ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【演】夕張メロンオーケストラ 2008

2009年10月13日 22時00分18秒 | 演奏記録
夕張メロンオーケストラ 2008
2008.7.27(日)13:30開演, ゆうばり市民会館大ホール, 入場無料
指揮 菊地俊一・鷲見英夫[*], 演奏 夕張メロンオーケストラ・夕張メロンブラス[*], パート Viola[†]

【第1部】
J.ハイドン 交響曲第94番 ト短調 「驚愕」
吉又良作 作曲/高木登古 編曲 NHK大河ドラマ「篤姫」オープニングテーマ 他[*]
【第2部】
P.チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」作品71[†]
1.小序曲
2.特徴のある舞曲
(1)行進曲
(2)金平糖の精の踊り
(3)ロシア舞曲・トレパック
(4)アラビアの踊り
(5)中国の踊り
(6)葦笛の踊り
3.花のワルツ
アンコール チャイコフスキー 「くるみ割り人形」よりトレパック

   
・第3回目の "メロンオケ"。指揮・演奏指導をする菊地俊一先生の「夕張メロンを食べながらオーケストラで遊ぼう」の呼びかけで全国から募ったメンバーにより、夕張にて二泊三日の日程で合宿と演奏会を行う企画。私は1,2回は参加しましたが、今回は所用あるため不参加。しかし、三日目だけは時間があったので、ちょっと夕張まで足を伸ばして覗きに行ってみました。
・予想外に早く会場に到着し、まずは参加の方々へ挨拶周り。顔を出すことは事前にごく一部にしか伝えてなかったので、菊地先生を含め、大概の方々は「おー! 来たか!」と驚いてらっしゃいました。「何で参加してないの!?」 等お叱りの言葉多数。申し訳ありません。そんなこんなで、結局「くるみ割り」のみ、ビオラで飛び入り参加することになってしまいました(半分予想はしてましたが)。(注:たまたまビオラに座席の余裕があったことと、過去の参加実績があっての飛び入り参加なので、原則としては飛び入り参加は不可です。また、参加費用も運営側と相談して必要分を支払っています)
・「くるみ割り」のリハーサルまでちょっと時間があったので、カメラを片手に会場周辺を散歩。
【写】夕張市民会館付近
 
・開演前には食堂で皆でお弁当を。飛び入りの私は外へ食べに行くつもりだったのですが、「ぴかりんさん、このお弁当食べてください!」とどこからか捻出してきてくださいました。またまた申し訳ない。
・メロンオケ参加者数:Vn-19,Va-6,Vc-7,CB-1,Fl-6,Ob-2,Fg-4,Cl-6,Sax-2,Tp-2,Hrn-9,Trb-3,Eup-1,Tub-1,Per-3,Key-1 計73名 少々コントラバスが寂しいが、概ねバランスのとれた数。特に調整をしたわけでもなく、参加応募数は自然とこの人数に落ちついたそうです。

●ロビーコンサート:ホルン9名によるアンサンブルで、来場客をお出迎え。曲目失念。

●驚愕:この曲は降り番なので、舞台裏より写真撮影に専念。(部分的に)有名で、聴く側にとっては良いかもしれないが、弾く側にとっては怖ろしい、アンサンブルのボロが出やすい難曲。合わせ練習が三日しかないとなれば尚更。3楽章の装飾音の扱いが統一されていない等、細かい所を見るとほころびがあちこちに。

●篤姫:地元吹奏楽団指揮者の指揮により、地元吹奏楽団(夕張市民吹奏楽団)のメンバーが混じっての管楽器セクションによる演奏。
・休憩あけ、チューニングをしようとした瞬間2ベルが鳴り、ステージ上の一堂ズっこける。
●くるみ割り
・菊地先生の解説と供に進行。この解説が長(略
・小序曲:チェロにとっての難曲。出番の無い間、どれだけ悠然と構えていられるか!? 見せ場である subito piano がイマイチ決まらず。
・行進曲:出だしのトランペットが "当たる" かどうか、ドキドキ。無事クリア。
・花のワルツ:くるみ割りが唯一の出番の自分にとっては、Vaのオイしいメロディーが唯一の見せ場。途中、Vn2のSoliが見事に沈没。同様の経験があるので気持は分かります。
●アンコール:トレパックを快速テンポでもう一度。

・客数100名強[目測]:大入り満員! とはいきませんでしたが、客席からはとても温かい拍手をいただきました。
~~~~~~~
<今後の課題>
 同イベントが三回終わったところでの私感をメモ。
・各人のレベルに応じた参加形態を:「朝から晩までの練習はキツイ、もっとのんびりしたい」という人から「出番が少なく物足りない」という人までいろいろな人が集まってくるわけですが、それらの要望を少しでも吸収するために、プログラム構成を次のようにはっきりしてはどうか。
(1)ロビーコンサート(任意参加)
(2)オケ・序曲、小品ほか(任意参加・または選抜制)
(3)ブラス(管全員)
(4)オケ・メイン(全員)
現状は(3)(4)がはっきりしていて、(2)が全員参加で、(1)が曖昧。(1)の小編成アンサンブルをもうちょっと組織立って計画すれば、かなり充実しそう。
・参加は新規応募者を優先に:現状では、参加者募集時に過去参加者を優先させているが、これを、運営の要職や夕張地元民を除いた部分は新規の応募者を優先的に参加させてはどうか。この種のイベントは参加者が固定してしまうと、どんどんマンネリ化し活力が失われてしまう危惧あり。

★関連リンク:2007年の様子 → 【演】夕張メロンオーケストラコンサート 1・2

   
コメント (3)
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【本】ケインズを学ぶ 経済学とは何か

2009年10月13日 19時20分54秒 | 読書記録2009
ケインズを学ぶ 経済学とは何か, 根井雅弘, 講談社現代新書JEUNESSE 1302, 1996年
・20世紀最大の経済学者ケインズの紹介を通して、近代経済学の流れを示した入門書。ケインズの生い立ちやその人となりの紹介部分はまだついていけるが、2章以降の経済学の中身についての記述になると、私のような門外漢は完全においていかれてしまう。講談社現代新書の中でも "JEUNESSE" マークのついたものは良書が多いので期待は高かったが、その期待に応えられる内容ではなかった。
・「というのは、この本のねらいが、ケインズについての先入観をできるだけ抱かせることなく、みなさんをケインズの世界に招待することにあるからです。」p.10
・「私には、ケインズこそ、理想的な経済学者の要件を最高に満たした人物だったように思えるのです。私がこの本を書く気になったのも、そのことを高校生のような若い人たちに伝えたかったからにほかなりません。」p.13
・「ところが、ケインズの確率概念は、そのどちらとも違うものなのです。それどころか、彼の確率概念は、以下に述べるように、正確な測定が不可能であるという意味で、そもそも明確に定義することができないものなのです(ここに、私たちは、ムーアの善定義不可能説の影響を見て取ることができます)。  ケインズの考え方は、かいつまんで言うと、ある所与の前提命題 h から結論命題 a を導き出す「推論」(argument)にともなう「合理的な確信の程度」が「確率」であるということになるでしょうか。ケインズは、これを P(a/h) と表わしています。これは、もし a が h から確実に導き出されるならば1、反対に a がけっして h からは導き出されないならば0となりますが、しかし、この意味での「確率」は、一つの数値を持つとはかぎらないというのが、ケインズの主張です。彼は、「確率を測定しうるどころか、われわれがそれを一定の大きさの順序につねに配列することができるということさえ明らかではない」とまで言っています。  ケインズは、さらに、推論にともなう「重み」(weight)というものも考えています。これは、いわば、推論における前提となる知識の絶対量であり、ケインズは、これを V(a/n) と表わします。つまり、何か新しい知識が付け加わると、推論の「重み」が増したと考えるわけです。」p.51
・「では、金本位制度とは、どのような制度なのでしょうか。それは、簡単に言えば、一国の通貨が中央銀行の保有している金の量によって制限されるような制度のことを指しています。」p.69
・「ケインズが生きた時代は、まさに、「パックス・ブリタニカ」から「パックス・アメリカーナ」(Pax Americana)への転換期でした。ケインズは、第一次世界大戦がもたらした「変化」を敏感に感じ取った点において、19世紀の「パックス・ブリタニカ」に郷愁の想いを抱くだけの懐古主義者とは明確に区別されなければなりませんが、それにもかかわらず、彼の残りの生涯は、あくまで祖国の利益を守るために捧げられたと言ってもよいのではないでしょうか。」p.87
・「私たちは、前の章において、『貨幣改革論』(1923年)のケインズが、イギリスの旧平価での金本位制度への復帰に反対する論客として登場したことを見ましたが、その例に限らず、彼はつねに折々の経済問題に取り組み、その思索の成果を「説得」という形で大衆に訴えかけたきわめて実践的な経済学者でした。しかし、彼は、そのような実践活動にたずさわるものとしてはきわめて異例なことに、結局は、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)――以下では、『一般理論』と略称します――において、単に実践的のみならず正統派経済学の思考法を根本的に否定する「新しい経済学」を樹立するというアカデミックな仕事を成し遂げたのです。」p.102
・「ケインズは、かいつまんで言うと、投資決定の問題を次のように考えました。すなわち、企業家は、投資から得られると予想される利潤率――ケインズは、これを「資本の限界効率」(marginal efficiency of capital)と呼んでいます――と、金融市場で決まる利子率を比較し、前者が後者よりも大ならば投資を拡大、後者が前者よりも大ならば投資を縮小するというように行動することによって、結局、両者が一致するところまで投資をおこなう、と。」p.133
・「『一般理論』以前には、政府が国民の雇用を保障する義務があるという発想はけっして出てこなかったものですが、それ以後になると、例えば、イギリスの『雇用政策白書』(1944年)やアメリカの「雇用法」(1946年)をみればわかるように、政府ができるだけ高く安定した雇用水準を維持する義務があるという考え方が一般にも認められるようになったのです。」p.151
・「みなさんも、おそらく次のような感想を持ったのではないでしょうか。すなわち、マネタリズムにせよ供給重視の経済学にせよ、古くからある貨幣数量説の現代版であったり、「供給はそれみずからの需要をつくりだす」というこれも同じように古い「セイの法則」の現代版であったり、いずれも、ケインズが「古典派」と呼んだ経済思想の復活なのではないか、と。そのとおりです。経済学では、古い思想がたえず新たな装いの下に「最新理論」として何度も復活してきますが、これを知ることも、経済学の歴史を学ぶ楽しみの一つかもしれません。」p.172
・「1944年の秋のこと、ケインズは、世の中で「ケインジアン」と呼ばれている人々と自分自身がいかに異なっているかを嘆息しながら、「私は、現在、ただ一人の非ケインジアンであることがわかった」と述べたというのです。そういえば、あの『資本論』の著者マルクスも似たようなことを言ったと伝えられていますが、どうやら、私たち凡人は、天才の思考の速度にはとうていついていけないものなのかもしれません。」p.181
・「モラル・サイエンスとは、かいつまんで言えば、アダム・スミスやディヴィッド・ヒュームの時代から続く「モラル・フィロソフィー」(moral pholosophy)の系譜に連なるもので、社会の一員としての人間を取り扱う学問を指しています。したがって、経済学が一つのモラル・サイエンスであるという場合、その意味するところは、人間社会の現象を経済的側面から研究する学問ということになるわけです。」p.183
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【写】さっぽろ湖(札幌)後編

2009年10月13日 08時14分53秒 | 撮影記録2009
●さっぽろ湖(札幌)後編 撮影日 2009.5.5(火) [Yahoo!地図]
・さっぽろ湖ドライブ、後編。

・展望台を第4、第3と周り、第2は飛ばして最もダムに近い第1展望台にやってきました。
 
・あちらに見えるのがさっぽろ湖を造る定山渓ダム。
 
・上流方向の眺め。

・『小天狗トンネル』入口。
 
・遠くに見える山々と土が露わになった湖岸。

・湖岸の斜面には木の根があちこちから顔を出していました。
 
・向こうに見える山々と水面のアップ。こちらに溜まるのは小樽内川の水。
 
・定山渓ダムの上は道道1号線として車道になっています。
 
・駐車場の片隅に設置された『さっぽろ湖』のモニュメント。
 
・『さっぽろ湖案内図』と『定山渓ダム』の概要。
 
・『木挽大橋』
・この後、ダム下の公園にも寄ってみましたが、時間切れらしく門は閉ざされていました。こちらについてはまた後日訪れたいと思います。

[Canon EOS 50D + EF-S18-200IS]
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