境には女性が強そうだなー。


逆境に耐性があるというか、おかれた環境でも生きて行くたくましさがある。


男は妻をなくすと、、、からっきし元気がなくなるのが常、、、むろん例外はありますけどね、元気はつらつ爺ちゃんなんてねーーー。



猫爺さんのイラストに皆さん興味津々で、お話に耳をそばだてていました。


こうなると、、、猫爺先生ですね。



額縁に入れると、より偉そうに見えます。



布の端切れで作られた大作です。


今回、、、見て回ってお話を聞いて、、、1番感激したのがこの方が作られた、、、気仙沼港の思い出の布切れイラスト。


気仙沼に生まれて山元町に嫁いで50年ぐらいになるだろう。


気仙沼の当時の思い出でを、布の端切れでイラストを描かれていた。


気仙沼は、、、東北沿岸の中でも災害が一番ひどかった場所の一つで、昔の思い出の街は無に帰しています。


その遠くの思いを、宮城県山元町の町営住宅で、こつことと描き上げた。


山元町の町営住宅に入居しているということは、家を失ったということですから、、、その思いはいかばかりか。


思いでの気仙沼はがれきになり、50年間住んだ山本町の家(家族も?)を失い、、、なにを思って生きていくのか。


女性は強いなーと思います。


淡々と歴史の流れに逆らわず、ただ流れに乗って生きていく、、、。


女性は、力や大声を出したりというのではない、どんな逆境でも生命体として生きていくことができる。


痛恨のミスは、その気仙沼の思いでの布イラストを撮影してこなかったこと!


よくあるなーーー痛恨ミスが、、、。


お話だけ聞いて、うなづいていただけじゃ失格ですね。



猫先生と生徒サン。



山元町の町営住宅はこんな感じです。



ボールペンの外装を木端で作られました。


これは男性の作品で、売り物のように綺麗な仕上がりでした。


木材は、、、もしかして元の家にあった床の間材かな? 



このように元の素材と違う用途に使うのを、アップサイクルというそうだ。


リサイクルは、細かく砕いたり溶解して原料に戻すことで、リメイクは同じ用途のものに作りかえることをいうそうだ。


新しい生活を作っていくことが復興ですから。


最後に、、、町民に配布された緊急ラジオ。



この山元町では、津波の時に緊急町内放送が流れたが、音が割れて聞き取れなかったそうです。


緊急放送は何を言っているのか、全くわからなかったそうだ。


たぶん、他の町々も同じだったのではないか?


緊急放送設備はあっても、机上ではOKなことが、実際の現場では不具合が起きることがある。


この緊急ラジオもさほどの意味はないだろう。


ここ5年、10年は災害の記憶があるからいいけど、50年、100年経った時には、このラジオ自体が消滅しているだろうし、記憶も薄れてどうなっているかわからない。


なんだか、付け焼き刃みたいなグッツです。


もしかして、業者さんをもうけさせただけ?


ともあれ、山元町の方々は立ち上がって歩き始めていました。


つばめの杜(PDF)


http://www.town.yamamoto.miyagi.jp/uploaded/attachment/6887.pdf#search=%27つばめの杜+文化祭%27


2011年5月 津波の後かたずけにいく 常磐線の線路、鉄橋がなくなっていた


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/89d0756555ff74499e7d3b70f11afd85


2011年 東北震災直後の写真です



常磐線の線路は海側を通っていたので、線路はほとんどが切られて流されていた。


だいたい元の位置から500mは流されている。



国道6号線


海からはかなり離れていたが2~3kmだが、津波は国道を超えていった。


ただ津波の威力は、ここまで来ると弱くなっていたようだ。



船でもぶつかったのか鉄筋の電信柱がボキボキに折れていた。


学校の2階ぐらいまで水は来たようです。



何ともすえたような匂いがします。



この鉄塔が倒れて原発へ電力供給できなくなって、原発の予備発電機の燃料が1日で無くなり、それで冷却不可能になり爆発した。


いろいろな要因があって原発が爆発したのだ。


考えてみれば予備の発電機の燃料が、1日分しかなかったのもドジな話。


鉄塔が倒れるということも予測していなかったようだ。


原発も鉄塔も電力会社のものだし、、、。


原発の炉心自体に損傷はなかったというけど、他の要因が重なったわけだ。



家の土台だけ残して、根こそぎ流していった。



ここだって海からは1.5kmは離れている。


大変な災害だった。


日本は天災の多い土地なので、もう一度対策をとるきっかけにはなっただろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤坂うまや、和食

2018-02-03 10:08:25 | グルメ

赤坂うまや新宿店でランチ。


私が外食できるのはランチだけです。


夕食時は仕事上、会社にいることが多いからだ。


うまや新宿店は、新宿駅南西にあたるかな、JR九州ホテルブラッサムの1階にオープン。


赤坂うまやというけど、発祥は九州博多のようです。


市川猿之介監修のランチ「楽屋めし」で有名です。


じゃーん



楽屋めしですよ~~~。


初めて聞く言葉で、楽屋内で食べるめしということなのか。


歌舞伎見物などの幕間に客席で食べるのが、幕の内弁当だから、幕の裏側で演者さんたちが食べるのが「楽屋めし」


さてさて、「幕の内弁当」と「楽屋めし」はどっちがどうだ~~~。



うーん盛りだくさんですね。


具沢山と言いますか、幕の内はこじんまりしているが、楽屋めしはてんこ盛りだなーーー。


欲張りめしとでも言いましょうか。



数が多くて、色とりどりで楽しいでしょ。


食べてみると、ごく普通のお惣菜で、とにかく品数があるって感じかな。


明太子が「うまや」が九州発祥のあかしか。


基本、懐石料理のように1品1品凝った料理じゃなく、庶民的な1品づつと言った感じ。


高価な食材を使ったわけでもない。


歌舞伎役者さんは昼にこんなものを食べるのか、、、と想像して食べる楽屋めしなんです。


普通人は幕の内弁当を食べながら、市川猿之介さんは何食べているんだろう、、、と想像しているだけです。


それを食べれるのだから、そのことだけでも価値がある。


とまあーーー考えるわけだ。



ご飯は白飯と麦飯が選べます。


たまには、こんなところで「おばちゃまがた」に囲まれてお食事もいいでしょう。



雪もだいぶ溶けて少なくなりました。



私が着いたときはランチのピークだったらしく、15:00頃には閑散としてきました。


お客さんは年配者や女性だけです。


お隣のマックは若い子ばかりですが、年配者の中に入ってまた~~~りだった。



この店構えには若い子は入らないものねー。


特別に変わった料理じゃないけど、多品目が食べられて楽しいのでお勧めします。


赤坂うまや新宿店


東京都渋谷区代々木2-6-2 JR九州ホテルブロッサム新宿1階


食べログ


https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13170874/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする