そして遂にユーロスペースでの白夜。ざっと見て三分の一くらいの入りである。平日昼過ぎでこの映画だ、まずまずの入りではないだろうか。それより客層でちょっとびっくりしたのは、60歳以上(多分)の女性客がいやに多いと言う事実だ。これは個人的にブレッソンでイメージする客層とは違った。イメージする客層と言うのは、同じ映画好きでもかなりうるさ型で、フランス映画と一纏めにしてほしくない、同じフランス映画でもピンからキリなんだから、と思っているような主に男で、女性だったら30代40代の人たちなのである。想像するに、今回の映画、原作がドストエフスキーということで、ブレッソンをあまり知らない、元正統派文学少女が見に来たのではないだろうか。そんなことを考えているうちに本編が開始した。
主人公(画家)が、何故か郊外にヒッチハイクに行き戻ってくるという場面から始まる。相変わらずの、唐突な展開である。何しに行ったかと言うと、草原ででんぐり返しをするためだ(実際にそうなのかは分からない)。そしてある夜、ポンヌフ(パリにある有名な橋)で、自殺しそうな女性を救う(多分)。そこから画家と女性の4夜が始まる。その最後の夜までの出来事を、劇的にではなく描く。全体の雰囲気はその後の作品たぶん悪魔がやラルジャンに似ていうるのだが、唐突さと言う点ではこれが一番かもしれない。何故そう感じたかと言うと、この百夜では、ブレッソンとしては珍しく、音楽歌が頻繁に挿入され、しかも女性の裸体をなめるように撮っている場面まであるからだ。歌が入ったブレッソン映画は他にあっただろうか。それと女性の裸体だが、過去裸体は、確かバルタザール何処へ行くと湖のランスロで一瞬出たくらいではなかったか。今回は、明らかに嘗め回すような撮り方だった。それらの場面が、所謂普通の映画のショットのようで、ブレッソン映画と言うことを一瞬忘れさせるのだが、直ぐにいつものブレッソンにもどり、その落差が唐突さをより感じさせるのかと思った。
女性は徐々に画家に対して愛を感じ始めるのだが、結局は、自殺しようと思った原因となった、女性の家の下宿人である学生に再会しそちらに行く。この辺りは君の名はと同じようなお話でもあるのだが、画家にとってはたった4日の出来事に過ぎない。しかし、画家の妄想は着々と積みあがっていく。自分の声をテープに録音しいきなりバス内でかけたり、それをバックに絵画制作に励んだりと何故?というショットが続く。つものブレッソンである。世界は、意味だけで出来ているわけではない。意味を見つけたいだけである。と、言いたいのかどうかは分からないが、これがブレッソンの世界なのである。
帰りに、近くにあるヴィロンでレトロドールのバゲットとニソワーズのカスクルートを買う。レトロドールはヴィロン専用の小麦らしいが、確かに味に深みがあり美味しかった。