3日の節分、4日の立春に続いて、今日は68回目の誕生日でした。
私の父母は、台湾の嘉義市に住んでいて、太平洋戦争末期には有里山に疎開していたと聞きました。
父は高雄軍港を守る高射砲部隊の中尉で、母から『お父さん達の高射砲は、敵機にぜんぜん当たらないのね』などと言われていたらしいです。
『相手も動いているんだから、そんなに簡単に当たるものか』などと、言っていたらしいですけどね。
その父母が台湾から引き揚げてきたのは、終戦の次の年、昭和21年の秋の事。
胎児の私は、母のおなかにしがみついて、引き揚げ船で鹿児島に帰ってきたことになります。(^0^)
おかげさまで元気でバイクに乗れていますが、毎年この日は、健康で元気な体に産んでくれた母親への感謝を新たにする記念日です。