花の聖母大聖堂内部の壁には、フィレンツェの街が誇る詩人、ダンテの絵がかかっています。
ダンテの右うしろには、大聖堂の丸屋根が見えますね。そしてダンテが右手で紹介しているように見える、段になった白い円錐状のものは、彼の代表作『神曲』で描かれている「あの世」の世界です。
『神曲』は「地獄編」「煉獄編」「天国編」の三部構成になっています。この作品を少しばかり御紹介いたしませう^^
ダンテはある日フィレンツェ街はずれの森に迷い込み、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスに出会います。
わ!幽霊!!! あなたはウェッ、ウェルギリウス先生ではあーりませんか!
( ゜Д゜)y ほんものディスカ…?
ウム、いかにもさうぢゃ。これから君に「あの世」を見せてやらう。 ついといで!
というわけで、ダンテは1300年以上も昔の大先生に案内されて、まず地獄から見物を始めます。それは地下にあり、アリジコクのように円錐形を逆さにした構造になっています。地獄は9丁目まであり、だんだん下に行くほど罪の重い人がいるわけでした。
1丁目…洗礼を受けなかった者が送られます。 なんかひどくない?
2丁目…肉欲に溺れた者が送られます。 それって… _| ̄|〇
3丁目…がつがつと大食の罪を犯した者が送られます。
係長、夜食にやきばそ食っている場合じゃないぞ。ビールまで飲んでるだろ。ここでは3つ首の番犬に食いちぎられるんだぞ。しきゃもスケベより悪い、ときたもんだw
4丁目…けちん坊とか、浪費家が送られます。なんかお互い激しくののしりあっているようです。
5丁目…ブチ切れるタイプの人が送られます。血の海で泳いでいます。
6丁目…異端者が火あぶりになっています。 (キリスト教中心主義まっしぐら!)
7丁目…暴力を振るう奴がいます。えらくひどい目にあっていますぞ。
8丁目…悪意をもって罪を犯したものが送られます。いろんな罪に分類されていますが、偽善者やインチキで人をだます人、職権乱用するやつなど、ダンテは知っている人たちを沢山見かけます。おべっかを使ってズルイ奴なんかは、クソの海に投げ込まれています。
9丁目…裏切り者が、氷づけになっています。やっぱり卑怯な奴が、地獄の一番奥深~いところに行くのですなあ。
地獄巡りは終わり、次に煉獄(罪を清めるエリア)へのツアーが開始されます。ここも階層が出来ており、人々は「高ピー」「やきもち」「すぐ怒る」「ぐうたら」「どん欲」「食い過ぎ」「スケベ」などの罪を反省し、修行することによってそれらを乗り越え、天国へ近づいて行くのです。
(それにしても、どんなやつらが天国に行けるんでしょうね…w)
ここを登りきったところで、ウェルギリウス先生から衝撃のお言葉。
わしが君を案内できるのはここまでぢゃ。別れのときがやってきたぞよ。
ええっ!先生、いなくなられちゃ困りますよぉ!ど~したらいいんすかぁ…w(゜゜)w
わしはね、キリストが産まれる前の人間。だからキリスト教徒でないんぢゃ(あたりめーだ)。
だからぁー、ここから先の天国には行けないっつーわけ。
(ぐはっ!)
心配すな。あとは天女ベアトリーチェが案内してくれる。
せっ、せんせい~… w(T益T)w (スカス内心嬉しかったりするわけだ^^;)
というわけで、そこからの天国見学ツアーは、永遠の美少女ベアトリーチェに導かれて続くのであった… (^益^)v アトハヨンデネ。
さて、この絶世の美女ベアトリーチェにはモデルがいたのです。それはダンテがまだ子供の頃、フィレンツェを通るアルノ河にかかった橋、ポンテ・ヴェッキオですれ違った女の子でした。ダンテはその可憐な美少女に一目ボレ、そのイメージが時を経て永遠の憧れの存在になり、ついに作品のなかで天女にまでなっちまったというわけだ。
これがポンテ・ヴェッキオ。個性あふれる橋です。
現在ポンテ・ヴェッキオには、観光客で賑わう貴金属店がびっしりと並んでいます。ここで指輪なぞ買ったりしてね、「君はボクのベアトリーチェだ…」とか言って口説くのもいいかもしれません。あ、ぢごくの何丁目かに送られないように気をつけましょうね^^;
サンタ=マリア・デル・フィオーレの教会は、クーポラが美しい本堂と、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニの洗礼堂の3つから成り立っています。八角形の洗礼堂には、旧約聖書の話をモチーフとした、ブロンズの彫刻が美しいギベルティ作の「天国への扉」があります。
この扉の名誉ある製作者を決めるのには、なんと大がかりな公開のコンクールが行なわれました。著名な芸術家たちが参加するなか、その最終審査に残ったのが、ギベルティとブルネレスキという二人だったのです。この二人にまつわる興味深い逸話が残っています。
ギベルティは課題作の審査にかかわる高名な彫刻家や工芸家に前もって意見を聞き、その助言に従って伝統的な中世的工芸趣味の強い、繊細な作品を完成させました。当然審査員たちは、その作品が提出されたときにギベルティを絶賛しました。
しかし次にブルネレスキの近代的な、激しくドラマチックな作品を初めて見たとき、審査員たちはこちらのほうがすぐれていると驚いた。しかし自分たちの助言通りに作品を完成させたギベルティを褒め称えたあとで、それを落とすのは心苦しい。悩みに悩んだ結果、優勝は二人で分け合い、門扉の製作も共同で行なうこととすると決定したのです。
ギベルティはその決定を受け入れたましたが、ブルネレスキはつっぱねたとのことです。
* * *
まだ話は続きます。栄誉あるコンクールの優勝者ギベルティには、あの大聖堂の巨大なドーム製作の仕事が回ってきました。それには名誉だけでなく、高額の報酬も約束されていました。
しかし直径42メートルにも及ぶ巨大な空間に、方形から円形に移行しながらドームを立てるという作業は大変至難な仕事で、ギベルティには仕上げられなかったのです。実はギベルティは、建築においては実力が足りなかったのです。そこでコンクールのあとにローマで建築学を学んでいた、ブルネレスキが登場します。彼はいずれこうなるであろうことを予測していたのでしょう。ブルネレスキはギベルティのあとを受けて総指揮者に任命され、独創的な二重構造になったドームを完成させたのです。
大聖堂の内側から天井を見上げてみると、よくもまあ仕上げることができたものだ、と感動しますよw
委員会は、契約をしてしまったギベルティに、しかたなく高額の報酬を払い続けたそうです。でもブルネレスキは、そんなことより心の底からしてやったり、と思ったことでしょう。
このクーポラは、お椀を二つ重ねたような構造になっています。だから登るには、内側のお椀の上をつたってゆくような感じで上がります。頂上に辿りつくと展望台からは、フィレンツェの街並みが360度見渡せる素晴らしい眺めが広がっています。さらにこの丸屋根の表面を近くで見ると、石が大変複雑な形で組まれています。天蓋の途方もない重量を支えるため、このような方式が取られているとか。ブルネレスキは天才だったのです。
ふうふういいながら登りつめると、突然爽やかな風を受けて視界が開け、この素晴らしい景色が待っています。まだ行っていない人は、この経験を初めて味わうことができるという喜びがあるのですよ(^益^)b
「天国の門」は、長い間風雨にさらされて劣化してきたので、本物はこのように博物館に入っているのですよ(^益^;
ローマから列車に乗り、トスカーナ地方の中心にあるフィレンツェにやってきた。メディチ家が興隆を極めたルネサンスの華ひらく芸術の街だ。
小高い丘の上にあるミケランジェロ広場から望むフィレンツェの眺めは、訪れる人々に「美しい」という言葉では言い尽くせない感動をもたらすだろう。ここに行くには市内バスもあるが、真夏の日照りでもない限り、少し頑張って歩いて登るのがいい。ほどほどに疲れて、登りきったあとに見る景色は、また感銘も増すというものだ。まず目を引くのが、街の中心にある教会の巨大なドームだ。見とれてしまうほどに美しく、同時に愛くるしくかわいいという女性が滅多にいないように、荘厳な雰囲気をたたえながらも鮮やかに美しい建物は極めて数少ない。そのひとつが、このフィレンツェが誇るサンタ=マリア・デル・フィオーレ、すなわち「花の聖母大聖堂」だ。
画像をクリック!(^益^)b
大都会に住む私は、旅行に出かけて自然の美にこころ打たれることはあっても、普段暮らしている人工の建築物に感動することは少ない。中世から変わらぬこのフィレンツェの景色を保つには、イタリア人の、しかも圧倒的多数の市民の合意と並々ならぬ努力が必要だろう。御覧の通り、屋根の色と壁の色は決められている。建物の高さも厳しく統制されている。高く飛び出しても低くてもいけない。妙な隙間もあってはならない。例外は教会の大聖堂と、左方に塔が目を引く市庁舎だけだ。すなわちここでは宗教と政治が、美しく街を治めているのである。
例えばここに高層のビジネスビルやホテルを乱立させ、街の真ん中に高架線の新幹線を通し、駅は巨大なメタリックの建物にすると言ったら、間違いなく狂気の沙汰と思われることだろう。さらに醜い金属製の「タワー」を建て(それさえも既にビルの谷間に埋もれてしまったが)、派手なパチンコ屋が乱立しているのが、我らが古都京都である。
世界中を見渡してもまれな木造建築が並ぶ街。中世の時代では、東山や嵐山から街を見渡せば、いくつかの寺の伽藍と塔だけが目を引き、くすんだ木と瓦屋根の色が一面に広がった美しい景色を堪能できたことであろう。長い歴史を経て作られた人類の遺産は、日本中の都市を絨毯爆撃した「敵国」の米軍でさえも破壊するのをためらった。それを日本人は自らの手で葬ったのだ。「開発許可」の権限を行使した政治家は、終身刑をもってしても償いきれない、取り返しのつかない大罪を犯したのだ。
私は英国に留学中、「都市計画」を専攻する中国人の友人がいた。中国はいまオリンピックを終え、「万国博覧会」の真っ最中だ。彼は近代化と伝統ある文化の保護を両立させる研究をし、母国に貢献しようとしていた。
そこで私は過去の日本に学ぶべきであると勧めた。救いようのない過ちをよく見て、二度とそのようなことがないようにしてほしいと伝えたのだ。すると思いもよらず、彼は日本語を話し出した。
京都ニハ、タクサンノ新シイ建物ガアリマス。
京都ニハ、タクサンノ古イ建物モアリマス。
絶句したのは30秒ぐらいであっただろうか。彼は私の助言を聞くまでもなく、日本が東京オリンピックのときに行なった都市開発を学ぶため、独学で日本語を勉強していたのだ。そして中国で最もポピュラーな日本語の教科書で、最初のページに出ているのが上記の例文であるそうだ。
これは最高のブラック・ジョークであることを伝えておいた。この教科書の著者と話をしてみたいものである。
*さてさて、来週からその友人チェングォを訪ねて、北京と上海に行ってまいります。もちろん万博にも行きますよ(^益^)b そのレポートは帰国後に報告します。。。
イタリアやスペインの観光地には、ジプシーが出没します。まだカワイイのは食事のときにカーネーションなどを売りに来る少女で、一輪500円を要求したりします。また哀れを誘うのが、赤ん坊を連れて「ミルク代を…」と物乞いをする若い母親。しかしその赤ん坊は、交代で使い回しをしたりしているのです。
少年は哀れを誘うのが難しいので、スリやかっぱらいになります。持ち物からちょっとでも目を離すのは危険です。連中は外国人観光客を見つけては、グループになってついて回り、常に隙をうかがっているからです。日本人は一番の標的ですぞ。
空港から街なかに入るところや長距離バスの停車場、また有名な観光地には、もう何人もそういう少年らを見かけたりします。新聞売りのフリをして近づき、新聞を押し付けた瞬間に下から手が伸びてくる。さらにその瞬間を狙って数人が、一斉にあらゆるポケット、バッグなどに手をつっこみます。これはもうスリというより強盗団ですね。しっかりとファスナーをしめるなどが必要で、巾着式のショルダーやバックパックは狙われやすい。もうワッとやってきてむしり取ろうとしますからね。
あるとき、バックからメガネを出そうとした瞬間に、前からジプシーの太ったおばさんが喚きながら寄ってきた。「げっ!」と思った瞬間に、うしろから両手で背中を押されました。急にうしろから押されれば、なんだろうと驚いて振り返る。それは若いお嬢さん。その瞬間に、前の太ったおばさんがバックに手をつっこもうとしていました。サンドイッチ攻撃ですなあ…。幸いサイフは取られませんでしたが、相手が女だけに手荒い対応はしにくい。だからこういった仕事は女子供がやっているのです。
この10年で、イタリアの警察はそういったジプシーの取締りをだいぶ強化しました。なんといっても観光の国ですから、評判が大事でしょう。それでもまだまだ見かけます。イタリア旅行をする人は十分に気をつけませう(^益^;
古代ローマの巨大なスパ施設、カラカラ浴場の遺跡は、ローマの街なかに残っています。
夏場などはあまりにも暑くて、歩くのは大変です。かなりの日本人が、「のどカラカラ浴場…」と言っているハズだ!浴場とはいってもコーヒー牛乳の自販機はないので、水のペットボトル必携です。
とにかく規模が大きい。一度に何百人、いや何千人と利用していたかもしれません。スポーツ施設があり、円盤投げや砲丸投げなどで汗を流したのでしょう。それから熱い湯、ぬるい湯、サウナまであり、オリーブ油を体に塗ってマッサージや垢すりまでしたそうです。
ローマ帝国は、当時の植民地にもスパ施設を作りました。英国はバースという街にあるんですよ。それが「バス」になったのですぅ(^益^)b
迷路みたいですぞ^^;
この遺跡が現在は劇場としても利用されています。W杯イタリア大会の前夜祭には、パバロッティ、ドミンゴ、カレーラスの「世界三大テナー」によるコンサートが行なわれましたね。
このセットは「アイーダ」でせう^^ イタオペ、本場で見たいですなあ(^益^;