さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

仁摩サンドミュージアム

2017年01月31日 | 山陰・北陸日本海



石見銀山を見たあとは、1日に4本しかないローカルバスに乗って仁摩サンド
ミュージアムに行きました。バスに乗ったのは俺ひとり。こちらのミュージアムに
行くには、仁万駅の手前で降りたほうがいいのか運転手に聞こうと思ったら、
バスが走っている間にあちらから「サンドミュージアムに行きますかぁ?」と
聞いてきて、最寄りのバス停で降ろしてくれました。乗客一人でいかにも旅人だから
なあ。そして見物する所といえばいくつもありませんから。

入口には、素敵な制服を着たヒマそうなお嬢さん方。いい仕事してますねェ^^



天井にあるのは巨大な一年計。一年に一回、ぐるっと回すわけですな。砂の量は
なんと1トン。365日、24時間、60分、60秒。誤差はどれくらいあるのかしら?
「ゆく年くる年」をやっている間に最後の砂が落ちるようなら、奇跡的な技術ですよねェ。



さてここは、「砂時計」という女漫画の舞台になりました。
「田舎はイヤ!」という女の子が結婚して村を飛び出し、離婚して傷ついて子連れで
帰ってきたら、田舎にありがちな噂地獄に苦しんで自殺。残された娘も思春期に
なってから恋をして、うまくいかずに自殺未遂をするという重~い話です。

いま連載中で人気の作品も、「海街diary」は親が不倫、再々婚、エグイ遺産相続の
話が出てきて、その娘も不倫をしているというなかなかシビアな話だ。

話題になっている「3月のライオン」も、両親が死んでひとり残された少年が必死に
居場所を探そうとする話。親しくなった女姉妹の家も、父親が妻子を捨てて出て
いったにもかかわらず、他所で作った子供を捨てた子供に押しつけようとしたり
財産を取り上げようとしたり、と男女関係のドロドロが満載だ。

むかしから女の子向けの漫画は、「いいんですかっ!」というくらいに大人のドロドロ
がこれでもか、と描かれています。私の好きな山岸涼子の作品などは、ぞっとする程の
世界です。こういうのを読んでいる女の子は早熟になって、同級生の男の子たちは
幼く見えることでしょう。



砂時計がいろいろと展示されています。でも一本勝負にはちと物足りないかなー。



下のほうを手に持つと、クルクルクルっと水が上がっていくのです。俺ひとりで
やってみました。どうなるかわかってますけど、やってみました。名前がLOVE
メーターだそうです。だからなんなんでしょうか。だから… _| ̄|〇



砂時計だけではなく、「砂」の展示もありました。



サハラ砂漠の真ん中に、こんなものがあったりするわけですかい。「バラ」という
よりは「サンゴ」という感じですけどねー。



世界中の砂も展示されていました。莫高窟、行ったなあ~。



タクラマカン砂漠も行ったんだよぉ~^^ そういえば敦煌の砂漠の砂をペット
ボトルに入れて持って帰りました。空港で怪しまれたねェ。



左から千葉の九十九里、真ん中が秋田の田沢湖、右が宮城の竹浜の砂だってさ。
これらは歩くと「キュッキュッ」と音をたてる、「鳴り砂」と言われるものです。
少しでも汚れると、音がしなくなるそうです。



ううむ、ゆっくり2時間ほど見物する時間をとっておいたのに、すぐに見終わって
しまった。山陰本線はなかなか来ないので、時間があまるなあ~w


石見銀山 熊谷家 Part 2

2017年01月29日 | 山陰・北陸日本海



熊谷家は酒造業も営んでおりました。ここは主屋に隣接した蔵なのです。



収納のついた階段がおしゃれですよねェ。そこを登ると…。



二階には飲食具が展示されていました。なにせ何十人も宿泊できる大きさなのです。



こちらで出されたお料理の見本。右の奥に「箱ずし」があります。四角い形の御飯に
錦糸玉子がのったやつです。これがこちらでよく作られた名物料理です。



一階の台所に、箱ずしを作る道具が置いてありました。この木枠の中にすし飯を
詰め、具をのせます。人参、ごぼう、干しシイタケ、油揚げなどを砂糖と醤油で
甘辛く煮たものです。さらにすし飯を詰め、錦糸玉子をのせたら木蓋をして重しを
のせ、半日ほど置きます。それから木枠から抜いて、切り分けて山椒をかけるん
だってさ。きっと嫁いできたお嫁さんが、強烈なお姑さんに仕込まれるんだよ^^;



沢山の人たちがいたでしょうから、台所は日々戦場のようだったでしょうね。



こちらは大正11年、熊谷家に嫁いできたヒサ子さんの嫁入り道具だそうです。
ヒサ子さんは明治36年生まれで、なんと平成17年まで生きたそうです。最近だよ!
明治、大正、昭和、平成を生きたレジェンド!!!102年も生きるって、すごい
ことですねーw

つい考えるよー。
明治36年、1903年といえば、人類が初めてライト兄弟によって動力で浮いた年。
日本ではまだ電気が普及するずっと前だぞ。
第一次世界大戦は1914年だから11歳。第二次世界大戦は38歳だ。
なにせ飛行機が発明された年に生まれ、このインターネットがはりめぐらされる
時代まで生きたのだからなあ~~。




2階も広い。建物の歴史は、そこに住んだ人の歴史と重なるのですねェ。



この造り。大工も超一流だったのでしょう。細部まで隙のない、技の極みに惚れ惚れ。


石見銀山 熊谷家 Part 1

2017年01月28日 | 山陰・北陸日本海



今度は豪商の町屋、熊谷家のお屋敷を見物しました。武家と違って門、塀に続く
庭がなく、すぐに建物です。しかしものすごくでかいよ。



こちらは享和元年、1801年の建築です。ご先祖は毛利家の家臣だったらしい
ですが、江戸時代初めから銀山附役人を務めたそうです。鉱山業の他に酒造業、
年貢銀を秤量・検査する掛屋なども行ったそうです。画像の正面は秤ですよね。



立派な床の間ですこと。



こんな庭もありますが、中庭も複数あるのですー。



風呂は少々小さい。薪を燃やしていた頃には贅沢なものだったのでしょう。



この床下には、地下蔵があったのです。長らく忘れ去られていたそうですが、
発掘されて補修し、このように展示されているのです。

親切で感じのいい係員のお嬢さんが、内部を説明してくれました。この地下蔵を
覗いているとき、お嬢さんのお腹が「グゥ~~♪」と鳴りました^^; 静かで
ふたりきりなので、ハッキリと聞こえてしまい、可憐なお嬢さんは「アァ」と
恥ずかしげに小さい声を出して、黙りました。もちろん何事もなかったように、
私は「この地下蔵の内部の壁は…」などと見物に集中しているフリ^^
実に照れなくてもいいんです。「まっカワイっ♪」と好感度アップなんですよぉ、
と心の中で思いました。。。



これで銀の重さを測ったのですね。命をかけて鉱山の一番奥で掘るやつ、休むことが
許されず、暗闇の中で延々と水を汲みだしているやつ、そして大きなお屋敷のなかで
銀を測っているやつか~w(゚益゚)w



和室って芸術品ですよね。


代官所地役人 旧河島家住宅

2017年01月27日 | 山陰・北陸日本海



こちらは石見銀山附役人河島家の住宅。1610年に召し抱えられ、代々ここの
役人を務めたそうです。武家屋敷なので、塀があり、門をくぐると庭があります。



庭に面したこの部屋は接客用の座敷。庭って贅沢ですねー。



こちらは奥の間。立派な床の間があります。



立派なお屋敷は、ご飯を炊く量も違いますねェ。



食事の例が展示されていました。左に一番偉いご主人が座るんだよ。社会も
階級制度でしたが、家の中でも厳しい階級があったのですぅ~~w



むかし使われていた道具など。いまや骨董品ですね。



大切にしまわれている食器類。大人数に料理を出したりしたのでしょう。女たちは
さぞかし大変だったでしょうね。



納戸にはいろいろと。。。



さて武家を見たので、今度は商家を見ようと次の目的地へ。



おお、古い床屋さんが残っている。もちろん展示物。「すごく古いな!」とのぞき
こんだら、係員であろうお嬢さんが中にいて、こちらがびっくり。



これも古いねー! せっかくだから、三つ編みでりんごほっぺのお嬢さんを座らせて、
目が合ったらにっこり、なんて演出してくれたらなー。(*´д`*)ノシ


石見銀山 大森の町並み

2017年01月25日 | 山陰・北陸日本海



銀山の坑道、製錬所跡を見物し、大森の町並みに戻ってきました。ここは武家と
町家が混在しています。このあたりはまだ街はずれなので、町家ですね。



ごまどうふで一杯やりたいな(^益^)w



例によって、次々に自転車に追い越されてゆきます。あちら下りだもんで
スイスイいきやがるw



おお、自動販売機に木の枠。そうです。街の景観を壊しますからね。いっそ
置かなきゃいいんだと思うのですが…。



赤いポストも、いまや絶滅寸前ですよねえ。



間口が狭くても、奥に長くて広いというのがわかりますね。



風車がクルクルと回っていました。



このあたりも町家です。武家には門と塀があって、主屋に行くまで庭があるのです。
それは次回ご紹介します~。