玉川上水緑道を進んでいます。その名の通り、この下には玉川上水の川が隠れています。
左に大きな木が見えますが、あそこは神社。見事な大木です。
地図で言えば、②のあたり。環七を渡って笹塚駅に近づいています。
公園が終わると、橋が見えます。ここからまた川が顔を出すのです。
川というよりは水路ですね。橋の上から撮影しています。正面に見えるのは笹塚駅前の
ビル。何年か前に出来ましたが、駅に隣接する便利な場所なので、すんごい値段だった
ような。新宿まで3~4分だもんなあ。
その橋を振り返るとホラ、公園の下から水路がまた現れるわけです。
広重が喜びそうな桜の木。こういうのを「邪魔」だと切ってしまってはいけません。
「たこの吸出し」とは何でしょう?おできの膿を出して治す塗り薬だそうで。
笹塚の駅前に着いたところで、水路はまた地下に隠れてしまいます。
知らない人は気づかないが、この水路は駅前を流れているのです。
旅に出ようと計画を立てていたのに、コロナ感染者爆発で酒場は制限されるし、
しばらくは旅行も難しい状況になってしまいました。今日は天気もいいので、散歩がてら
新宿あたりまで歩くことにしました。うちの近所から、玉川上水が「暗渠」(あんきょ)
となって続いていることを知ったのです。暗渠とは、地下に埋設した水路のことです。
むかしは川の支流だったりしたわけですが、都市が開発されてふたをされたのです。
そう言われてみれば、たしかに水路があったりなかったりという記憶があるが、1本の
つながりにはなってない。それをどうなっているんだかたどろうというわけです。
スタートは代田橋のあたり、地図の①からです。神田川はずっと北の、方南町あたり
から中野新橋のほうにつながっています。青い線がその支流。ほとんど水路は地上に
ありません。そして今回たどるのは赤い線、これが玉川上水なんです。全然知らなかった。
だってほとんどとぎれとぎれなんだもんー。まあそれを、これからご覧ください。
家からスタートして、やがて代田橋駅付近の水道局「和田掘給水所」。ここは鬱蒼とした
原生林があったんです。植樹した感じじゃなく、ぶっとい木がたくさんこんもりして
いたんです。そして、なんと狸の一家が住んでいたんです!この都会の真ん中にだぞ!
20年くらい前だったなあ、遭遇したのは。しかし何やら工事をしやがって、すっかり
木を伐採しやがって、あの狸一家はどうしたんだろう?
この建物、以前は森の中にある感じで、外からは全然見えなかったんですー。
京王線は高架にする工事がもう20年以上前から始まっています。これから20年くらいは
かかりそう。左が元の道路。いま歩いている歩道と右の車線は給水所の敷地だったのです。
線路はいったん3本にして、高架を作っていくのでしょう。
代田橋の駅を通過。「ちから」は前に来たことがありますが、コロナのときはずっと
閉まってたなあー。
向こうに代田橋のホームが見えています。その下を水路があるが、ここで行き止まり?
ここの階段を降りていくと。。。
ホレ、こんなふうに、地下の水路となっているわけです。
そこから振り返ると公園。そう、この下は水路なんですー。
その公園を東に進むと、環七道路をくぐります。
するとまた公園。この下に水路があるとは、言われなければ誰にもわかりません。
でも、「玉川上水緑道」って書いてありますねー。
茅ヶ崎から、お隣の平塚にやってきました。
おお、茅ヶ崎よりも大きな町だぞ。
旧横浜ゴム平塚製造所記念館です。明治時代、日本海軍の火薬工場(日本火薬製造株式
会社)設立の際、英国人支配人の執務室や住居として建設されたといわれる八幡山の洋館。
テラスでお茶なんか飲んでたんだろうなあー。友人が「こんな家なら住みたいなあ」と
言いましたが、「それには素敵な女性がいないとねェ」と返したら、「たしかに!」と
納得していました。普段着もジャージなんかじゃダメだぞw
駅に戻るには、このでっかい歩道橋を渡らなければなりませんでした。十字になって
おり、どちらに行こうとも真ん中を通らなければなりません。真ん中に人が集まったら
へこんで落ちないかー。
帰りは藤沢に移動し、次回行ってみようと思っていた昭和な飲食街に。
なんか古い感じの酒場があります。入ってみたら、天ぷら専門!居酒屋かと思ったら、
ちと立派な店でしたー。
というわけで、2軒目は昭和な酒場を求めて彷徨う。。。
このやきとり屋「一徳」は、実にレトロ感があるでしょう~?ちなみに酔っ払って
なだれ込んだので、店を撮影せず、翌日におぼろげな記憶をたよりにグーグルストリート
ビューで見つけ出したのです^^;
そしたらなんと、店のおやじが写っているいるではないかー。このおやじが名物男で、
店のルールがうるさく、ねぎまが焼けたら「肉とネギを一緒にひと口で!」だのなんだの
事細かにいちいち言うんだ。みなさん、関心があったら食べログの口コミを見て下さい。
鍵を開けて、次に戸を開ける。まさか自分がこんなに出てるとは思わないだろう。
一歩間違うと「うるさい!」「二度と来るもんか」となりそうですが、口コミでも
わりとみなさん受け入れているようで、私もいちいち口を出してくるのに楽しく
飲みました。というわけで、久々に(か?)途中から記憶が消失。小田急線に乗った
わけですが、気がついたら乗り越して新宿に到着していました。ずっと酔いつぶれて
いたので、むしろ早く着いたように思えました。
そしてオヤジは入って行く。。。
茅ヶ崎にやってきました。オミクロンの流行で地方への宿泊は控えざるを得ず、
近場の散歩をすることにしたのでした。
「雄三」とはカヤマさんでしょうね。ちと苦手なタイプだなーw
昼飯でも食おうかと繁華街らしき方向に向かうと、おお、夜の街!「ショーパブ」って
入ったことないけれど、楽しいのかなー。「美・熟セレブクラブ」というのもいいかも
しれん。「セレブ」じゃなくて「おばちゃん」たちが出てくるんでしょーw
「煮干しラーメン」という名前に惹かれて入ってみたら、昔懐かしの東京ラーメン
ではなく、若い人がやってるオサレな感じでした。ラーメンを置いた腕が全部タトゥーw
こりゃやっぱりあの「サザン」なんでしょうね。Southernと綴って-doriときたもんだ。
Southern Streetじゃいけなかったのか?dori St.はどうも違和感がある。しかし今まで
Arakawa RiverとかMt.Bizanとか見たことがある。さすがにAra-RiverとかMt. Biもしくは
Bi Mountainとやるわけにはいかなかったのであろう。
「江の島が見えてきーたー、俺のー家も近い―♪」と頭の中に曲が流れる。
続けて「エリィ~マイラ~、ソスイ~♪」という英語(?)も流れるw
あそこに見えるは烏帽子岩。
この地層は1200万年前にさかのぼるとか。どんだけェー!
昔のえぼし岩は現在のものより先端部分がより烏帽子らしく西へ長く尾を引いていた
そうです。しかし戦後に米軍の射撃訓練の標的となり、先端部分は消失したとか。
いまの米軍ウィルスよりムカつきますね(=゜益゜):;*.’:;
1200万年前からあったやつを壊したんですよ。。。
「サザン通り」から「サザンビーチ」にやってきました。
このモニュメント、「茅ヶ崎サザンC」というらしいです。説明によると、「二人で
円の側に立つと、円が結ばれて完結する」んだそうです。
なんかなーw
寒川駅から1駅歩いて、宮山駅にやってきました。駅は通りから狭い道を入った
わかりにくいところにありました。駅前の店は「米 雑穀 燃料」のお店。
首都圏ではこういう店、珍しいですねェ。
駅舎も木造で、かなり地方という雰囲気。
畑があって、その向こうには圏央道の出入り口。なんかかなり田舎に来た気分。
少し北上して、社家駅(しゃけ)にやってきました。乗り鉄の友人が、「古い駅舎が
あるんですよー」と言って降りたのです。たしかに丸い入り口が印象的。ここは
大正時代の建築なんだそうです。
もひとつここに降りて見てみたかったのは、地図で見るとすごいでしょ。東名と
圏央道が交差するでっかいジャンクションがあって、どうやらその下を歩けそうなんです。
ホースをぐるぐるにしたような感じでしょうか。道路が3階建てです。
車で走っているとジェットコースターに乗っているみたいな気分ですよね。
東名高速道路が正式名称らしいですが、もちろん語源は「東京と名古屋を結ぶ」から
「東名」なんでしょうね。圏央道は「首都圏中央連絡自動車道路」だそうです。
名前をつけるルールは、「京葉線」(東京と千葉)、「東横線」(東京と横浜)と
いったように、1文字ずつとってつなげている安易な方法なんですが、どの文字を
とるかのルールはなさそう。テキトーに語呂がいいのを選んでるのか?
「東京と名古屋をつなげて東名」は、「京屋」にしてもよかったわけで、「首都圏
中央連絡自動車道路」は「首中路」でもよかったとー。
このグルグル渦巻の真ん中に立った気分、どうも写真じゃ難しい。真ん中で仰向けに
寝転がって、魚眼レンズを空に向けて撮影すればぐるりという感じが伝わるかな?