モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」は、スペインの放蕩者、ドン・ファン伝説が元になっている。そのヴァリエーションは数知れないほど作られているが、モリエールの「ドン・ジュアン」がもっとも広く読まれていると言えるだろう。モーツァルトもそれを使用したらしい。
この主人公、女を口説くことひと筋の暇人だ。従者レポレッロの手帳によれば、落とした女の数たるやスペイン人は1003人!(ちなみにイタリア人は640人、ドイツ人231、フランス100、トルコは91ときたもんだ(^益^)オレヨリチョットオオイナ) 念のため、これは従者が数えていたもので、御本人はそんなことを誇るどころか、振り返ることなど全く興味はないでしょう。
ある晩、ジョヴァンニはアンナという女の部屋に忍び込んでいる。それに気がついた騎士長の父親は、彼に決闘を申し込む。ジョヴァンニはやめろと言ったのに、聞かずに飛びかかった騎士長は殺されてしまう。娘とその婚約者は復讐を誓う(野蛮ネ)。
逃走したジョヴァンニは、またいい女を見つけて口説こうとするが、それは以前モノにして捨ててきたエルヴィーラだったw(゜゜)wマズイゾ 当然また逃げる。エルヴィーラはジョヴァンニが放蕩者だとわかっても、それでも彼を思い続ける。この女、困ったことにジョヴァンニを追いかけて、次の獲物をモノにするのを邪魔するわけだ。
その後ジョヴァンニは次々に女を口説き、皆を招待して宴会を開く。誰にしようか、いい女とあれば見境なくモノにしようという魂胆だ。そんなジョヴァンニに、通りかかったところに立っていた、殺された騎士長の石像が突然彼に話しかける。
調子に乗っているのも今のうちだぞぉ~!
神をも恐れぬジョヴァンニは、その石像を笑い飛ばして晩餐に招待してしまう。
晩餐の場で、エルヴィーラはジョヴァンニに改心を勧めるが、彼は全く聞く気はない。そこで招待された騎士長の石像がほんとうに現れ、彼を地獄に落としてしまう。「悪事をなすもののなれの果て」ときたもんだ。
さてこんなプレイボーイの行く末を描いた作品なのだが、主人公ドン・ジョヴァンニの地獄落ちに異議あーりませんか?!この放蕩者は、善人とは言いませんが、そんなに悪人か?
ジョヴァンニがやめろと言っているのに、明らかに殺意を持って切りかかったのは、騎士長だ。婚約者のいる愛娘が誘惑された父親の気持ちはわかるよ。でもね、強姦未遂じゃあないんだぜ。口説こうとしているだけの男をつかまえて殺人未遂は、明らかにそちらさんが有罪でしょうが。
そう、口説かれた女たちは、襲われてはいない。紳士的に(?)口説かれて、その気になっているのです。しかも女たちは、相手が放蕩者と知っていようが(エルヴィーラ)、自分に婚約者がいようが(村の娘)、ジョヴァンニを恋人に、そして亭主にしたいと望んでいる。どっちが悪いんや。合意の上なら、最低限同罪でそー。節操のないジョヴァンニをたしなめる従者レポレッロだって、金貨を見せられて主人の手伝いをしているんだ。こいつは最後に「ゴメンナサイ」で勘弁されているが、金のための確信犯だぞ。
ジョヴァンニは欲望に任せて女に言い寄っているだけで、その他の罪を犯していない。自分に復讐をしようと追いかけてきた人間とも知らずに、窮地に陥っていたアンナとその婚約者を、騎士道精神によって救っているほど、彼は真っ直ぐな人間なのである。
どうやらこのお話、日本の「忠臣蔵」に似ているところがあるようだ。挑発されて、こともあろうにお城で刃傷事件を起こした犯罪者浅野の復讐をするために、長い準備期間を経て集団テロ行為を行なう赤穂浪士が美化されるのと同じ構図ではないか。
つまり感情的動機から発する犯罪的復讐が正当化されるというわけだ。ドン・ファン伝説で救われないのが、それが人間社会の不合理な懲罰のみならず、超法規的な「神」によって断罪されることである。
モテる男は、よってたかっていじめられるのであるなあ。モテる女もバッシング(やっかみ)を受けるものだからねヽ(^^)ノ