LOVE モータサイクル 団塊世代のバイクライフ

02年式の古いロードキングで、ツーリングやキャンプを楽しんでいます。

グランドサークルツーリングの 軌跡 5日目

2012-07-27 18:43:19 | 2012北米ツーリング

さて、グランドサークルツーリングのレポートも、これで終わり。 

最終5日目のルートです。 

ニードルズ→ルート66 アンボイ→ケルソー→ラスベガス泊  210miles 336km

ニードルズの町から、ほんの一部だけインターステート40号を利用してから、ルート66を走りました。Photo_2

距離だけだと、そんなに走ってはいないのだけど、観光ポイントでは時間をたっぷりとったので、とても充実した5日間のツーリングでしたね。 

自分たちだけで走った場合、目的地をつないで走って終わりになりがちなんだけど、今回のツアーでは、サポートカーと現地ガイドの存在が大きかったですね。  

荷物を持たないで走れる事、目的地で観光の詳細な案内をしてもらえた事、食事やホテルなどでの交渉をバイリンガルの現地ガイドに任せられた事などで、初めての慣れない土地でも純粋にツーリングだけを楽しむことができました。

初めての海外ツーリングだと、現地ガイドとサポートカーの組み合わせは、絶対のおすすめです。


グランドサークルツーリングの軌跡 4日目

2012-07-27 13:05:37 | 2012北米ツーリング

毎日、暑い日が続きますね。

あまりにも暑いので、霧島で暑さを避けていました。

鹿児島市への桜島の降灰は半端ないですが、ラッキーな事に私の家がある鹿児島市南部にはほとんど降っていません。

さて、ツーリング4日目のルートは、半日近くをフラッグスタッフの街の病院の見舞いでつぶしてしまったので、午後だけのルート66ツーリングになりました。 

4日目 グランドキャニオン→フラッグスタッフ→ルート66 セリグマン→

→ハックベリー→オートマン→キングマン→ニードルズ泊  379miles  243km


インターステート40号を使って、フラッグスタッフからセリグマンの町の近くまで行き、そこからルート66を走り始めました。

和食のランチとルート66グッズのショッピングを楽しんだのは、セリグマンの町。助六弁当とお茶が美味しかったですね。

現地サポートのKojiさんの奥様には、お世話になりました。

ホテルは、砂漠の横に建っていました。

 


グランドサークルツーリングの軌跡 3日目

2012-07-24 22:44:50 | 2012北米ツーリング

3日目 

メキシカンハット→モニュメントバレー→ホースシューベント→グランドキャニオン→

タサヤン泊  走行距離 300miles 480km  


ページで、アンテロープキャニオンを見られなかったのは残念だったけど、モニュメントバレーをはじめ、ナバホ高原の景観には感動した。Photo_4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソフトバンクCMで、スギちゃんがハーレー(キャプテンアメリカtype)で走っているシーンに使われているのが、モニュメントバレールート66の画像。 

実際には、スギちゃんは免許を持っていないので、日本でのスタジオ撮影らしい。 

だから、400km以上も離れているはずのルート66がモニュメントバレーを通っているという、可笑しな事が出来るんですね。

それに、チョッパーのエイプハンドルに手が届かなかったというオチもあるらしい。たしかに、ピーターフォンダが乗っていたバイクだと、スギちゃんの手の長さじゃ無理でしょうね。


ま、シャレと言うことで。


グランドサークルツーリングの軌跡 2日目

2012-07-23 11:43:01 | 2012北米ツーリング

2日目

 レッドキャニオン→ブライスキャニオン→キャピトルリーフ国立公園→メキシカンハット泊 走行距離 344mile (550km)

ツーリング期間中、一番長い距離を走った日。

とても美しく走りやすいルートだし、ちょうど今がツーリングシーズンとかで、多くの地元バイクチームと出会いました。


バイクで旅を楽しんでいるカナダのBMWのご夫婦とも、ブライスキャニオンで会いました。

この日は、2回のフリー走行を楽しんだり、走行中の動画を撮ってもらったりしましたが、明かり一つ無い真っ暗な高速道を
走った50マイルの記憶は、忘れる事はないでしょう。


グランドサークルツーリングの 軌跡 1日目

2012-07-22 21:21:35 | 2012北米ツーリング

2012年6月に、ショップの仲間たちと走ったアメリカ西部のグランドサークルツーリングの軌跡を、簡単にまとめてみた。

総走行距離は、2380km 1487mileなので、平均すると1日あたり480kmの距離を走ったことになる。

鹿児島市からだと、北海道の岩見沢市か美唄市のあたりまで走るくらいの距離になるようだ。

「Wild Hogs 団塊ボーイズ」の中で、「3000マイル、走ったぜ」と言うセリフがあったので、それからするとずいぶんと短い距離だなぁ。



カリフォルニアとネバダの砂漠、ユタの山岳地帯、アリゾナの緑の平原、いくつもの国立公園、モニュメントバレーやグランドキャニオン、ルート66などを走った5日間だった。 


まだ夢だけど・・・・・次は・・・・カナディアンロッキー?アメリカ大陸横断?・・できるかな?

6月22日  走行距離 260miles 416km

ラスベガス発→バレーオブファイヤー州立公園→ザイオン国立公園→レッドキャニオン 泊Photo

 

 


グランドサークルツーリング 6/25 27-②  ラストラン モハベ砂漠

2012-07-21 07:28:38 | 2012北米ツーリング

ネバダやカリフォルニアの暑さにもやっと慣れてきた頃、5日間にわたった西部ツーリングのゴール地点が見えてきた。 

最終地点のラスベガスは、ここアンボイから140マイル(220km)くらい北に走った地点にある。

ガイドのKojiさんから、これから走るルートには、干上がった湖の上に作られた「世界一美しい」と言われる長さ10マイル(16km)の一本道があると聞くと、期待感も高まってくる。



Mさんの走行中の画像。 こんな画像が撮れるのは、MさんとFさんだけだな。

気持ちよさそうに、バイクに乗っているなぁ。
Fさんの画像は、ちょっとモノトーン風に加工してみたが、路面の荒れた感じが、よく判る。



 

砂漠の中にあるケルソー(Kelso)には、昔の駅舎を再現したレストランと、それに併設されたミュージアムがあった。 このケルソーもゴーストタウンだと言う。






ここで、休憩と昼食タイム。  


駅前にバイクを駐めて、綺麗に咲いている花などを見ていると、貨物列車が轟音とともに通過して行く。 



目の前でみる5両編成(前3両連結 後ろ2両連結)の機関車と150から200両も引いている貨車の列は大迫力で、観光客の子供達も大喜びだ。  機関車の横に書かれている、星条旗が、いかにもアメリカらしい。


貨車一両の長さが長いなぁと思ってよく見てみると、台車の上に大型トレーラーをそっくりそのまま載せていた。 さすがはアメリカ大陸を走る列車だ。


蒸気機関車の時代は、この町にわき出る水を機関車に補給するための補給基地としてにぎわったのだそうだが、今は使われていない巨大な給水塔が残っているだけだった。

駅舎を出ると、しばらく鉄道線路と平行に走ることになる。 
ときどきすれ違ったり、追い抜いていったりする貨物列車を眺めながら、残り少ないラストランを楽しんだ。




モハーベの、砂ではなくて礫や岩石の砂漠が広がっている道を、 景色を眺めながらゆったりとバイクを走らせていくのは楽しい。 エンジンの鼓動が、生きている証(あかし)のようだ。


こんなに長い直線路が続くと、速度をあげて速く走ろうなどと思わなくなってくる。  
それでも、こんな道を50から60マイル(80kmから90km)で走らせているので、日本と比べると、けっこうな早さで走らせているのだが。


ラスベガスにつながるI-15の手前の町でガソリンを補給。   駐車場の一角には、店の看板塔がわりに、昔の大西部時代に使われていたような馬車や砂金堀りのモニュメントなどが展示されていた。



ショップの男子用手洗いには、小さな滝がつくってあって、そこで3人がいっぺんに小用を足すことができるようになっていた。 しきりが無いので隣が丸見えなんだけど、男どうしだなぁ・・・・と。

なにか、気の利いたセリフが書かれていたのだが、忘れてしまった。

ここは大型トレーラーなどの休憩補給基地のようになっていて、広大な駐車場に大きなトラックが次々に入ってくる。 それにしても、でかい。 こんな大型トレーラートラックが、コンボイをくんで走っているの姿は、大迫力なんでしょう。



モハベ砂漠を走り終え、インターステート15号線に乗ってすぐ、カリフォルニアとネバダの州境にドライレイク・イヴァンパー湖はあった。

ゆるやかな下り坂の直線が続いて、下りきったあたりには乾燥して湖の底が露出した砂漠が、そして道はまだまだ一直線に続いている。

世界一美しいかどうかは別にしても、日本では見られない光景だ。

ネバダからカリフォルニアに入り、旅の終わりのラスベガスの街が近づいてきた。 インターステート15号を走る車の量が、急速に増えてくる。

レンタルショップにバイクを返したら、車でホテルまで送ってもらってツーリングは終わりになる。 

10名で走り始めた今回のツーリングだったが、今バイクを走らせているのはソロ5台とタンデム2台の計9名。

、体調不良や単独事故などいろいろとアクシデントのあった旅になったが、これも人生。

レンタルショップ・イーグルライダーのおねえさん、カメラに向かって元気にポーズを取ってくれた。


旅立ち前の台風から始まり、想像以上に過酷な気候や、体調不良、アンラッキーなアクシデントもあったのだが、これも人生。

旅を振り返ってみても、すべてが楽しく良い思い出になりそうだ。



大西部グランドサークルを廻る1,487マイル(2380km)のツーリング、アメリカの広さと景色や気候の多様さ、歴史、そしてアメリカ人のマナーの良さを感じた8日間のツアーが終わった。 


Bye Bye LV.  ByeBye America



グランドサークルツーリング 6/25 27-①  ラストラン ゴーストタウンアンボイ

2012-07-20 09:56:47 | 2012北米ツーリング

グランドサークルツーリング最終日のきょうも、バイクの上には、カリフォルニアの真っ青な空が広がっている。


It Never Rains In Southern Californiaってね。 アルバート・ハモンドのじゃないけど、南沙織の歌で聞いてみる?  

「カリフォルニアの青い空」って、ちょいとイメージと歌詞の意味が違うんだが。http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=iPplzX24UTg


ニードルズからI-40をしばらく走ってから左折して、National Trails Hwyルート66の一本道をAmboy目指して70マイルほど走ると、1時間40分ほどの時間で、ゴーストタウン「アンボイ」に着く予定だ。

こんな景色をみると、絶対に走るのをやめてカメラを取り出したくなる。
Photo_4 

みんな思うことは同じだと見えて、道路脇の土手には、小石で書いた多くのメッセージが残されていた。


砂漠の中の町、アンボイのROY’S CAFEに到着。 路面の上下線に、並んでペイントされているROUTE 66のマーク。 

ここは今、ガソリンスタンドと郵便局があるだけで、人口はわずか4人だけらしい。 

学校やレストランの廃墟、古い教会などもあったが、これも時とともに朽ち果てていくのだろうが、子供達の歓声が響いていた場所が朽ち果てていくのを見るのは、ちょっと悲しい。


Royのガソリンスタンドには、ルート66観光の車やバイクなどがひっきりなしにやってくる。
私たちも、ここでガソリンを補給して、モハベ砂漠激走にそなえます。




私たちのように、R66に昔のテレビ映画の世界の懐かしさを感じて訪れる東洋人とは違って、アメリカ人にとっては、マザーロードと呼ばれるルート66は特別な存在であることを実感させられる。


Royのガススタンドの少し先には、サンタフェ鉄道の踏切が見えて、ときどき貨物列車が通過するのが見える。


ロサンゼルス付近からのツーリングバイクは、I-40をLudlowの町で降りてから、この道を走ってくるのだろうか。

ここを訪れるバイカーは、ハーレーはもちろん多いのだが、カワサキやスズキなども多く見かけた。 

俺はスズキにのっているんだぜ!って、自慢されてしまった。 彼のマシンは、隼だったな。

あんたたちは日本車かもしれないけど、俺たちは、ハーレーのマザーカントリーに来てマザーロードを走っているんだぜ!と言って、お互いに笑いあった。 アメリカのバイク乗りも、気の良い人が多い。

道路にペイントしてあるルート66のランドマークでは、誰も彼も写真のポーズをとるので大にぎわいだった。


おばあちゃんの郵便局員が1人いるだけの小さな郵便局で、記念の切手を一枚買って、アンボイのスタンプを押してもらった。  JUN 25 2012  AMBOY 


適当なスタンプ帳などがなかったので、取り出したのは国際免許証。 1年後には返納しなくちゃいけないのだが。


郵便局の女性はおばあちゃんに見えただけで、本当は若いのかもしれない。

東洋人の年も判らないみたいだが、こちらからもアメリカ人の年はどうもよく判らない。 

ここから、route66を少し引き返してから左折して山道には入る。 
ここからモハベ砂漠を突っ切ってラスベガスにつながる道を走ることになるみたいだ。



さあ、モハベ砂漠の、そしてグランドサークルツーリングのラストランだ

 


グランドサークルツーリング 6/25 26 オートマンからニードルズ

2012-07-17 18:53:51 | 2012北米ツーリング

峠を越えるとすぐ、オートマンの町です。  険しい山の斜面に、古い街並みが残されていました。

かつてはこの町もゴールドラッシュで沸いたといいますが・・  

道幅の広い道路と、屋根付きのウッドデッキの歩道が、アメリカを感じさせてくれます。
道幅が広いのは、昔から馬車やワゴンなどの交通機関が発達していたからなのでしょう。


今は、観光客相手のお土産屋さんやレストランがあるだけ・・・と聞いていたのだけれど、着いたときには5時を過ぎていたので、全部の店が閉店しているじゃないかぁ。


そこにいたのは、野生化したロバと、私たちと同じく、遅れて到着したわずかな観光客だけでした。  

ロバは、あちらこちらでお土産を落としていくので、コーナリングの途中で前輪で踏んだらスリップしないだろうか?といらぬ心配などを。


オートマンホテルは、いまはおみやげ屋さんになっていますが、ここも閉店。 二階の隅の部屋にはゴーストが出るという噂もあって、人気スポットなのだそうです。




そのオートマンホテルの前にバイクを並べて、まるで今夜の宿のようです。 本気で、今夜の宿と間違えていた人も何人かいたようでしたが。


オートマン峠を越えて、ほっと一息。 ルート66から別れてモーテルに向かいます。
そろそろ、洗濯もしたいのだけど、この町では、洗濯物を窓の外に干してはいけないみたなんですよね。部屋干ししかないかな。


キングマンの街では、「イージーライダー」で出てくる白い橋が見える場所で休憩。

後ろはBNSF(サンタフェ鉄道)の線路、前を走るインターステーツ40の向こうには、ピーターフォンダとデニスホッパーのどちらかが腕時計を投げ捨ててバイクで走り去っていくシーンで出てくる橋がある所です。

しばらく、大型トラックが轟音をあげて、走っていくのをながめていました。

サンタフェ鉄道が、長い長い貨車を引いて走って来ました。なんと、コンテナ2段重ねの貨物です。 

運転席に向かってみんなで手を振ると、機関士がディーゼル機関車独特の音色の汽笛を2~3度鳴らして応えてくれました。


こんな時、「旅っていいなぁ」と思うんですよね。

キングマンから、I-40でカリフォルニア州に入りますが、ここにはなんと検問所がありました。 映画の世界みたいですね。 

中南米からの密入国者を摘発する為のものだそうで、「どこから来たか?」と聞かれたら「オートマン」と答えなさいと言われましたね。

まぁ、停められることも無かったのですけど。  停められて、聞かれてみたかった・・・気も。

今夜の宿泊は、ニードルズにあるモーテル6。 


2階の部屋だったので、旅行用のでかいキャリーバッグを引きずっていくのが大変です。

夕食は目の前にあるデニーズでチキンとチョップドビーフにポテトの組み合わせの食事ですませました。



プールで泳ぎたかったのだけど、時間が無くて断念 結局、いっぺんもプールを使うチャンスがなかったなぁ。

アメリカの男性3人は、水着を持っていなかったようで、バスタオルを巻いてプールにはいってましたね。

明日は、いよいよ西部ツーリングのラストラン、ルート66とモハベ砂漠激走です。


グランドサークルツーリング 6/25 25 ルート66 ゴーストタウン

2012-07-16 22:20:44 | 2012北米ツーリング

サポートカーを先頭にして、ルート66をバイクを走らせていくと、道は少し荒れているが時速50マイルで走っても気になるほどではない。


アメリカ西部の典型的な乾いた平原の風景が広がっていて、行き交う車は本当に少ない。 ここを通過するほとんどの車は、インターステーツ40を使うのでしょう。


その平原を貫いて地平線まで続くような道路の路面が、ゆるやかにアップダウンしているのは、緩やかな丘や平原の上にまっすぐに道路を通したからなのでしょうか。    

湖が干上がった所(ドライレイクがあちこちにあるんですね。)を通る道は、本当に真っ平らのまっすぐです。


一直線に見える最後の地点までバイクを走らせて到着したと思うと、またそこから直線が始まるといったような道を、いったい何本走ったのだろう。


かって栄えただろうピーチスプリングやトラクストンなどのゴーストタウンを私たちのバイクは次々と走り抜けていきます。 
そんな道を走っていると、道路脇の所々に郵便受けがまとめてたてられているのを発見。


高さは不揃いだし、使っている柱の太さも太いのあり、細いのありですから、それぞれの持ち主が柱になる材木を持ってきて、地面に打ち込んで立てたのでしょうね。 

まとまっているのは、ご近所さんたち集落があるのか、それとも郵便配達の利便性の為なのか。周りには、家の一軒も見えない所だけれど、人が住んでいるんですね。


セリグマンからハックベリーに行く途中で、トイレ休憩を取ったのはどこの町だったのだろう。 地図を見ても、判らなくなっていた。 

資金集めのかき氷販売車を運転してきた、ネイティブアメリカンの女性3名は、「WILDCAT」という高校生のソフトボールチームのサポーターでした。 

Kojiさんが積極的に売り込みに参加して(笑)、ほとんど全員が注文したのじゃないかな?
それでも、氷にかける蜜が、「真っ赤っか」や「真っ青」の凄い色だったので、一番おとなしめの色(薄い緑)のライムを頼みました。 
25¢硬貨4枚で支払いました。やっと少額コインの見分けが付くようになりました。

味は普通でしたが、乾いたのどに冷たい氷はごちそうでしたね。

 ほんとうに小さな町で、バイクを止めた町の中心から町はずれがみえます。
ちょっと走り出すだけで、西部の平原が広がります。


しばらくバイクを走らせていると、西部の平原を一直線に走る道に平行に走ってくる貨物列車。 この鉄路は、サンタフェ鉄道でしょうか。

 


道路と鉄路が近いときには、走りながら手を振ると、運転士が気づいて汽笛を鳴らしてくれるんですね。

これも、なんだかうれしい旅の思い出です。

前をはしるサポートカーが、道の左側にある広い駐車場(といっても、ただの未舗装の空き地ですけどね)に入っていくので、あとを付いていくと、ここらあたりでは有名なおみやげ屋さん兼博物館でした。

 




ガソリンの旧式なポンプが置いてあるれど、これはディスプレイで、実際にはガソリンは売られていません。
 

入り口には、とても綺麗な状態で保存されている車がおいてあります。 


エンジンは動くと聞いたけど。そうなのかな? 店の中は、けっこうな年齢の男性店主と、66グッズとマネキンとピンナップの世界でした。

カウンターには、プレスリーの写真とフェンダーのベース、懐かしいジュークボックスマシンと美女?が1人。


 奥のウォッシュルームには、壁や天井一杯に貼られた、ピンナップが。

この真っ赤なオープンの『コルヴェット』は、1956年モデルだそうで、テレビ映画の「ルート66」で出てくるコルベットは、1961年モデルなので、別物なんだと言います。


テレビ映画のほうのコルベットは、2つ目で、見た目があきらかに違いますね。

「56年モデルは、あまり人気が無かったんだよ!」って、向こうの人たちは言いますが、とても綺麗なコルベットでした。

土産物屋さんの周りには、古い車が無造作に置いてあります。こんな車をレストアして走らせると、楽しいでしょうねぇ。

Tフォードとか、フォードトラックとかをみると、その当時のアメリカの豊かさが伝わってくるようです。 
トラックのボンネットカバーは開けてありました。 小さな、直列4気筒エンジンです。


バックヤードにも、たくさんの車が。



オートマン峠の手前に一軒だけぽつんと建っている、お土産屋さん。 後ろに見える山の形が、ユニークです。 

このあたりまで来ると、さすがにトイレは水洗化されてなく、直接落下式でした。



オートマン峠を走る前に、「道路幅が狭い上にガードレールも無く路面も荒れているので、よそ見していると転落する恐れもあります。十分注意してバイクを走らせてください」と注意を受けてから走り始めました。 
 

でも、日本の、しかも九州の山の中を走る道からすれば、なんてことも無い道です。


大型トラックなどが通行しているときには、やはり相当な難所だったのでしょうね。

どこかに、車が転落しているとも聞きましたが、残念、見つかりませんでした。
峠を越えると、まもなく、オートマンの町です。


グランドサークルツーリング クラッシュ その後のその後

2012-07-16 13:32:55 | 2012北米ツーリング

ブランディングの救急病院からフラッグスタッフの病院に、ヘリ搬送されたYoさんのその後です。

ヒビの入った骨をボルトで止める手術は無事に終わって、 回復状態も良いと言うことで、現地時間の7月2日に日本の病院へ転院と言うことになりました。

フラッグスタッフからさらに150マイルほど南にあるフェニック スPhoenixの空港にストレッチャーに乗せられて運ばれた後、ロサンゼルス空港へ移送。

その後、ロサンゼルス空港から羽田へ、羽田から鹿児島にと、Vip待遇で移送して貰ったと言うことでした。

痛みがまだ残っていると言うことで、日本から介護スタッフがアメリカに飛んで、飛行機内での対応にあたったそうです。

やはり、事故などの搬送を含めた治療費が無制限になる保険をかけていて、よかったです。 でなきゃ、何千万円の治療費請求が来たことでしょうか。

現在は、鹿児島市内の外科病院で回復を待っている所です。 
数日前に様子伺いに行ってみましたが、本人はいたって元気で、歩行介助具を使ってあちこち動き回っていましたね。

しばらくは車いすかな?と思っていたのですが、もうしばらくすると自由に動けそうです。 
バイクに復活するかどうかは、判りませんけど、アリゾナは忘れられない街になりそうですね。