ストローブ=ユイレの「アンティゴネ」、ブレヒトの
改訂版ということだが、円形劇場で同じものを上演し、
映画も同じ場所を使い舞台と殆ど同じ、か?
しかし、残念ながら「アンティゴネ」に関する知識が全
く無く、ちょっとお手上げである。
兎に角、睡魔が襲う。
それにしても、何故このDVDを買ってしまったのか。
「ブレッソン」の魔力だったのか。
「たぶん悪魔が」。
「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」の方ににす
ればよかった。
ストローブ=ユイレやブレッソンなどは、気楽に観ら
れない映画の代表だと思うが、流石にそれが続くとき
つくなることはある。
映画を観るのが苦行では、何か本末転倒のような気が
するが、娯楽的な面白さではない面白さというのは、
そういう映画ならではなものだから、一瞬苦行か、と
思うような瞬間がたとえあろうが、結局は止められな
いのである。
映画の可能性というのを求めるか求めないかで、大き
く変わるところである。
普通に、ハリウッド映画だけを楽しめるんだったら、
こうはなってはいないということだが、それの方が幸
せかなと思うこともある今日この頃である。
ただ、映画少年Yのように、絶えず注入しないと死ん
でしまう(中毒に)という風にはなっていないので、
その点では大分益しだ。
観ない時は、何ヶ月も観ないし、それで平気なわけだ
から。
こういうのは、全てに共通することで、例えば本でも、
べストセラーしか読まないという人もいれば、そうで
ない人もいる。
自ずと、経験するものは違ってくる。
類型で満足できるか出来ないか、という風に言い換え
ても良いかも知れない。
これは、結構はっきりしているのではないか。
つまり、類型からはみ出すのがすべての不幸の始まり
なのである、とも言えるのだ。