ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【練】ぴかりんはやっぱり一人ぼっち。。。

2007年07月20日 23時18分31秒 | 練習記録
♪ブリランテ練習 2007.7.20(金)18:30-20:45@二条小学校(札幌)
曲 トゥーランドット(オケのみ1→2→3幕・部分的に抜き出し)

 参加できる練習が本番まで残り二日のみ。個人でさらう時間もなく、このままではヤバいと平日にもかかわらず急遽参加することに。
 練習会場についてみると、「今日はバイオリンがゼロかもしれないので、皆喜んでますよ」と声をかけられました。…って、エエエ~!?!? みなさ~~ん……本番まであと一週間とちょっとですよ~~~ とは言っても、7月は本番・弦練含め計15日間の練習日があるというハードスケジュールなので無理もないか。
 オペラ工房ブリランテ代表H女史による、部外者にはよくわからぬお話の後、練習開始。さて、チューニング。バイオリンが私のみなので必然的に私がその係。と、管楽器を見渡すとObはいないけどなぜかコールアングレさんがいる。。。ではお願いします、A~♪ コールアングレからチューニングなんて初めてです。
 練習開始時にはVnは私のみで、Va-3,Vc-1,CB-1,管10人弱という編成。キビシ-! 開始数分でバツーン! E線切れるし。今日はしばらく放ったらかしにされていた2nd(?)Vnなので弦が錆びてしまっていたんでしょうね。
 途中からコンマス君が来てホッと一息。一応、家では暇があると録画してあるトゥーランドットの映像を流すようにしてますが、やはりろくに練習に出ていないので音楽の流れについていくのは大変です。ほとんど何が飛び出してくるかわからない視界ゼロの濃霧の中を運転するような感覚。頼りになるのは指揮のみ。なぜか以前より少し弾きやすくなったように感じましたが、全体的にテンポを落とすようにしたようです。トゥーランドットなんてもちろん弾くのは初めてなので、比較対照が無くよくわかってませんでしたが、以前はかなり早めのテンポで進めていたようです。歌が入った練習にはまだ一度しか参加していないわけだが。。。う~~ん。やっぱりキビシー!
 休憩時の連絡にて、次回来年3月の演奏会の曲目募集の締め切りが今日までだというので、思わず「チャイ4!」と叫んでしまった。冗談ですよ。冗談。
 練習時、外から花火大会の花火の音が盛大に聞こえてきました。そういえば会場に向かう道すがら、これから待ち合わせ場所に向かうであろう浴衣を着た女の子が、路面のホームで電車を待つ姿を車中からチラホラ見かけたっけ。。。

(*´∀`*) ええのう~~

オペラ工房ブリランテ公演『トゥーランドット』 2007.7.29(日)@札幌サンプラザ
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 懲りずに、ただいま呪いのメガネ装着中。弦は切れるし、携帯充電器は忘れるし。。。この土日に連絡が取れなくなっても単なる電池切れですので御心配無く~♪ 【関係者の皆様へ業務連絡】
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【本】ぼくの命を救ってくれなかった友へ

2007年07月20日 21時38分13秒 | 読書記録2007
ぼくの命を救ってくれなかった友へ, エルヴェ・ギベール (訳)佐宗鈴夫, 集英社文庫 キ-11-1, 1998年
(A L'AMI QUI NE M'A PAS SAUVE LA VIE, Herve GUIBERT, 1990)

・日本でいうところの、『芸能人の曝露本』といった内容でしょうか。フランスの作家である著者のエイズ感染や同性愛の告白を織り込んだ作品。著者自身の闘病記(ノンフィクション)を想像していましたが、体験に基いた創作小説という雰囲気です。カバー紹介文には「一大センセーションを巻き起こし、」の文字があるが、今読んでみると、特に胸に迫るような場面があるでもなく淡々とした展開で、そういう作風なのか一部支離滅裂の印象もあり、そんなに話題になる程の内容だろうかと思えます。出版当時はまだ、エイズが目新しく物珍しい病気だったという時代背景の違いのせいかもしれません。
・「この本は、病人なら誰もがいだいているこの不安な気持ち、そのあいまいな境目のなかでしか存在理由をもたないと思っている。」p.9
・「はじめて、心底からつらい思いを味わった。できるかぎり本を書きたい。死を宣告されたせいで、きゅうにそんな気持ちになった。」p.73
・「彼がいなくなると、気分がよくなった。最良の看護人は自分だった。ぼくの苦悩など、誰もわかってくれないのだ。」p.182
・「ジュールはぼくたちが感染していないと思いこんでいたとき、エイズのことをすばらしい病気だと言った。たしかに、この恐ろしい病気には、なんとなく甘美なもの、魅惑的なものがある。もちろん、いたましい病気ではあるけれど、急死することはないのだ。確実に死にいたる途中に踊り場やひどく長い階段があり、階段の一段一段は死への比類のない見習い期間であった。死ぬ時間をあたえてくれ、死人に生きる時間をあたえてくれる病気、時間を発見し、つまり生を発見する時間をあたえてくれる病気だった。アフリカミドリザルが広めた、いわば現代の天才的な発明である。」p.194
・「死病を自覚していく局面でいちばんつらいのは、たぶん遠景の喪失だろう。病状の悪化と、それとときを同じくして起こる時間のちぢみのなかで避けることのできない失明のように、ありとあらゆる遠景が失われてしまうのだ。」p.209
・「AZTの投与をはじめるまえに、じっくり考えさせてもらいたい、とぼくはシャンディ先生に言った。治療をうけるか、自殺をするか、つまり、治療をうけ、生きていられる期間をのばして、あたらしい作品を一、二冊ものにするか、それとも、やはりこういった拙劣な書物を書けないように自殺するか、それをはっきりさせると言外に匂わせたのである。」p.217
・「自殺は健康な人間の反射的行動だった。病気のせいで自由に自殺できなくなるときのことを、ぼくは恐れていた。」p.219
・「「きっとエイズはアメリカ人を大量殺戮するだろう。アメリカ人は犠牲者のターゲットをはっきりしぼっている。麻薬患者に、同性愛者に、囚人なんだ。ほうっておけば、そのうちエイズがこっそり片づけてくれる、静かに、そして、ひそかに。」p.255
・訳者あとがきより「さて、本書ですが、エイズ感染があきらかになった年の十二月、ローマで書きはじめられ、二年後の1990年にガリマール社から刊行されて、それまでは一部の文学関係者に高く評価されていただけで、「本の売れ行きがあまりかんばしくなかった」ギベールを一躍ベストセラー作家にした、まさしく彼の代表作とも言うべき作品です。」p.298
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