英国人の同僚は、連休などの休み明けに会うといつもにっこりとして
「ハウ・ア~・ユ~?」と聞いてきた。
中学の教科書によれば「アイム・ファイン・センキュー、アンド・ユ~?」と
聞き返すのが礼儀らしい。しかし仕事に出てきて朝っぱらから「ファイン」の
はずはねーから「アイム・ブルー」と答えると絶句してやがった。
「そりゃもちろん次の休みになりゃあファインになるけどねー」と言うと
「うん、わかる~」と納得していました。2~3回そういった答え方をして
いたら、いつか俺には聞かなくなりました^^ まあ日本人だって早くも
なくたって「おはよう」って言うからなあ。
さて、英語で「ブルーな気分」、「青」は憂鬱でへこんだ色なのです。
日本語の青は、なんか爽やかな晴れわたった空を連想しますけどねェ。
あ~、でも「青い顔してる」って言ったら血の気が失せてることだけどね。
微妙に高尚な英語の話から入りましたが、青い酒の話をしようと思ったのです。
たまたま続いて飲んだもんだから。
金沢の「加賀鳶」な~。旨い酒だけど、それも純米大吟醸。旨いに決まってる。
爽やかでキレがありますが、さすが純米大吟醸、口に含むと旨味が広がります♪
ボトルの青い色が似合ってるぜ!
ハーベイの「ブリストル・クリーム」。英国産の甘口シェリーです。
ブリストルに行ったとき、醸造所に行って飲んだのですぅ~♪
なめらかで芳醇。英国貴族はシェリーが大好きで、とある貴婦人がこれを
飲んだとき、その味わいのまろやかさに「ミルクというよりクリームだわ!」と
感嘆したとか。実にリッチな気分になれますぞ。
このブリストル・ブルーと呼ばれるガラスも素敵で、飲んだあとに捨てるのが
もったいないくらいなのです。
「アジュール」とは、「青」の意味です。「コートダジュール」という地名は、
南フランスの地中海沿岸一帯を指します。Côte d'Azur、「紺碧の海岸」です。
地中海の海の青さを指すのですなあ。ちなみにCôte d'Ivoire(コート
ジボワール)は、「アイボリー・コースト」、すなわち「象牙海岸」です。
そんな歴史を刻んだ国の名前でいいのかー!
うんちく言ってねえで、酒の話だ。これがなんと「土佐鶴」なんだよ!
土佐の酒はひたすらさっぱり辛い。高知の「珍々亭」のおやじさん、「辛口
じゃねえといつまでも飲み続けられねえ!」という土佐の酒飲みの言葉が
思い出される。土佐の盃は三角で下に置けなかったり、しまいにゃ下に小さい
穴が開いていて、手から離せなかったり。ひたすら注がれてつぶれるまで
許してもらえない酒飲みのしきたり。いいなあ。。。
最後はブルーワイン、「バロニア」。スペインはバレンシアの酒です(ヴァレンスィア
と発音すべきだが、わからなくなりそうだからしかたねえ)。「午前0時の定期便、
高度1万メートルの風に乗せてお送りする大空の間奏曲、ジェットストリーム」を聞いて
いたら大沢たかおが「いまヨーロッパの若者の間でブレイクしている話題の酒・・・」
なんて紹介するもんだから取り寄せてみた。
なんと青い。柑橘系の香りがする。まさかバレンシア・オレンジを混ぜてないよね?
パーティーの一杯目、みんなで分けて飲むなら話のタネにはいいかも。。。
珍々亭のおやじには飲ませられないな…(^益^;アマイノ
宇都宮からの帰りは、東武線の特急スペーシアで帰る。新幹線は高いしねw
北千住の手前だから、あれは小菅刑務所かー。やけにモダンな建物になりやがった。
中央から放射線状に造られているのは、全体を見張るのに便利だから。近代的な建物に
なってからその伝統を守る必要もあるまいに。
スカイツリーが見えてきた。今回の旅もこれで終わり。
昼飯も居酒屋も、今回の旅ははずしまくった。なので通販で浪江町の酒、磐城壽を
注文した。福島で飲んで以来、これを求めて金町の居酒屋へ行ったりもしたものだ。
(その店の主人はあちら出身で、友達が蔵をやっているそうです)
原発のおかげで浪江町の蔵元はもちろん操業不可になった。磐城壽は世の中から消滅する
ところだった。しかし検査用の麹が県外に出されており、それがあれば造れるだろうと
山形の酒蔵が協力し、磐城壽は甦ったのです。
そんなニュースをどこかで読んだことを、私はすっかり忘れていました。あるとき立川の
場末の居酒屋で飲んでいたとき、「山形の酒、磐城壽」とメニューに書かれていたので、
店員に「俺はこの酒を好きなんだよ。山形のはずがねえ。だって磐城だよ?」と言ったら、
「では確かめるために瓶を持ってきます」といって戻ってきたら、やっぱり「山形」!
そォ~だっ!どこぞの山形の蔵が、浪江の酒を救ったっつー話だったんだっ!
泣けてくるじゃありませんか。
米は福島産。水はまだ浪江町のを使えませんが、いずれ水も米もオール浪江で造りたいと
頑張っているそうです。俺もせいぜい飲んで応援するよ!
今回初めて飲んだ「ゴールデン スランバ」。「黄金のまどろみ」のなかで見た夢は、
悲しくないんだね?!泣いちゃうから少女なんて出すなっつーのっ!
少し湿っぽくなっちまったもんだから、能天気なやつをひとつ。
桐の箱に入った「類」の文字。もう酒ってわかりますよね?
ミシェル・グロ! ブルゴーニュの「ニュイ・サン・ジョルジュ」です。
吉田類がフランスを旅した特別番組がありました。そこで彼はなんとグロに会うのです。
そしてグロの作ったワインのエチケットに、類さんが絵を描くという企画。
あ~、俺もブルゴーニュに行って、地酒を飲みまくりたい。そのうちやるよ!マジ。
フランス語をやらねば。「チュ・エ・シ・ベル♪」(=あなたはとても美しい)
さてさて、ミシェルの造った珠玉のニュイ・サン・ジョルジュ、お味のほうは。。。
グラスに注ぐとピノ・ノワール特有の華やかな香りが立ち上り、澄んだ薄紫の色に
吸い込まれるように、これは飲まずにはいられない。花のドレスを着た、すらりとした
姿の美女が長い髪をなびかせながら、新緑の林の中を軽やかに歩いていて、こちらを
振り向いて微笑んでくれたよう。すべてが完璧で均整がとれている。パーフェクト。
宇都宮、夜の出動は市役所の先の「庄助」にも行かずに、15分ほど北に歩いた住宅地に
ある「ギターラ」へ向かった。
なんか朽ちかかっている飲食店街か~。
住宅地にぽつんとありました。
以前の店「蔵元」が閉店になる直前に来たことがあるのです。そのときの様子は、
宇都宮の居酒屋はひとり客をご覧ください^^ ひとり客で6時間くらい飲んだか?
そのあとで手紙のやりとりなどもあり、今回は新しい店ギターラに行くと電話をかけて
おいたのです。「小さくなる」と言っておられましたが、雰囲気は変わっていなくて
少し嬉しい。
再会を喜びつつ、いろんな話をしました。新店も1年半が過ぎ、軌道に乗っているそうです。
目についたのは、店の名前が入ったウィスキー。「さつまゑびす堂の酔神ウイスキー」
だってさ。マルスだけでなく、鹿児島にはこんな醸造所もあったのかー。
これがまたなかなか旨かったぞ。
さて、娘さんが東武宇都宮の繁華街、俺の泊まっているホテルの近くでバーをやっている
という話を聞きました。「それじゃあ2次会にはそちらに行かねば」というと、いつしか
店に来ていたマスターの奥様がそこまで車で送ってくれるという。そりゃー助かります。
「気に入ったウィスキーをあちらで飲んで下さい」と、酔神ウィスキー「ギターラァ」を
一本、奥様に託してくれるお気遣い。
奥様が電話をして、娘さんのママさんは、店の外まで迎えに来てくれました。なんか
高そうな「クラブ」という感じ?若いといってもお子さんは高校生だそうですが、少し
しっとりした雰囲気で接待をするという「大人の」(オヤジのではなく)店でした。
つまり完全な場違い。
せっかく奥さんに託されたボトルはさっさと奥の棚に置かれ、「角でいいわよねえ?」と
言われてしまいました。
こうなると合わない。
ま、こういうこともあったりしますよ。。。
白河からローカル線を乗り継いで宇都宮に戻ってきました。この街にも寄らねばならぬ
飲み屋あり。
JR宇都宮駅から、宿がある東武宇都宮駅へ向かう。「お座敷くらぶ」っつ~のは
どんなもんだろ?女性スタッフの求人が出ており、「時給2600~5000円」とある。
つまり1時間遊んだら女の子に最低3000円ほど払うわけで、合計はきっと数千円には
なるだろうなあ。そんなんデカデカと出ていたら客が減らないか?場末のスナックなら
2000円だったりするぞ?トクイのヲヴァ~サンだったりするけどさー。
この商店街の先に、大浴場付きのビジネスホテルがあるのだ。
まだ時間が早いので、ちょっと向こうの東武宇都宮駅の裏に歩いてみる。古い居酒屋が
並んでいて、いい感じだ。
オンボロ飲食店街があったというエリアは、なんと区画整理されて駐車場!
なくなっちゃってるよ!!! 函館駅裏の悲惨な景色がフラッシュバック!
スゲーのが一棟残っていた。ほとんど生きた(?)お化け屋敷。明かりがついている
ところは営業しているんだろうけどなー。
これもう立派な(?)廃墟じゃん?
すごい。これでも生きた部分があるというのがすごい。「重要文化財」だよ。
こんなのも最後の生き残り(?)だ。このエリアはほぼ絶滅寸前でした。
アウシュヴィッツ平和博物館、敷地内にある別館ではアンネ・フランクの展示品が
あります。
ナチを逃れて、有名な隠し部屋で過ごした少女の話ですな。
アウシュヴィッツに連れて行かれないでよかったですのお。
さてこちらの貨車にも展示品。
むしろこちらのほうがメインとも言えるのです。
この博物館が出来た由来というのは、青木進々というグラフィックデザイナーが
ポーランドで取材中、偶然古本屋で見つけた画集を見たのが始まりだった。
それはドイツ軍占領下のポーランドで小学生が描いた絵を集めたものだったのです。
むかし軍国少年で、教師に褒められようとして軍隊や戦争を賛美する絵を描いたことの
ある青木氏は、被占領国の子供たちが描いた絵の悲惨さに衝撃を受け、その画集を
日本で出版しようと行動を起こしたのでした。
疎開中のポーランド人を乗せた列車を、ドイツ軍が空襲しているところです。
これを子供が、実際に見た記憶を描いたのです。
ドイツ兵の姿と表情がとてもリアル。つなたい絵でも、思いは伝わります。
連行される人々は涙を流しているのですね。
「お父さんが牛乳を買いに出たら、ドイツ兵がお父さんを射殺したところをぼくは
見ました。お母さんはワルシャワ蜂起で死にました」と書かれているそうです。
暮らしていた農場と家から追い出され、収容所に連れて行かれます。
この光景を子供が見たのですね。
くらくらさせられる絵ばかりでした。子供の絵ですからね。。。