戦後生まれた人も64歳、戦争の記憶は忘れ去られようとしています。1941年満州生まれ1944年には日本に家族全員、父、母、おば、子供3人、大人一人に子供が一人ずつ付き添い戻ってきています。この年はフィリピンの戦い、インパール作戦、日本軍は飢えと病気、多くの兵士が倒れ、また神風特攻隊、人間魚雷、本土での戦いが始まったそんな時に、無事家族は仙台の母の実家に落ち着きました。
仙台、現在八木山動物園のある場所が母の実家、空襲はますます激しく、サイレンがなる度に、防空壕に走って逃げた記憶、そこは畳を引いた大きな洞穴で、近所の方々と一緒、子供はそこで寝泊り、大人は家に泊り、爆撃で焼けた家の消火活動に懸命、朝、家に行ってみると、庭には大きな焼夷弾の破片が転がり、まだ温かく、不思議な形をしている物だと眺めた記憶があります。戦後その破片が植木鉢の台になっていたのも確かです。
満州国とは、中華人民共和国の東北部、現在の黒竜江省、吉林省、遼寢省の3省、それに内モングル自治区の東部の範囲だそうですが、10年前生まれ故郷をと訪れたのが大連でした。
戦前の建築物、旧大連取引所、自動車学校、小学校の旧跡地を見学、大連駅前、満鉄時代の官舎でしょうか、今はアパートになってそのまま使用しているとか、赤レンガの建物が人目を引いていました。
後は大連から北京、西安と観光地、物見遊山の旅になりましたが、中国の歴史を学び、2~3前に訪れた上海はもう世界一発展途上国、嘗て日本人が暮らした町もすっかり都会になっていました。
また行って見たい中国、世界一高い標高5,000mを走る青蔵鉄道に乗車「天空列車で行く世界の屋根チベット2,000kmの旅」今年は何としても行って見たいとは思いますが・・。
仙台、現在八木山動物園のある場所が母の実家、空襲はますます激しく、サイレンがなる度に、防空壕に走って逃げた記憶、そこは畳を引いた大きな洞穴で、近所の方々と一緒、子供はそこで寝泊り、大人は家に泊り、爆撃で焼けた家の消火活動に懸命、朝、家に行ってみると、庭には大きな焼夷弾の破片が転がり、まだ温かく、不思議な形をしている物だと眺めた記憶があります。戦後その破片が植木鉢の台になっていたのも確かです。
満州国とは、中華人民共和国の東北部、現在の黒竜江省、吉林省、遼寢省の3省、それに内モングル自治区の東部の範囲だそうですが、10年前生まれ故郷をと訪れたのが大連でした。
戦前の建築物、旧大連取引所、自動車学校、小学校の旧跡地を見学、大連駅前、満鉄時代の官舎でしょうか、今はアパートになってそのまま使用しているとか、赤レンガの建物が人目を引いていました。
後は大連から北京、西安と観光地、物見遊山の旅になりましたが、中国の歴史を学び、2~3前に訪れた上海はもう世界一発展途上国、嘗て日本人が暮らした町もすっかり都会になっていました。
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