つれづれなるままに 409 年賀状

2007-12-25 19:30:53 | 雑記
人類社会には、古代から年賀の習慣があったようで、エジプト、メソポタミアいわゆる四大文明にも新年を祝う宗教的な儀式があり、人類が狩猟民族から農耕民族になり、種まきや刈り取りなどの時期を知る為に「暦」が誕生し、天体の運行から1年は365日あると発見されました。「暦」は世界的に統一されている訳でもなく、「正月」にあたる季節は国によって異なります。


年賀の習慣は、当時家族内の狭い範囲でお互いに顔を合わせて行いましたが、社会構成が複雑になり、その日に直接会えない親戚や知人に年賀の意を伝える為、また文字、紙の普及と共に、書状が交わされるようになりました。


日本は百済から中国式「暦」が伝えられたのが6世紀、大和朝廷が採用したのが7世紀、紙が比較的容易に手に入れることが出来るようになったのが7世紀半ば、これから考えると日本に年賀状が取り交わされるようになったのは7世紀以降、その後「駅伝」「飛脚」などの制度が確立し、大名や武士が「賀詞」を述べる書状など多く出されていましたが、庶民も手紙を出すようになりました。しかし必ずしも1月1日ではなく結構のんびりと。


1702年に編まれた雑俳撰集に
   「六月に年賀の礼は かえり花」
      年賀の返礼が、梅雨のときに届いたのでは狂い咲きの花のようだと。



その後1937年、日中戦争が始まり、次第に年賀状どころではなくなり、1940年には取り扱い中止になり、1941年、太平洋戦争突入「年賀状」は戦争と共に消えました。


今は「年賀はがき」と言えばお年玉付き、これは1949年。年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かるだろうと、この発送は一般市民のアイデアで実現しました。年賀状も歴史をたどると、1年の始まりを祝い、また平安を祈る、平和の象徴の証なのかもしれません。


今日まで、年賀を出してください。と

毎年木版画、まだまだ思案中、1月7日までは「年賀」、それ以降になると、「寒中見舞い」 立秋(2月4日)を過ぎると「余寒見舞い」となってしまうそうです。
さてどうなりますか。