さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ロンドン・パリの深夜バス その3

2011年02月26日 | 英国

  時刻はまだ5時前、冬の夜空はまだ真っ暗で、街道には深夜便のトラックが音を立てて通り過ぎてゆく。指先がしびれ、耳が痛いほど寒いんです。ここがどこなのかもわからないんです。

 こいつぁたまらねえ。とりあえず目の前にあったベンチに座る。冷たい・・・。冬を過ごすホームレスの気持ちが痛いほどよくわかる。マッチ売りの少女だって、腹が減っていてもまずは暖炉がほしかった。しかしライターをつけて煙草を吸っても、やさしいおばあちゃんも暖炉も出てこないぞ。眠いが寒くて寝られやしない。しかしここで寝入ってしまったら凍死するか?

 タクシーも通らないが、もともとフランスの通貨を持っていなかった。迂闊なことに、小切手しか持っていなかったのだ。日本円とイギリス・ポンドは少々持っていたが、夜行の船とバスでやってきたので、両替をするチャンスがなかったのだ。しばらく街道を歩いたところに深夜も開いているカフェがあったが、小切手は拒否されてしまった。まーそうだろうねw

 しかたなく先ほどのベンチへ戻り、夜が明けるのを待つことにした。目をつむると、通り過ぎるトラックの音だけが聞こえてくる。寒さに耐えながら、薄れゆく意識のなかでドップラー効果の連続再確認をさせられる。まだ真っ暗だ。銀行が開く時間になったら歩き出すことにしよう。。。

 


一ヶ月もイギリスとフランスを旅してくるの?羨ましいわ。ねえ、私も連れて行ってよ・・・

 (H子さん、羨ましくても来なくてよかったですね)


優雅すぎるよ。風来坊の旅なんて。そんな旅行憧れるなあ・・・

 (S代さん、優雅とはほど遠いようですが、憧れますか?)


行かないでって言っても、あなたはきっとさっさと出かけてゆくのでしょうね。そしておしゃれなカフェでパリジェンヌでも口説くんでしょう?・・・

(M美さん、場末のカフェには現金がなくて入れませんでしたよ。
しかもいたのは男ばかりでしたね)


今頃はパリもロンドンも空いているでしょうね。いいわね、のんびりできて・・・

(Y理さん、たしかに空いていますね。あたりにゃ誰もいませんよ。
のんびりとゆーか、時計の針がなかなか進まないんですけど…)

 

 


*あとでわかったことですが、ここは街の中心から地下鉄で数駅ほど離れたところでした。「パリ行き」って言われてもなぁ・・・w(゜゜)w



シャンゼリゼ通りを歩いて凱旋門~(^益^)b

昼間は元気に観光しましたぞ^^;


凱旋門の上に登れるとは知らなかったよ^^; 画像をクリックすると大きくなりますぞ


こちらは夕暮れ時のエッフェル塔より、セーヌ河の眺め。画像をクリック!


ロンドン・パリの深夜バス その2

2011年02月25日 | 英国


これがドーバー海峡から見たアルビオン、ブリテン島への入り口です(^益^)b

 どれだけ食べても減ってこないチップスの山を後に残し、わたしはパリ行きのバスに乗り込んだ。深夜の街道をバスは走り出した。

 照明の落とされたバスの中は誰も話をせず、外の景色も見えない。一日の旅の疲れにバスの揺れがやがて眠気を誘う。しかし1時間ほどで、バスはブリテン島南端のドーバー海峡に到着した。バスの中でパスポートの確認がなされ、寒い外を歩かされてフェリーに乗り込む。あとにする英国の地をふりかえると、夜の闇の中にアルビオンの白い断崖が映え立っている。「アルビオン」とは、ラテン語で「白い国」という意味で、グレートブリテンすなわち英国の古い呼び名だ。むかしヨーロッパ大陸からブリテン島に渡った人が、この印象的な白亜の壁を見てそう呼んだのです。やはり英国を旅するときには、ヒースロー空港ではなく、このアルビオンを出入り口にするのが正統なのではないかと考える。

 さて夜行船とはいえ、たかが一時間あまりのフェリーの旅である。乗客はあちこちのベンチや椅子に座り込む。しかし船は思いのほか揺れた。深夜1時に頭がぼうっとするところにこれはたまらない。目が回る。トイレで英国人が嘔吐している。眠気と船酔いにふらふらになりながら、フェリーはようやくフランスのカレーに到着した。ふたたび外の冷たい空気にさらされて、わたしはバスに乗り込んだ。

 バスは真っ暗な街道を疾走した。しばらくすると睡魔が襲ってくる。いつの間にか意識を失いようやく夢の中という頃、運転手の「降りろ」という声に起こされた。バスはパリに到着していたのである。場所は夜の街道。時計は5時前を指している。バスはすぐに消え去ってしまい、乗客はあっという間に誰もいなくなった。ここはどこ?!・・・といっても、わかっていることはここが暗く厳寒の空気に包まれたパリということだけだった。。。


ロンドン・パリの深夜バス その1

2011年02月24日 | 英国

寒い思い出シリーズを続けます。

 
それは3月のロンドン旅行を終えて、パリへ向うときのことでした。その頃はまだロンドン・パリ間を長い海底トンネルでつなげる列車ユーロスターがなく、あったとしてもわたしの懐には十分なお札が入っていませんでした。従ってドーバー海峡を渡るもっとも安い移動手段は、バスとフェリーを乗り継ぐというものでした。たしか数千円ほどだったと思います。昼と夜の時間が選べましたが、夜に移動すればホテル代が一泊ぶん浮くこと、また朝にパリに到着すれば、そのまま見物に一日が使えると考え、深夜にロンドンを出発し、朝にパリに着くという便を使うことにしたのでした。

 バスが出るのはヴィクトリア・コーチステーション。ここからはヨーロッパ主要都市への長距離バスが出てゆくので、まるで大きな港の雰囲気が漂っています。冬のロンドンは極端に日が短いので、深夜バスともなれば侘しさも増すというもの。1ヶ月ほど滞在した英国を離れる寂しさも加わって、寒さが体の芯まで見にしみる。

 手続きを済ませて出発を待つまでの間、イギリス最後の食事には、すぐ横にあったフィッシュ&チップスの店を選ぶ。この国のなごりを惜しむのには最適と言えましょう。引き寄せられるように、外の薄暗さと対照的な、照明が明るい場所に入ってゆく。殺風景な所なのに、まぶしさに一瞬目が眩む。

 テーブルにつき注文をすると、深夜なのでがらんとした静かな店内に調理の音が聞こえ出す。店員が魚を取り出して衣をつけ始めた。それが尾頭つきの30cm以上はありそうな立派な魚。まさかあれをまるごと一匹なのかと思ったら、店員はそいつをそのまま油に放り込んだ。ピチピチという揚げ物を作る音がする。ラグビーボールを押しつぶしたようなまるごと一匹。

 しばらくすると、白い衣に包まれていた魚は、すっかり茶色に変身して大皿に乗せられた。それに揚げたジャガイモ、すなわちチップスをスコップでザッザッと乗せる。子どもが砂場で使うようなあのスコップで何杯もですよ。冗談でなく、揚げたじゃがいも洗面器一杯ぶん。テーブルに到着した瞬間に、こいつはどこまで食べられるのか、と唖然とするほかはなかった。

 あつあつに揚がった魚に塩をふりかけ、さらにヴィネガー(醸造酢)をたっぷりとふりかける。フォークでざくっと身をほぐすと、湯気が立ち昇り香ばしいにおいが一杯にひろがる。ヴィネガーでしめらせた衣は、まだクリスピーな歯ごたえが残っているうちに急いで食べなければならない。

 そう、天丼を食べるときには、揚げたての天麩羅にタレをかけたら、すぐさまザクザクとかじらなければならない。見る間にふやけてきてしまう。ベタッとなった衣の天麩羅ほどまずいものはない。肉団子や鳥のから揚げにあんかけをからませるときもそうだ。揚げてからませたらすぐ!味が滲みているのにザクザクという歯ごたえの素晴らしさよ!!!できることなら、天麩羅も肉団子も、鳥のから揚げもひとつずつ揚げてひとつずつタレにからませ、ひとつずつ食べてみたいものだ。それこそ究極の贅沢か?

 というわけで、F&Cの大食い&早食い選手権ときたもんだ。もちろん魚優先。たまにじゃがいも。この量ではじゃがいもを残すのはいたしかたないが、礼儀上かなり減ったな、というところまでは片づけたい気がする。せっせ、せっせとはふはふはふ・・・。

*すみません、いまコレを書いているのは午前3時。ハラ減ってます。つい話が横にそれ、「寒いシリーズ」ではなくなりましたね。つづきは待て次号。 (^益^)b


キュー・ガーデンの温室

2011年02月22日 | 英国



((( ;゜益゜)))ガクガク さむいさむい だだっぴろい植物園を歩いていると、温室があるではなーいか。

暖をとろう^^



中に入ってみると、それほど暖かくはな~~い。
外のシビレる寒さに比べて、「薄ら寒いな」ぐらい。





おしべとめしべがですな・・・ *゜益゜*ドウカシタノカ?



絵に描いたら本物らしくないような彩りですよねェ



たぶんとっても珍しい、貴重な花なのでしょうね…。


真冬のキュー・ガーデン

2011年02月19日 | 英国


 今回ご紹介するのはロンドン南西部にある王立植物園で、キュー・ガーデンといいます。ユネスコ世界遺産にもなっているところです。ここは大英帝国の繁栄を背景に貴族が膨大な財産を投じて作ったもので、もとは熱帯植物を収集したのが始まりで、さらに宮殿や途方もない広さの庭を造ったのでした。

 世界中に出て行った大英帝国の船がかき集めてきた植物をここで研究して品種改良し、それをまた世界中の植民地へ持ってゆき、プランテーションで大量生産し、それをまた世界中に売りさばくという構図でした。

 中国産のお茶やペルー産のキニーネをインドに持ってゆき、アマゾンの天然ゴムをマレー半島へ、ポリネシアのパンノキを西インド諸島へ運び、原住民を働かせてそれぞれを大量生産しました。そりゃあ儲かったでしょう~。この植物園を拠点として世界展開のビジネスが繰り広げられたわけです。



へんちくりんな形の木。支えてないといけないのでせうね…(゜゜)



長い歴史を刻むこの植物園に行ったのが、真冬の2月でした。こんなだだっ広いだけの植物園、あまりにも寒いもんだから全然人はいませんでした・・・。



大英帝国の夢とロマンを運ぶ船が、ここを拠点に世界中を巡ったわけです。
 
夢とロマンが・・・
 
 

寒いんだよ w(゜゜)w
 
 
ひとっこひとりいねーぢゃねーかwww
 
散歩するってったって、どこまで歩くんだ?ずっとこんな景色で、先が見えねーぞ。。。
 
俺は何がしたくて、何をやっているんだろうか、という疑問が湧いてくる。
誰に言われたわけでもなく、自分でこんなクソ寒いところを入園料払ってうろついているわけだ。
「行ったことあるぞ」なんて自慢にもなりゃしねえ。
 
どこまで歩こうか?
 
もう帰るか?




中国様式のパゴダ発見。
なんとなく目標が見つかったので行ってみる。
帰ろうかと思っても、一応なんか見ておきたいという貧乏根性^^;
19世紀にロマン主義という時代があり、そのときは異国趣味が流行りました。
それが残っているんですね。



これは約100年前にあった展覧会に展示された寺の門です。

日本の庭園や民家も置いてありました。

しかしこんな西洋式庭園の真ん中にポツンとこんな門だけがあるというのも・・・(^益^;



どうです。完全にミスマッチですよねェ… w(^益^)w