クルーズはテージョ川を戻り、リスボン中心部へと戻ってきました。
先日歩いたところが見えています。クルーズも終わりに近づき、私のリスボン旅行の日程も終わろうとしています。。。
きれいデショ(^益^)b
栄光は誰のものに ~マゼランと世界一周(最終回)
スペインにたどりついた18人は衰弱しきって、さながら「よろめく骸骨」のようだったという。人々は感動した。旅立った5隻はとっくにどこかの海の藻屑と化したと思っていたところ、3年を経てまさか本当に世界一周をなしとげて戻ってくるとは!
この偉業は全ヨーロッパにとどろき渡り、人々を熱狂させた。地球の大きさは確定し、人類は限られた空間でこれから生きてゆくことになったのだった。帰還したビクトリア号がもたらした26トンの香辛料は、5隻の船隊準備の費用をはるかに越える純益を生んだ。
マゼラン海峡で逃げ出して帰っていた連中は心臓が止まる思いをしたことだろう。しかしマゼランは死に、反逆者の一員だったデル・カーノがビクトリア号の指揮をとっていたことが彼らにとって幸いした。マゼランの手記は永遠に葬り去られ、いつでも死んだ人間に罪は着せられるのだ。
忠実な記録者ピガフェッタの日記も、政治的圧力によって抜粋しか残されていない。マゼランの遺族には、全部の利益の5分の1が与えられるはずであった。しかし3年間の航海の間に、残してきた妻も、二人の息子たちも死んでしまっていた。つまり誰も受けとる人間はいなかった。
さて栄光は誰のもとにあるのだろう。国で言えばマゼランの出身地ポルトガルか、彼を送り出してやったスペインか?ポルトガルはマゼランを冷たく扱い、追い出し、最後には邪魔をした。ならばスペインが人類初の世界一周をなした国であると誇っていいのだろうか?ひとりの外国人を司令官として雇ったわけなのだが…。
次に人物である。
最初に世界一周をしたのは、奴隷として連れ去られたマライ原住民のエンリケである。拉致されて故郷からヨーロッパに連れてゆかれ、スペインから南米を渡って地球をぐるりと一周し、再び生まれた地にたどりついた男。ただし彼はなされるがままになっていただけである。
歴史の教科書に出てくるのはマゼランである。しかし彼は途中で死に、世界一周を成し遂げていない。ただし企画を立て、船隊を途中まで指揮し、夢のマゼラン海峡を渡ることに成功した男である。
今ではほとんどその名を知られていないだろうが、スペインから出発し、再びスペインに戻るという、ヨーロッパ人にとって初めて世界一周を成し遂げた男はデル・カーノである。ただし彼は南米でマゼランに反逆し、その後次々に船長が死んだものだから、タナボタで最後に指揮者となっただけである。当時は彼がもてはやされた。
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