本日、数年ぶりにショパン作曲の《練習曲 op.25-11》
俗称「木枯らし」の勉強をしていたら、
突如!!目から鱗が落ちるような発見がありました。
それは、
この音楽の「拍感」に関する問題です。
名曲《木枯らし》、
右手のパッセージが、無窮動な連符なのが特徴の練習曲ですが、
この連符の成り立ち方に、今一度注意を払ってみました。
この音型は記譜上、
6つの音が四分音符1つ分となる「六連符」として書かれています。
ところで、基本的に六連符は「3音+3音」というまとまりで
捉えられるものではなかったでしょうか。
ところが、この曲《木枯らし》において、
我々がそのように音を捉えているかどうかというと・・・
そうではない場合が実は多いのではないだろうか!?と
疑念がわいてきたのです。
このパッセージの音型を詳しく見てみますと、
四分音符2つ分の六連符、計「12音」の中に、
「4つの音のまとまり(ポジション)」が「3回」続いているものとなっております。
「4つの音」は指番号でいうなら代表的なものは「5241」です。
4つの音が、指の動きのまとまりとして感じられるポジションであって、
それが3回続いたときに、計12音で、四分音符2つ分が進んだこととなります。
ゆえに、まとめると「4音×3ポジション=計12音(=四分音符2つ分)」
といえましょうか。
この「4音まとまり」は、とても面白いことに、
Allegro冒頭からの「半音階的な下行進行(ポジションは
密集している感じ)」においても、
その4小節後に現れる「アルペジオ的な上下行(ポジションは
広い感じ)」においても、
どちらも基本的には同じような指使いの「4音まとまり」となっているのです!
そして特筆すべきは、
両者は違う音型でありながらも、どちらも使われる指使いの順番は
基本的には「5241」と同じであること・・・
半音階的に狭い範囲でちょっとずつ下りてくる音型と
1拍の間に一気に2~3オクターヴも駆け上がり・下がる音型が
同じような指使いだなんて!!
ショパンの鍵盤の扱い方の妙技、
複雑に見えても実は合理的でありシンプルでもある、
これまさに高度なピアノ演奏芸術であることの証拠と
いっても過言ではないでしょう!
このまとまり・ポジションの感覚を修得することは、
この難曲《木枯らし》を弾くための必須条件であるでしょう。
しかし、ここからが本日の問題・・・
このポジション感覚が、この音楽の「拍感」としてそのまま対応するかというと・・・
必ずしもそうは言えないのではないだろうか!?という疑問が、
先ほど湧いて出たのです・・・
そしてその疑問を解く鍵は、冒頭に挙げました、
六連符は「3+3」という音型の捉え方にあります…
この曲において、指の都合としてのポジションは前述しましたように
12音を「4+4+4」としてまとまってパッセージが動いてゆきます。
しかし、
六連符が音楽的に「3+3」なら、12音は「3+3+3+3」というまとまりと
捉えるられるはずなのではだろうか!?と、私は初めて考えたのです。
実はこの考察が始まるキッカケは、
再現部の直前に音楽が停滞するところにありました。
「三連符と八分休符」が現れ、突如・・・拍感を失ってしまったのです。
今まで当たり前のように弾いてきた「4音まとまりのポジション」が、
突如現れた「三連符と八分音符」という音型を目の前にした時、
急にわけが解らなくなってしまったのです・・・
なぜわけが解らなくなってしまったのか、その理由を考えると、
それまで、六連符が2回「12音」を「4+4+4」で捉えていた場合、
その拍感をさらに細かく分析してみると
「(2+2)+(2+2)+(2+2)」
という風に自分が感じていたことが窺い知れました。
これは、六連符を「三連符2つ」として捉える拍感となる
「3+3+3+3」とは、ずいぶん違った感じ方となるようです!
六連符2回の計12音を「(2+2)+(2+2)+(2+2)」と捉える時、
四分音符ひとつである1回の六連符の中身は、
「2+2+2」という「二連符3つ」と感じることとなります。
これは、
楽理の基本となる「六連符は三連符2つ」、すなわち
四分音符の中身が「3+3」であるという基本とは
矛盾をきたしてしまいます!!
そして上記の「三連符+八分音符」というショパンの記譜は、
「六連符を三連符2つ」と捉える基本と間違いなく合致しているのです。
よってここに、《木枯し》の右手の音型は、
「3+3+3+3」という「三連符型」なのでは!?という、
私にとっての新解釈が、生まれたのです。
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せっかくの考察中の機会ですので、
今度は指番号の視点からも、この音型を考えてみたいと思います。
指の都合上としてのまとまり・ポジションは
(↑これはこれで演奏上大事なものですが! )、
基本的には12音を指番号「5241・5241・5241」と動いてゆきます。
これを、三連符型の拍感あるまとまりの指番号に直してみると、
12音が「524・152・415・241」という4拍のまとまりとなります。
興味深く思われるのは、
このように12音を4拍に感じることによって、
使われる4本の指は、満遍なく拍頭を担当できるようになります。
拍頭の指番号だけを書き出すなら
「5・1・4・2」となります。
一方、私が数十年に渡って!!《木枯し》を指で感じてきた
ポジション毎のまとまり「5241」が3回では、
強く感じられる指は、毎回ポジション頭の「5」が3回・・・
これだと、気をつける指はポジション頭「5」に集中してしまい 、
その他の指がおろそかになる危険があることが実感され始めたのです。
ところが、4音まとまりのポジションではなく、
三連符としてこの音型を捉えてみた時、
4本の指「5・1・4・2」は、どれも滞りなく、
まろやかに動いてゆけるような感覚が、初めて得られたのです!!
勉強を続けてゆくと、更に興味深い事象が現れてきました。
《木枯し》の4音ポジションは、いつも「5241」とは限らず、
「5241・4251」と入り乱れたり、
途中に「3指」が使われることもあったり、etc...
「4音のまとまり」であることは確かなのですが、
それぞれの音型に使われる指は、ケース・バイ・ケースで、
不規則ともいえる変化をその都度よく調べて分かっておかなければ
上手に弾けないものと思っていました。
しかし今日、「三連符型」であるかもしれないという考察を経て、
鍵盤に向かってみると、
そこに、ある一つの規則性が在ることが発見されたのです!!
それは四分音符の「拍の裏」に使われている指番号。
六連符2回の12音を、三連符4つのまとまりとして、
そのまとまりの頭の指番号を取り上げてみると、
「5・1・4・2」であったり
「4・1・5・2」であったり
「4・1・3・2」であったり
「3・1・5・2」であったり
「5・1・3・2」であったり、etc...
場所によって色々な変化が現れるのですが、しかし、
この中において、変化していない指があるのが、
お分かりになりますでしょうか?
それは裏拍の「1指と2指」なのです!!
《木枯し》曲中、わずかな例外は見受けられますが、
そのほとんど全ての音型において、
四分音符の裏拍は「1指、2指」という順番で現れていることが
見付かったのです!!
そういえば今更ながら考えてみると、
拍頭を担当する指「5か4か3」は、
半音階として降りてくる規則があります。
(この半音階に注目すると、六連符は「二連符3つ」というまとまりに
感じられてしまう原因ともなってしまうようです・・・)
しかし、この3つの頭の音は、使われる指が「5か4か3か」
場所によって変化し、使われる順番としての規則性はほとんど無い
と言えるかもしれません。
しかし、三連符の音型として捉える時、
そこにはハッキリとした規則性が見付かったのです。
それは、裏拍に「1指」次は「2指」という拍感。
ちなみに左手に現れる六連符の指使いを三連符毎にまとめてみると
基本的には「1・5・2・3」となるようで、
裏拍に現れる指は「5と3」となるようです。
(5が4となる場合があるかもしれず、これはまだ実験中です・・・)
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というわけで、
色々な音型の捉え方や各種の数字が入り混じり、
わかりにくい文章となってしまったかもしれず申し訳ありませんが・・・
要は、
六連符を「三連符2つ」と捉えることで、
全く新しいこの曲の指回りが感じられ、
それが実感として音楽がまろやかに進むようで、
しかも裏拍に「1指・2指」という規則性ががあることが判明し、
これは、左手のメロディの形「付点のリズム」か「三連符」か
という関連ともあいまって、
有機的な、本来のこの音楽《木枯し(正式名称は練習曲op.25-11)》の
在り方が現れたのではないだろうか!?と、
発見に心踊った気持ちを、以上、文章にまとめてみました。
P.S.
一所懸命にここまで書きましたが、
このことを既に知っている人が見て「何をいまさら」と笑われて
しまうのではないか!?というつまらない心配もなくはないのですが・・・
少なくとも私自身は、このようなこの曲の捉え方を、今まで教わったことが無く、
また聞いたこともなかったので、自身にとっては「新発見」という興奮を得て、
嬉しく、がんばって書いた次第です。
名曲《木枯し》を弾く一助としてこの体験が何某かのお役に立てたらと
心より願っております。
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