さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

職人蔵 醤油資料館

2020年02月29日 | 関西シリーズ


「角長」という、慶応2年に建った醤油の仕込み蔵が昔から使用されている器具を
展示しています。無料^^


醤油は米と同じようになくてはならないものですよねー。それも濃くて旨いやつじゃ
ないといけません。スーパーの刺身パックに入っている小さな袋のやつじゃいかんのだ。

私の友人で、「エビフライには醤油なんですよ!」と力をこめて言うやつがいます。
「それわかる気がする。意外にソースよりよかったりするんだよね。でもコロッケは
ソースだろ?」と言うと、「いいえ!コロッケも醤油が合うんです!」と主張。
「なんだよ。まさかお好み焼きにも醤油なのか?」「当然です!」「それって、ただ
なんでも醤油なんじゃねーの?」と聞くと、笑ってました。最初からそう言えってのw


人がいません。なんだかドロボウにでも入ったような感じ^^ しかも昔の世界のw


番台にはだいたいうるさくて厳しく細かいおっちゃんがいるんだよねー。俺、ダメw


あの板を踏んで、ギーコギーコ水を汲むんだよね。


お?


覗いてみたら、こんな感じでした。150年を超える歴史のなかで、こんなかで隠れて
ちゅーしたやつは何人くらいいるだろうかな。

15人!


「奇数のわけないでしょ!」って思いましたか?スケベでもてる若旦那が、何人もの
使用人にやっちまったりすることもあるんですぅ~(^益^)w


どんな行程で使われたのかはわかりませんが、ぐりぐり回っているところを見て
みたいですなあ。


湯浅の古い町並みを歩く

2020年02月28日 | 関西シリーズ


おもちゃ博物館を見たあとは、湯浅の町の中心地へ向かう。歴史を刻んだ建物が
並んでおります。


麹(こうじ)の製造販売店だそうです。明治11年の建築だって。格式を感じますのう。


「岡正」なんて屋号が出ていますが、なんの店かしら。ここ湯浅は醤油発祥の地で、
数多くの醤油の蔵があったそうですが。


山田川というそうです。この川のほとりに並んだ倉庫から、おそらくは船で味噌や
醤油が出て行ったのでしょう。


立派な町並みなのですが、まったく人と会いません。。


実にたくさん醤油醸造所がありますが、どれくらい稼働しているのだろう?


木格子が素晴らしい。右上の楕円形の窓は、虫籠窓(むしこまど)というそうです。
この形は木瓜(もっこう)型というもので、すごくおしゃれですよねー。
しかしどの家もしっかりメインテナンスされていて、廃墟めいたものは全然ない。
商売はしっかり続いているのかな。


たばこ屋さんに灰皿があったので、ひとり静かに一服 (-。-)y-゜゜゜
でもそんなときに限って近所のおばちゃんが通りかかるw


さすがみかんの里、こうやってあちこちで販売されていました。


紀州名産、金山寺味噌だって。ちと寄ってみたい気もしたが、味噌は旅の途中で
買ってしまっては重い。。。 酒は買うくせに^^;

金山寺味噌というのは、大豆や米、麦などいろいろとつぶつぶが入っているやつで、
調味料ではなく、そのものを酒の肴のように食べるやつです。これは鎌倉時代に
伝来したもので、この製造過程から醤油が生まれたそうです。19世紀の初めには、
ここには92軒も醤油屋があったんだってさ。


湯浅おもちゃ博物館

2020年02月27日 | 関西シリーズ


腹もふくれたし、ではでは湯浅の町歩き。


港で海が引き込んでいるところ。真ん中に鳥が飛び立ったのが見えますか?


見事なツートンカラーの羽根ですねェ。

ちなみにこの中波止、慶長6年(1601年)の石積みだそうです。1601年といえば、
シェイクスピアが「ハムレット」を出した頃だぞw

「中波止」(なかはと)とは、海につき出した石の防波堤、埠頭のことで、船を
つけて荷物の積み下ろしをするわけだ。賢くなっちゃうネ^^


港から町中に入ってきました。はたよ食堂のおやじさんによれば、ここらはとても
賑やかなときがあって、夜の街もあったということです。日本中の港がそうだなあ。


だんだん渋い建物が増えてきました。この町は醤油で有名だそうです。


お、観光案内所でもらった地図に書いてあった「おもちゃ博物館」。せっかく前を
通ったのだから、ちょっと寄り道してみよう。


こんなふうに古いおもちゃが並んでいました。思いもよらず、なかには人が沢山いま
した。ちょうど一緒に入るおじーさんがいて、先に100円を払っていたので、俺も
係のおばさまに100円を払う。奥には将棋盤が何台か並んでいて、おじーさんたちが
一生懸命指していました。

なんだか入場料というよりも、その参加費用のようでした。係の上品なおばさま二人も、
俺が将棋大会に参加するつもりで入って来たのか?と迷ったようで、ただの旅人だと
伝えました。するとこのときは近所の人たちが集まる親睦会のようなものがある日で、
「こういう機会でも作らないと、男の人たちは出てこないから^^;」と説明して
くれました。

そぉ~か、女の人たちは集まって賑やかにおしゃべりするけれど、男っつ~のは
女の人にこうやって世話にならないと出てこられない連中が多いというわけかー。
でも、その奥ではひとりのおじーさんが数人のおばーさんたちに何やら簡単な英会話の
レクチャーをしていました。文化や教養に関心があって学ぶことに熱心な女性、そして
「上に立って教える」のが男っつ~のもステレオタイプな構図だなあ。


これは昔のUFOキャッチャー。係のおばさまが、「なんだと思います?」と聞きます。
井戸に何か落ちたときに操作して拾い上げる道具なんだそうです。いろんな道具が
あったので、ひとつひとつ質問されて答えて説明してもらうことになったのでした^^;
いままで郷土資料館系にはだいぶ行ったので、カナーリ答えられたぞ(^益^)b


コーヒーをご馳走になりました。あとで壁に「100円」と書いてある札をみたので、
どうも将棋大会参加費用を払ってしまったお返しだったようです。


なつかしい品々を見てお暇しました。お二人に外まで送って頂きました^^


湯浅の「はたよ食堂」に

2020年02月26日 | 関西シリーズ


さて田辺から湯浅に向かいます。短い距離なのに、「有料特急」が嫌いなのに、
電車がないもんだからイヤイヤ特急に乗らなければならない。(`・曲・´)


電車は海岸を北に走ります。


ようやく雨もあがってきたぞー。


湯浅の駅舎は工事中でした。本数も少ないのに、こんなでっかいのいるのか?


おとなりに閉鎖された古い駅舎がありました。こっちのほうが味わいがあっていいのに。


駅前の観光案内所にはコインロッカーがなかったのですが、裏のほうに荷物を置かせて
もらって町歩きスタート。まずは海辺のほうにある古くて有名な「はたよ食堂」に
行って昼飯だ。


こういう雰囲気なので、もう昼から居酒屋気分でビールにおでん。


ナイスなレトロ感。これってそのまま「昭和博物館」のセットに使えるよね。


小あがりでゆっくり飲むのもよさそう。

さてここのおやじさんが、キャラが立ってて二度と忘れられない「ミスター和歌山」。
幸い(?)ふたりっきりだったので、話がはずんだ。

この店はすでに創業数十年を経ており、長い歴史をかいつまんで話してくれました。
ここは昔は主な交通手段として使われていた船が到着する港で、この店の前には旅館が
あり、そこの宿泊客がこの店にたくさん来てくれていたそうである。しかし連絡船が
途絶え、旅館が廃業してからはパッタリと客が減ったとか。過疎化が進むただの住宅地
ですからねえ。

そして飲酒運転の取り締まりが厳しくなって、多くの客が車で来ていたから、それから
パッタリと客が減ったそうです。昔は飲酒運転当たり前の時代もありましたからねえ。

店が繁盛していた頃はあちこち旅行をして、いろんなところを訪れたそうです。これも
よく聞く話ですねえ。伊那の居酒屋のじーさんを思い出す^^;


「この店に来たら名物のどて焼きを食わなくちゃ!」となかば強制的に勧められる^^;
上は筍とこんにゃく。下が普通のモツです。おっちゃんは筍を「かぐや姫」と言います。
「かぐや姫は何から生まれたの?」と嬉しそう(^益^)w

このあたりは坪80万円のときがあったそうです。「でもいまいくらか当ててみな!」と
言われ、「わからないよォ」と言っても「当てて!」と言うので「じゃあ10分の1の
8万」と言うと、「そんなもんだよ」と寂しそうに言っておりました^^;

「津波の話が出たろう。あれでみんな恐いコワイ言って、出て行くわ、土地の値段は
下がるわ、いいことないんだよ!」と景気の悪い話が連発でした。でも暗さは全くなく、
笑みを浮かべながら人と話すのが嬉しくてしょうがない、という雰囲気で相手をして
くれました。こういう人と話していれば、生きているのが楽しくなります。


「名物しらす丼」と書かれていれば、それを食べねば。初老の御夫婦が入ってきました。
こちら二人で和気あいあいと盛り上がっていたので、「お客さんを呼んでくれたなあ」と
感謝までされてしまいました(^益^)w


「帰りに食べてね」とこちら名産のみかんをくれました。「2種類違うやつだから」
とのお気遣いも。あ~もうこうやって、またすぐに来なくちゃ、という店が全国の
あちこち遠いところにいくつできたことだろう。

*俺が湯浅に行った直後に、コロナウィルスが出て、湯浅には人が来なくなったそうです。
これから最初の感染者が出たという奈良に行きますし、俺が行くとこにコロナがまとわり
ついているよう。ちなみに次に行く予定の北海道にも出やがった^^;
でもそんなのかんけーねー!(古い) つーか、空いてしまったら逆に応援に行くんだよ!


南方熊楠邸を訪ねる

2020年02月25日 | 関西シリーズ


会津川を渡って町に戻ります。真冬なのに、春のように暖かいぞ。


む、いろんな鳥が。羽根を広げるとすごく大きい。鶴?


サギ?


トリさんの種類がわかりません。。。


田辺城水門のあたりです。熊楠が生きていた頃、ここには大きな旅館が建っていて、
熊楠が結婚式をしたところなんだって。


さて熊楠が晩年を過ごした屋敷にやってきました。以前来たときには休館日だったのです。


すごく立派。働いてなかったのに、親の財産^^;


日本では大学に行くのはやめてアメリカに渡り、そこの学校もやめてキューバに行き、
それから英国に渡って大英博物館で勉強しましたが、留学費用が続かずに日本に戻り
ました。もし十分に費用があったら?しかしあちらでもトラブル起こしてましたから^^;

でも日本に帰ってきたから自然豊かな熊野で粘菌の研究ができたんですからね。大物は
どこにいてもそれなりのことができると。ちなみにこの屋敷の庭の柿の木で発見した
粘菌は新種で、「ミナカテラ・ロンギフィラ」と名付けられました。


憧れるような立派な家です。


奥の机、顕微鏡が見やすいように傾斜しているんです。


庭には楠の木。


すごい数の標本を集めていました。


ケタはずれにハチャメチャな人でしたが、多くの人々に愛され親しまれていました。


来られてよかった。じんわり涙が出そう。


敷地のお隣には、近代的な建物、南方熊楠顕彰館があります。


熊楠に関する膨大な資料がここに保管されています。あまりに博学、多くの言語を
あやつり、広い範囲の研究を行ったので、その成果を検証して研究するのはものすごく
大変な作業でしょう。


熊楠とは関係ありませんが、お屋敷のすぐ近くにある八坂神社に寄りました。
小さな一軒家くらいの敷地です。


ここには弁慶が小さい頃に腰かけたという石があるのです。たしかに尻がすっぽり
入りそうな窪み(^益^)w