大晦日に読んでいる本は,佐藤賢一の「アメリカ第二次南北戦争」です。
前頁の続き,ハーレーについて書かれている部分の引用です。
佐藤さんも,ハーレー乗りなのでしょうか。 めっぽう詳しいですよね。[E:happy01]
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ハーレー・ダビッドソンは銀色のメッキパーツに世界を閉じこめることができた。質の高い仕上げの賜物といおうか、きらきらに磨いてやりさえすれば、流れゆく景色という景色を鏡さながらに映し出すのだ。
「わけても、小さなヘッドライトカバーだ」
馬鹿みたいに広いハンドルの両端を、いっぱいに腕を伸ばして握りながら、まがりなりにも前を睨んで走らせれば、そこに世界は見事なまでに凝縮される。染料のように鮮やかな空の青に、横長の雲が鋭利な矢尻を連想させながら、いつ絶えることもなく流れ続けるからである。
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実際に跨ると、遠目の印象ほどに大きいわけではなかった。全幅と全長でみれば、確かに世界最大級の数字になるのだが、全幅の内訳をいうならば、ただハンドルが幅広いというだけなのであり、むしろ車体そのものはスリムなのだ。伝統のV型二気筒エンジンが、シリンダーを前後に並べる縦長の形状を取るために、全長は長くせざるをえないながら、横幅は特に広げる必要がないのだ。
おまけにアメリカ人は実は短足なのかと思うくらい、シートが極端に低く設定されているので、余裕で足が地面に届く。
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驚いたことに、ハーレー・ダビッドソンはフロントフェンダーからメーターカバーから、普通はプラスチックで形成するパーツも全てが鉄だった。鉄なら鉄で作らなければならない部品にしても、まるで軽量化など考えられていない。
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なるほど、トリップメーターなどは確かに液晶デジタル表示だった。ウインカーなどもコンピュータ制御で、自動にキャンセルできるシステム内蔵である。が、ハーレー・ダビッドソンは車体からエンジンから、その基本的な設計が半世紀前のままだったのだ。
「それをハーレー・ダピッドソンならではの伝統というか」
技術革新の意欲がない。要するに進歩がない。だというのに排ガス規制で締め出される前までは、平気で世界中に輸出していたというのだから、アメリカ人の神経が理解できない。いざ走り出してみても、私の反感は容易に消えてなくならなかった。
まずクラッチが重い。アメリカ人は手が大きいのか、それともゴリラ並みの握力なのか、重いばかりかレバーそのものが厚く大きな部品であり、日本人には握りにくいこと、このうえなかった。