ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

今宵、フィッツジェラルド劇場で

2008年04月11日 | 映画


スノッブなM氏から借りたビデオ、アルトマンの「今宵、
フィッツジェラルド劇場で」をやっと観る。
何故やっとかというと、そのDVDは、ある一台のパ
ソコンでしか観られないから。
そして、そのパソコンがある部屋というのが、暖房設
備が無いので、寒い間はなかなか観ることができない
ということだったのだ。
やっと、なんとか耐えられる季節になった。

「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は、結果的に、アル
トマンの遺作となった作品で、そういうわけでもないだ
ろうが、作品の中にも死の影が漂っている。
まるで、自分の人生にあわせたような内容、遺言のよ
うにも感じるのだ。
彼の死から逆算するから余計にそう感じるというのは
あるが、それまでの作品には登場しない「死神」(ヴァー
ジニア.マドセン)のような、現実の人間ではない登
場人物を使ったりすること自体が、過去の作品とは
ちょっと趣が違うと思わせる。
終焉というテーマが割りにはっきりしている。
元々が無常というものを意識した監督であると思うが、
それがこの作品には充溢している。

長く続いたラジオショーの、最後の一日を描くだけの
作品だが、会話のやり取りだけでそれぞれの人物の人
生を描いてしまう監督の才能は、相変わらず健在で、
まるで非常に良く出来たドキュメンタリーを観ている
ような錯覚を覚える。
カントリー音楽中心のショーであるので、聴衆にキリ
スト教原理主義者が多いであろうことから起こりうる
反応などを皮肉ることも忘れないし、経済至上主義者
の代表としての人間(トミー.リー.ジョーンズ)に
対して、観客がちょっとした溜飲を下げる運命を与え
たりと、随所にアルトマンらしい演出が施されている。
それにしても、あまりに最後の作品らしい。
過去の作品の中で一番とは言わないが、こういうのが
佳作中の佳作である、と言えるのではないか。
どうしても、しみじみしてしまう(映画そのものは決
して情緒的ではないが)映画である。

そしてそのDVDには、ジャック.タチの「郵便配達
の学校」という映画も録画してあった。
ついでにそれも観る。
喜劇であるが、真のアクション映画とはこういうもの
か、と思わずにはいられない。
喜劇で、こういう疾走感のある映画は、今では多分不
可能。
なんでもCGでできてしまうから、今の映画からは肉
体性が消えてしまっている。
やはりキートンかジャック.タチか、である。
志村けんとの差は大きい。




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