火の路(上)(下), 松本清張, 文春文庫 ま-1-29・30, 1978年
・昭和48年から49年にかけて朝日新聞に連載された小説。飛鳥地方の謎の石造物『酒船石』を題材とした歴史サスペンス(?)。同著者の本領である推理小説の要素も含まれるが、実質、考古学趣味が長じた結果発した著者の仮説を、小説の名を借りて発表したというような、妙な雰囲気の作品になっている。日本だけでなくイランまでもを含めた古代史の話は興味深く感じられるが、小説として見ると話の流れに不自然な展開が目につき、作品としてのまとまり具合は今一歩の印象。登場人物の関係がやや複雑で、一部(容貌の似た姉妹の周辺)よく理解できぬうちに読み終えてしまった。スッキリとしないもやもやとした読後感が残る。
・「「天皇陵の石室の中には副葬品があまり残ってないのじゃないかというのが学界のほぼ常識のようですな。あまり大きな声では言えないけど」 「天皇陵でもそうかねえ」 福原は未練気に言った。「祟神天皇陵と名がついて決まったのは幕末ですからね。それまでは誰の墳墓やら知る者はいない。飛鳥にある天武・持統合葬陵というのは鎌倉時代に盗掘に遇ってその記録が残っているそうですよ。まして室町からつづく乱世、江戸の将軍さま時代にはこの辺の住人によっていまの天皇陵と名のつく古墳のほとんどは盗掘の憂き目に遇っていると思いますな」 「宮内庁あたりが考古学者に学術的な調査発掘を許さないのは、一つには、そういう負い目があるからだろうという推測をぼくも或る学者の話で聞いたことがある。宮内庁では御陵参考地というのも掘らせない。あれも同じ理由だと言っていた。しかし、そういう副葬品というの、宝ものはどこに行ってるんだろうな?」 「古いのは好事家の手にわたり、転々として金持の家や博物館などに入り、わりかし新しいのはその趣味の財産家に納まっているんじゃないですかな」 「今は盗掘はやってないだろう?」 「警察や村民の眼がうるさいですからな。とくに天皇陵というのは国民に特別な観念がある上、宮内庁の出先機関の職員が絶えず巡回しているから盗掘はできないでしょう。さっき、ぼくが言ったのは、この中にアベックがもぐりこむくらいだから盗掘者も進入できるという可能性を口にしただけですよ」」上巻p.39
・「「そういう脱落した学者の説を下敷きにして論文を書くというのは、どういうことですか?」 「大きな矛盾だ。その矛盾がまかり通るところが学界の特殊性だね。要するに、海津信六の考えをとらざるを得ないくらいに現在の学者、学部や研究所の教授、助教授、講師連の頭は貧弱なんだよ」」上巻p.136
・「要するに、紀にみえる斉明天皇の呪術的な性格、両槻宮の奇怪な工事崩壊、飛鳥石造物の異様性と、この三つをつなぐと、そこに「異宗教」的な体質が推定できるのである。」上巻p.221
・「「……崇神天皇は完全にシャーマニズムの性格で書かれていますが、斉明天皇はそうではありませんね。あれは何か妖怪じみた宗教の天皇になっています。あなたのおっしゃる異宗教という表現はあたっていると思います」 「異宗教というのは、神道シャーマニズムでもなく、仏教でもなく、それ以外の宗教だというところから苦しまぎれに付けたんですけれど」」上巻p.277
・「「胡」は中央アジア以西のイラン族をさす。 胡の風俗は後漢以来、中国では一種の先進文化として受けとられていた。その西域趣味はちょうど明治時代の西洋趣味、ハイカラ趣味のように三世紀以来中国の貴族にもてはやされたのである。胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、葫(にんにく)、胡豆(そらまめ)、胡葱(あさつき)など胡のつく植物や野菜はたいていイランを原産地とするものの名である(ラウファー「シノ・イラニカ」)。中国の胡風の愛好はこのように食生活にまで入ってきた。安石榴(ざくろ)や葡萄もイランからの輸入であった。獅子や駝鳥の動物名もある。」上巻p.341
・「「ゾロアスター教では、火と土は神に捧げる神聖な供物とされています。人が死ねば、その魂は天に上り、残された遺体は醜悪な肉体の殻と見なされています。遺骸が腐敗するのは、魔女のしわざとされています。ですから、遺体を焼くことや土葬にすることは、神聖な火や土を穢すことになるので、鴉に腐肉を食べさせるのです」 「鴉? 禿鷹ではないのですか?」 「鴉です。イラン語でカラーグといいます。KALAGです。大きな鴉です。イェズドやイスファハンの町の中を飛んだり歩いたりしていますよ」」下巻p.30
・「「この飲みものは、いかが?」 シミンは注文した乳色の液体の入ったコップを見せた。 「何ですか?」 「ヨーグルトをタンサンでうすめたのです。ドゥーグというんです。イラン人はこれが大好きなんですよ」 「いただいてみるわ」 ためしに飲んだが、通子はあと口を閉じた。咽喉が受けつけなかった。この醗酵乳は山羊の乳らしかった。」下巻p.48
・「骨によっては白っぽいのもあり、灰色がかったのもあり、黒ずんだのもあり、また飴色がかったのもあった。丈夫そうなのもあるが、ぼろぼろに砕けそうなのもあった。その間に無数の細片が貝殻のように散乱しているのは、それらの砕けたものか、手根骨や足根骨といった細い骨の断片か軟骨の破片と思われた。ここもまた、真上から照りつける太陽が骨の水分を吸収し尽くし、臭気はなにもなかった。 髑髏は、ばらばらに崩れた自身の骨片の中にすわって、二つの黒い洞穴をかなしげに開いていた。 もとより腐肉の一片も付着してなかった。肉は遺体が置かれるや否や、待ちかまえていた鴉の大群が押しよせてむらがり、喰いちぎり、肉をついばみして天空に運び去ったのである。」下巻p.62
・「多くの外国人は、沈黙の塔に集まる鳥を禿鷹だと思いこんでいる。が、これはボンベイにあるパルシー教徒の鳥葬からの誤解である、と彼女はいった。ボンベイのダフメにむらがる人喰い鳥はたしかに禿鷹だが、イランのそれは鴉である。外国人にはちょっと信じられないかもしれないが、鴉はもともと悪食の鳥である。 ゾロアスター教では、神聖な火と土とが人間の死体に汚穢されるのを忌み、火葬も土葬もしないが、さりとて聖典がはっきりと鳥葬を規定しているのではない。けれどもこの宗教では、鴉が神の使徒になっている、とシミンはいった。」下巻p.67
・「「店つきは地味に、内所は豊富に、というのが骨董屋商売のコツだろうね。それと、警戒を要するのは、警察の眼だ」 「そうです」 「商品価値のある骨董は、そうザラにあるわけはない。数に限りがある。だが、地下にはまだまだ品が無限に埋まっている」 「あ、盗掘品ね」 「これ、声が高い」 福原は、歌舞伎の声色もどきに坂根を制めた。 「盗掘品というとガラが悪いがね。古墳のあるところを歩きまわっていて、そこに落ちている物を偶然に発見した人が、骨董屋に持参してくることはある。そういうものに限って、珍しいものが多い」 福原は、骨董屋のなかには古墳の盗掘品をひそかに買っている店があるらしいことをにおわせた。」下巻p.153
・「A地の盗掘品はB地に持って行って売る。B地の品はA地に持って行って売る。例えば、関西のものは関東に、関東のものは関西に、また、九州のものは関東で、東北のものは関西で、それぞれ捌かれるという噂である。 もちろん、これらは盗掘品だから贋物ではない。」下巻p.155
・「結論から先にいえば、日本には仏教が六世紀後半に百済から伝わったといわれているが、祆教はそれよりおくれても六世紀末までには日本に伝来していたと筆者は推定している。 中国では、仏教と同時に?教そのものだったかどうかは不明である。が、その要素の濃い宗教が渡来していたであろうことは推測できる。」下巻p.340
・「宗教にしても思想にしても生活文化にしても、それだけがひとりで空を飛んでくるわけではありません。書物などの舶載が発達した後代とは違います。それはかならず人が持ってきたものです。古代の渡来文化に、それを持参した「人」を考えずに、空気伝染のように考えたところにこれまでの学説の錯誤があります。」下巻p.388
・「所詮、仮設を立て得ないものは発想の貧困をものがたるだけです。仮設のあとから実証を求めればよいのです。ヘロドトスの『歴史』もはじめは大ほら吹きとして嘲罵の対象になりました。」下巻p.394
・昭和48年から49年にかけて朝日新聞に連載された小説。飛鳥地方の謎の石造物『酒船石』を題材とした歴史サスペンス(?)。同著者の本領である推理小説の要素も含まれるが、実質、考古学趣味が長じた結果発した著者の仮説を、小説の名を借りて発表したというような、妙な雰囲気の作品になっている。日本だけでなくイランまでもを含めた古代史の話は興味深く感じられるが、小説として見ると話の流れに不自然な展開が目につき、作品としてのまとまり具合は今一歩の印象。登場人物の関係がやや複雑で、一部(容貌の似た姉妹の周辺)よく理解できぬうちに読み終えてしまった。スッキリとしないもやもやとした読後感が残る。
・「「天皇陵の石室の中には副葬品があまり残ってないのじゃないかというのが学界のほぼ常識のようですな。あまり大きな声では言えないけど」 「天皇陵でもそうかねえ」 福原は未練気に言った。「祟神天皇陵と名がついて決まったのは幕末ですからね。それまでは誰の墳墓やら知る者はいない。飛鳥にある天武・持統合葬陵というのは鎌倉時代に盗掘に遇ってその記録が残っているそうですよ。まして室町からつづく乱世、江戸の将軍さま時代にはこの辺の住人によっていまの天皇陵と名のつく古墳のほとんどは盗掘の憂き目に遇っていると思いますな」 「宮内庁あたりが考古学者に学術的な調査発掘を許さないのは、一つには、そういう負い目があるからだろうという推測をぼくも或る学者の話で聞いたことがある。宮内庁では御陵参考地というのも掘らせない。あれも同じ理由だと言っていた。しかし、そういう副葬品というの、宝ものはどこに行ってるんだろうな?」 「古いのは好事家の手にわたり、転々として金持の家や博物館などに入り、わりかし新しいのはその趣味の財産家に納まっているんじゃないですかな」 「今は盗掘はやってないだろう?」 「警察や村民の眼がうるさいですからな。とくに天皇陵というのは国民に特別な観念がある上、宮内庁の出先機関の職員が絶えず巡回しているから盗掘はできないでしょう。さっき、ぼくが言ったのは、この中にアベックがもぐりこむくらいだから盗掘者も進入できるという可能性を口にしただけですよ」」上巻p.39
・「「そういう脱落した学者の説を下敷きにして論文を書くというのは、どういうことですか?」 「大きな矛盾だ。その矛盾がまかり通るところが学界の特殊性だね。要するに、海津信六の考えをとらざるを得ないくらいに現在の学者、学部や研究所の教授、助教授、講師連の頭は貧弱なんだよ」」上巻p.136
・「要するに、紀にみえる斉明天皇の呪術的な性格、両槻宮の奇怪な工事崩壊、飛鳥石造物の異様性と、この三つをつなぐと、そこに「異宗教」的な体質が推定できるのである。」上巻p.221
・「「……崇神天皇は完全にシャーマニズムの性格で書かれていますが、斉明天皇はそうではありませんね。あれは何か妖怪じみた宗教の天皇になっています。あなたのおっしゃる異宗教という表現はあたっていると思います」 「異宗教というのは、神道シャーマニズムでもなく、仏教でもなく、それ以外の宗教だというところから苦しまぎれに付けたんですけれど」」上巻p.277
・「「胡」は中央アジア以西のイラン族をさす。 胡の風俗は後漢以来、中国では一種の先進文化として受けとられていた。その西域趣味はちょうど明治時代の西洋趣味、ハイカラ趣味のように三世紀以来中国の貴族にもてはやされたのである。胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、葫(にんにく)、胡豆(そらまめ)、胡葱(あさつき)など胡のつく植物や野菜はたいていイランを原産地とするものの名である(ラウファー「シノ・イラニカ」)。中国の胡風の愛好はこのように食生活にまで入ってきた。安石榴(ざくろ)や葡萄もイランからの輸入であった。獅子や駝鳥の動物名もある。」上巻p.341
・「「ゾロアスター教では、火と土は神に捧げる神聖な供物とされています。人が死ねば、その魂は天に上り、残された遺体は醜悪な肉体の殻と見なされています。遺骸が腐敗するのは、魔女のしわざとされています。ですから、遺体を焼くことや土葬にすることは、神聖な火や土を穢すことになるので、鴉に腐肉を食べさせるのです」 「鴉? 禿鷹ではないのですか?」 「鴉です。イラン語でカラーグといいます。KALAGです。大きな鴉です。イェズドやイスファハンの町の中を飛んだり歩いたりしていますよ」」下巻p.30
・「「この飲みものは、いかが?」 シミンは注文した乳色の液体の入ったコップを見せた。 「何ですか?」 「ヨーグルトをタンサンでうすめたのです。ドゥーグというんです。イラン人はこれが大好きなんですよ」 「いただいてみるわ」 ためしに飲んだが、通子はあと口を閉じた。咽喉が受けつけなかった。この醗酵乳は山羊の乳らしかった。」下巻p.48
・「骨によっては白っぽいのもあり、灰色がかったのもあり、黒ずんだのもあり、また飴色がかったのもあった。丈夫そうなのもあるが、ぼろぼろに砕けそうなのもあった。その間に無数の細片が貝殻のように散乱しているのは、それらの砕けたものか、手根骨や足根骨といった細い骨の断片か軟骨の破片と思われた。ここもまた、真上から照りつける太陽が骨の水分を吸収し尽くし、臭気はなにもなかった。 髑髏は、ばらばらに崩れた自身の骨片の中にすわって、二つの黒い洞穴をかなしげに開いていた。 もとより腐肉の一片も付着してなかった。肉は遺体が置かれるや否や、待ちかまえていた鴉の大群が押しよせてむらがり、喰いちぎり、肉をついばみして天空に運び去ったのである。」下巻p.62
・「多くの外国人は、沈黙の塔に集まる鳥を禿鷹だと思いこんでいる。が、これはボンベイにあるパルシー教徒の鳥葬からの誤解である、と彼女はいった。ボンベイのダフメにむらがる人喰い鳥はたしかに禿鷹だが、イランのそれは鴉である。外国人にはちょっと信じられないかもしれないが、鴉はもともと悪食の鳥である。 ゾロアスター教では、神聖な火と土とが人間の死体に汚穢されるのを忌み、火葬も土葬もしないが、さりとて聖典がはっきりと鳥葬を規定しているのではない。けれどもこの宗教では、鴉が神の使徒になっている、とシミンはいった。」下巻p.67
・「「店つきは地味に、内所は豊富に、というのが骨董屋商売のコツだろうね。それと、警戒を要するのは、警察の眼だ」 「そうです」 「商品価値のある骨董は、そうザラにあるわけはない。数に限りがある。だが、地下にはまだまだ品が無限に埋まっている」 「あ、盗掘品ね」 「これ、声が高い」 福原は、歌舞伎の声色もどきに坂根を制めた。 「盗掘品というとガラが悪いがね。古墳のあるところを歩きまわっていて、そこに落ちている物を偶然に発見した人が、骨董屋に持参してくることはある。そういうものに限って、珍しいものが多い」 福原は、骨董屋のなかには古墳の盗掘品をひそかに買っている店があるらしいことをにおわせた。」下巻p.153
・「A地の盗掘品はB地に持って行って売る。B地の品はA地に持って行って売る。例えば、関西のものは関東に、関東のものは関西に、また、九州のものは関東で、東北のものは関西で、それぞれ捌かれるという噂である。 もちろん、これらは盗掘品だから贋物ではない。」下巻p.155
・「結論から先にいえば、日本には仏教が六世紀後半に百済から伝わったといわれているが、祆教はそれよりおくれても六世紀末までには日本に伝来していたと筆者は推定している。 中国では、仏教と同時に?教そのものだったかどうかは不明である。が、その要素の濃い宗教が渡来していたであろうことは推測できる。」下巻p.340
・「宗教にしても思想にしても生活文化にしても、それだけがひとりで空を飛んでくるわけではありません。書物などの舶載が発達した後代とは違います。それはかならず人が持ってきたものです。古代の渡来文化に、それを持参した「人」を考えずに、空気伝染のように考えたところにこれまでの学説の錯誤があります。」下巻p.388
・「所詮、仮設を立て得ないものは発想の貧困をものがたるだけです。仮設のあとから実証を求めればよいのです。ヘロドトスの『歴史』もはじめは大ほら吹きとして嘲罵の対象になりました。」下巻p.394
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