さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

アイスランドの旅は終わる 15

2010年05月13日 | アイスランド

 5:30の朝食に起きると、日本人の母娘もいた。早朝から母親のごってりした厚化粧を見るのはなかなかつらい。朝食は自分で取るシステムでサーモン、ニシンがある。さらにサラミソーセージ、チーズ、パン、シリアル。こんなに立派なら、第一日目に寝坊して食いっぱぐれたのが実に惜しまれた。
 宿の車で空港まで送ってもらう。宿のおばさんは「年々日本人旅行客が増えていて、同じ人が何度も来る。中には毎年、年に2回、季節ごとに来る人もいる」と言っていた。わかる気もする素晴らしいアイスランドの旅であった。飛行機はなんと7:45発。その他にも各地へのフライトがこの時間に集中しており、チェックインは大変混んでいる。9時を過ぎると飛行機は飛ばず、あとは午後4時以降である。離着陸は、朝夕だけというわけだ。なぜ昼間の時間帯にポッカリ飛ばないのだろうか、理解に苦しむ。

 スコットランドのグラスゴーに到着、数時間街に滞在して、夕方の列車でニューカッスルに帰る予約をしてある。しかし日曜日で街にはあまり見るものもなく、つまらぬショッピングセンターをぶらついた。人の感じはアイスランド滞在のあとなので、いつもに増して悪く見えた。都会は雰囲気が悪い。
 ニューカッスルと違ってパブも少ない。通りごとに何件もあるのに慣れてしまっているせいだ。昼食も、しばらくさまよい歩いた後に地獄の消去法で、しかたなく例の柔らかいパスタを食べる。高くてうまくない。しかたあるまい、ここはスコットランドである。一軒シーフードの店を見かけたが、べらぼうに高かった。
 寝不足に加えて早朝からの旅で、さらにグラスゴーで不愉快な数時間をあてどもなく過ごしたのですっかり疲れ、ニューカッスルを眠って通り越さないかと少々心配しながらの列車の帰途についたのであった。
 短い旅行であったにもかかわらず、自分のアパートがなつかしく感じられる。友人にささやかな土産を渡す。ふるさとの日本には箱に詰めて送り出す。自分のこころが住む場所が複数であり、それを選択しながら生きていることを実感する。
 今でもゲストハウス・オーロラのおばさんはあの宿で客を迎え、アイスランドの青年は映画を楽しみ、フランス人青年は国で車を飛ばし、氷河を流れる滝は轟音をたてていることだろう。夜空にはついに見ることのできなかったオーロラが、光のカーテンをたなびかせていることだろうか。

*このアイスランド旅行は2003年のことでした。その後金融危機が起こり、アイスランドは国家的破産の状況に追い込まれてしまいました。さらにこの間は火山の噴火もありましたね。応援に行きたいな^^ そしてオーロラも見てみたい…(^益^)w






ブルー・ラグーンへ戻る 14

2010年05月10日 | アイスランド

 今日はブルーラグーンに帰る日である。朝食の場で、また映画好きのアイスランド青年と話しこむ。この3日間ですっかり親しくなったが、別れの時が近づき、再び会うこともないだろうことにお互い切なさを感じる。旅というのは出会いの数だけ別れがあるものだ。
 バスは13:30レイキャヴィーク発。この地を去る日はせまっている。ところでそこは小さな宿なので、カードが利用できないという。しかたなく銀行に現金をおろしに行く。そのとき宿のおばさんはどこかに出かけるので、宿代は部屋の机に残してくれればいい、と言う。人への信頼があつい。ちなみに俺の名前は覚えていないと思う。宿帳もないから何の痕跡も残さないのだが…。(もちろん現金をおろしてきて部屋の机の引き出しに手紙を添えて入れ、電話をかけておきましたよ^^)
 
午後にブルーラグーンに戻ってきた。ホテルには寄らず、荷物を持ったまま温泉に直行だ。また泳ぐ。実に実にいい温泉である。土曜なので、若干人は多くなっていた。それでも数十人であり、快適であった。宿に戻るとレイキャヴィークで一日バスツアーに参加していた日本人の母娘、そして第一日目にここにいたデンマーク人の3人組がいる。
 この宿ではタバコを吸えるのがラウンジだけなので、スモーカーはなんとなく顔見知りになる。そこで話が始まった。彼らは数週間ここに滞在しているという。こちらは英国からの旅行で、あちらでは海産物がひどいものだ、と愚痴を言うと、”English people are destroying fish!”と言っていた。意見の一致である。コペンハーゲンを訪れたときは、食事は英国よりずっとよかった記憶が甦る。
 
食後にまたそのうちの一人と話が始まった。彼は高校の教師で、皮膚病を治すためにここに4週間いるのだと言う。数ヶ月前も数週間滞在していた、というので、「定年しているのか?」と聞くと「まだ2年ある」という。そんなに休みが取れるのかwww 北欧は税金もべらぼうに高いが、生活は保障されており、年金で立派な家に住み、車も持てるし、この制度にはみんな満足している、と言っていた。
 3人ともデンマークの小さな島に住んでおり、アイスランドからはコペンハーゲンに飛び、そこから船でスウェーデンに入り、そこからまたデンマークの島に戻るコースになるのだという。デンマークの王室の話を楽しそうにする。そういった王室・皇室の噂話が好きなのは、なんといっても英国人、デンマーク人、そして日本人だ。ちなみに私は全く興味がない。
 さて「日本では猿が温泉に入りに来るのだろう?」と聞く。デンマークに猿はいないらしい。見たことがなければ、あの動物は実に興味深いものかもしれないと思う。彼らにとっておそらく日本は、はるかかなたの地であろう。ヨーロッパ統合の話になり、話が政治問題になると、いまいましそうに米国が嫌いだ、と言っていた。現在、世界中のどこへ行っても米国嫌いの話になるであろう。
 英語はあまりうまくなくて、苦労しながら話していた。しかし流暢ではないが意思疎通に問題はない。彼らはデンマーク語に加えてスウェーデン語も話し、ドイツ語も少々できた上で英語も話す。立派なものである。
 
ああ、ついに最後の晩だというのにオーロラは見られない。せっかく冬に来たのに。。。
(゜´Д`゜)゜。ウァァァン あきらめきれずに何度もベランダに出て空を見上げる日本人を、デンマーク人は不思議に見ている。こっちだって猿は珍しくないわい。
 明日は早朝の飛行機に乗るので、5:30に朝食、6:00に出発だ。しかしデンマーク人と、1時過ぎまで話を楽しんでしまった。


何度入ってもいい湯ですぞ(^益^)b


深夜の抱擁 13

2010年05月09日 | アイスランド

 西海岸を周り、車は帰途につく。前後に車の影もない直線で(もちろん生物も考えられない)、法定速度を守れというのは難しい。青年は少々飛ばしたら、遠くにパトカーが止まっていた。それをいち早く発見した彼はすぐにスピードを落としたが、遅かった。止まれという合図である。警官は注意をする。「128kmだぞ!アイスランドではどこでも制限速度が90kmなんだ」とのヲ言葉。フランス青年は「そうそう、90kmですよねえ」と実にわざとらしい返事(ちなみに英語を頑張って話している)。
 「きみは・実に・128kmだ!」と一語一語はっきりと警官が発音。どうなるか、と思いきや、注意だけで許してくれたのであった。青年のわざとらしく、しかも一生懸命勘弁してもらおうとする態度が世界共通、どこでも同じだなあ、と思うのであった。
 
すばらしい景色を堪能できた車の旅は終わり、レイキャヴィークに帰ったのは夜7時、実に残念なことに、その日は温泉に入れないのであった。しかたなし。

 
その夜はこれまた地元で有名なレストランに行き、アイスランド名物の羊のステーキを食べる。特有の臭みはなく、柔らかく旨かった。量もなんとか残さず食べられたが、やはり1時間ほどは満腹で動けなかった。連日同じことをやっているw

 
この日の夜もオーロラの気配はなし。ときおり雲が切れて月や星は見えるのだが… いよいよこの滞在では見られないのかと諦め気分になってきた。
  いつものように、深夜0時を回る頃、オーロラを求めて外に出る。すると宿の前を、中年の女性がウロウロ。鍵は閉まっているし、ドアをノックするには遅すぎる時間なので、途方に暮れている様子であり、俺が出たのを幸いと話しかけてきた。パーティーで出会った人がこの宿に宿泊しており、手紙を渡したいのだという。それを受け取り、その人の部屋のドアに差し込んできてあげた。ひと通り感謝され、立ち話が始まった。
  オーロラを見に来たが、ついに見られそうにないと教える。親切にも彼女は、何かしてやれないかとオロオロし始めた。「ああ、どうしたらいいの?私にできることは…」と泣き出さんばかりになる。
 「ありがとう。気持ちは嬉しいですが、しかたありませんよ。いつかまた来るでしょうから、そのときを楽しみにしています。」そこで彼女は感極まり、いきなり俺をヒシ!と抱きしめる。あまりにも激しいので、こちらも礼儀上(?)腕を回す。深夜に道端で抱き合うって…
(゜゜)コウスイガツヨクッテノォ


どこまで行っても似たような景色に見えるかもしれませんが、ここは半島のはずれです^^;


真冬の北極圏だというのに、海はとても静かです。


ここはいよいよ半島の先端をぐるりと回ったところです。道路が岬の突端までないのが残念。ちなみに歩いて行けるような穏やかな気候じゃないんですぞ(゜゜)

このふたつの岩、長い間ずっとポツンと立っているのでしょうね。たまーにこんなふうに生き物の気配を感じたりするのでしょうか。


半島最西端へ 12

2010年05月07日 | アイスランド

 車は快調にフィヨルドの西海岸を北上してゆく。最初の町、Akranesに一時間あまりで到着。実に何もない寒村。カラフルな小さな家が並んでいるが、ほとんど人を見ない。インフォメーションに行ったがガランドウであった。人口はいったい何人なのだろうか?
 しかたなく次の町、Borgarnesへ向かう。地図では町となっているのに、こちらも小さな家がパラパラと並んでいるだけだ。青年に昼食を奢ろうとレストランを探したが、見事に何もない。ようやくらしきものを見つけ入ったが、小さなドライブインよりひどく、あまりにも悲惨な感じなのでやめる。10人くらいが何か食べていた。しかし町に食事のできるところは2軒しかないという!もうひとつが向いにあるが、こちらもひどい。どおりで先ほど給油したときに、ガソリンスタンドのオヤジが「ここでハンバーガーなら出せるぞ」と自慢げに言ったわけだ。この町の人たちの生活って・・・(゜゜)
 
しかたなくいよいよ半島の最先端、Olafsvikに向かう。途中の景色は見事な大自然だ。モリスの旅日記では馬で何日もかけて歩いたコースが、車では時速100kmのスピードでひと走りである。雪の山を次々に後ろに残して西へ向かった。突端の町ではひどく寂れたホテルにレストランがあった。客はおらず、暇そうにテレビを見ていた青緑の目の若い女性が「魚料理なら出せるが」と言い、タラのフライを食べる。ポテトフライが添えられていた。当然冷凍食品。しかしなんとか昼飯は食べられたのであった。
 海岸に向かって見事な虹を見る。山から吹き下りてくる冷たい風に、雪が混じっている。これは山に積もった雪が吹き下りてくるものだ。ここへ来る途中切り立った断崖から滝が流れ落ちていたが、強風に吹かれて右に左に吹き飛び、しまいには吹き上がって空中に消えているのを見た。吹き飛んだ滝の水は空中で氷つき、粒になる。これを雪と呼べるだろうか?


この滝は激しい風に吹かれて水が横に、そして上にと吹き飛ばされます。(゜゜)スゴイゾ



山を越えて、反対側の海が見えてきます。思わぬ爽快な車の旅に、フランス青年に感謝
(^益^)b


途中できれいな虹が見えました。まわりに何もない大平原なので、素晴らしい眺めでした。


フランス人青年と西の果てへ 11

2010年05月05日 | アイスランド

 朝食の席でのこと。フランス人青年が車で西海岸方面にドライブに行くので、一緒に来るかと誘ってくれた。喜んで申し出を受ける。そこは知床半島のように突き出た半島でさいはての地、観光ツアーにはないが、冒険心から是非行きたいと思っていた場所なのであった。
 彼は父親、弟と共にラリーの選手であり、車が趣味なのである。いつも仕事が終わると、男3人で山道を猛スピードで飛ばす練習に出るらしい。母親はどう思っているのだろうか…。
 
青年はこちらに気を使い、あまりスピードを出さずに丁寧な運転をしてくれた。一度だけ、タイヤを滑らせる見事なターンを見せてくれた。
 彼は英語があまりうまくなく、若干苦労しながら会話をする。こちらのフランス語は初歩なので、ぎこちない会話であった。フランス語の男性名詞、女性名詞の質問をする。あらゆる名詞が男か女になっている。それは覚えるしかないのだ。むかし苦労しましたね。フランスパンは男性、それをスライスしたパン切れは女性になり、カップは女性でグラスは男性ときたもんだ。とにかく苦労すると言うと、フランスでは子供のうちから自然に覚えてしまうという。当然なのでしょう。


フィヨルドでしょうか、氷河によって出来た細長い川がいくつも並んでいます。


むかしの移民、こんな所に流れ着いたら一体どうやって生き延びたのでしょうか。。。


手前に家が見えているので、この大きさがわかるでしょう(^益^)b


クリックして拡大して頂ければ、真ん中に家が見えますよ(^益^)ノ
フランス青年の車は快調にまっすぐな道を飛ばしてゆきました。


パノラマ写真機能か、ビデオがあればずっと続いているこの景色を流れるようにお見せできるのですが、いたしかたなく3枚連写です~^^;


最後の一枚は、フランス青年に撮ってもらいました^^ 川の真ん中にある白いもの、あれは氷ですよ~(゜゜)サムインデス