さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

レストランでのラフカディオ・ハーンの話

2016年10月30日 | ギリシャ



ナフプリオン旧市街の中心地、賑やかな通りで昼食です。



俺が日本人だとわかると、店のおじさんは「ロマンチックな話を少し聞くかい?」と
聞いてきました。もちろん聞きますよねェ^^;

不思議な縁の話だよ。(おじさんはテーブルの紙にギリシャの地図を書く)
イギリス軍医であったアイルランド人の男が、ギリシャの西にあるレフカダ島にいた。
1850年当時、そこはイギリス領だったのだ。彼はこのナフプリオンから南にいった
イオニア諸島のキティラ島に駐在中、島の娘と結婚した。

2人は男の故郷であるアイルランドの首都ダブリンに移住し、男の子が生まれた。

それってラフカディオ・ハーンでしょ^^; ~と余計なことを言ってしまった。。。

そーなんです。ギリシャ人の奥さんは太陽の明るいギリシャから、もんのすごく暗い
アイルランドに嫁いで、うつ病になってしまうのです。んで離婚して母は帰国。父親も
大英帝国の軍隊で働いているもんだから、いつも世界中にあるどこかの植民地。

少年ハーンはイングランドやフランスで教育を受け、米国の出版社で働くことに
なります。そして日本に来て結婚し、小泉八雲と名乗って教師・作家の人生を送った
のでした。話の腰を折っちゃったのと、ウェイターの仕事が呼んでいるので、残念
ながら「俺はこないだ熊本にある彼の住んでいた家を見てきたぞ」という話をする
前に、おじさんは仕事に戻ってしまったのでした。。。

ハーンがどうして日本に来たって?米国で行ってきた人から、「清潔で美しく、
人々も文明社会に汚染されていない、夢のような国だ」と絶賛の話を聞いて決意
したとか。

以前に秋田の旅のときにご紹介しました、明治時代に日本を旅したイザベラ・バードも
全く同じようなことを言っていましたね。日本の家の中は塵ひとつ落ちていない清潔さ
で、人々は礼儀正しく、西洋文化とは違う独自の完成した文化を持っていると。
実は先にご紹介した、シュリーマンも江戸時代末期に日本に来て、やはり同じような
日本文化の絶賛をしています。詳しくはまた後日に(^益^)b

魚の串焼きです。肉の串焼きも定番の料理です。ギリシャはお隣にあった東ローマ
帝国、のちにオスマン帝国(つまりトルコのほう)の支配下あった時代も長く、中東風の
料理も多いのです。独特のスパイスの香り。



食後に果物が嬉しい(^益^)b

   

朝から古代遺跡を見て、それから博物館を見たので少々疲れました。ホテルに戻って
食後のお休み。



ホテルへの道にはネコちゃんがたくさんいるのです。



うじゃうじゃいるんですぅ~。


ナフプリオン考古学博物館 ~シュリーマンの語学習得法

2016年10月29日 | ギリシャ



考古学博物館は、シンタグマ広場の正面にあります。夜になると人が賑わう
街の中心地にあるのです。



こちらはミケーネ時代の甲冑。先ほど見てきたティリンスの遺跡から出たもので、
シュリーマンが発掘したものでしょう。



あちらでは石ばかりでしたが、こんなものが埋まっていて、続々と出てきたわけ
です。なんとエキサイティング!



よくもまあ、ほぼ完璧に残っていたものです。3000年前とかですぞ。





酒を飲んだのかしら。(^益^)w



ホネもありました。死んでから長い間おかれていて、掘り出されてさらし者^^;



埴輪みたいですね。おっぱいからして女性(*´д`*)


シュリーマンの語学習得法

シュリーマンは、驚くべき語学の達人であった。母国語はドイツ語であるが、外国語として操ることができたのは、彼の自伝によれば英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、スウェーデン語、ポーランド語、現代ギリシャ語、古代ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、ヘブライ語などである。彼は自分の記憶力が「弱い」と言っているが、恐ろしいほどの天賦の才に恵まれ、また信じがたいほどの忍耐力と集中力、継続力があったのであろう。

彼の父親は牧師であったから、ギリシャ語はできなくてもラテン語には通じており、シュリーマンは幼少期に父親からラテン語を学んだ。10歳のときには、古代ギリシャの歴史や古典文学について、ラテン語での作文ができたという。

しかし家庭状況の悪化のため、その後は勉強する機会を得ることができず、食品店の小僧をしているときには、品行不良で退学になって落ちぶれた若者からホメロス(古代ギリシャ語)の詩の暗唱を聞かせてもらい、そのうちの一語もわからなかったとはいえ、いつかはギリシャ語を学ぶ幸福を得られるようにと祈願するのであった。逆境が学びへの憧れと意欲を生み出すのでしょう。

無一文になってオランダの事務所で職を得たとき、きちっとした読み書きができるように、給料の半分を費やして語学の勉強をした。冬は寒く夏は酷暑の屋根裏部屋で、麦の粥をすすりながら英語の勉強をし、その体験からひとつの語学習得法を学んだのである。

多く音読。翻訳はしない。毎日1時間をあてる。常に興味ある対象について作文をし、教師に添削をしてもらう。直されたものを暗記して、次の時間に暗唱する。日曜には英国教会に行って説教を聞き、それを低い声で口真似をする。寸暇を惜しんで、いつでも何かを暗記する。すると3か月後には、英語の散文20ページを、3回通読しておけば文字通りに暗唱できたという。英語の古典作品を、夕方に読んだら夜中に暗唱できたという。

続けてフランス語も古典文学を暗唱できるようになり、その後はどのヨーロッパ言語も、この同じやり方で流暢に話して書くことができるようになるまで、ひとつの言語に6週間以上は必要としなかったという。

一度古典作品を暗唱できるようになると、その外国語訳がわかる。フランス語で書かれた文学作品のギリシャ語訳を手に入れると通読し、辞書を使わずに理解できるようになり、6か月で現代ギリシャ語を習得。古代ギリシャ語は3か月で済んだという。辞書なし、文法規則の習得なし、おそるべし。

それにしても、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語なども短期間で習得できるものか?化け物レベルでしょう。


ペロポネソス民俗博物館 ~シュリーマンの幼い恋

2016年10月27日 | ギリシャ



歩くと1時間以上、というティリンスの古代遺跡からですが、運よくバスに乗れた
ので、あっさりとナフプリオンに帰ってくることができました。



この街には「ペロポネソス民俗博物館」があり、探しましたが簡単には見つから
ない。すると最初に食事をしたレストランのすぐ近くで、顔見知りになった店の
おじさんがいたので聞いてみた。すると近所の知り合いがゾロゾロ出てきて話を
して、どこにあるのかを教えてくれました。ギリシャではみんな親切で、すぐに
こういう雰囲気になると聞いていましたが、その通り。

「みんなヒマなんだよ」という話も聞いたことがありますけど(^益^)w



入口はこんな感じでした。博物館といっても目立たないのです~。



日本の地方都市でもありますよね、こんな「郷土資料館」的なもの。



もちろん(?)ヒマそうな入口の職員ひとり以外は誰もいませんでした。



地元の人は来ないですよねえ。



貴族の子供は、こんな贅沢な玩具を持っていたとー。



そしてアフリカから輸入したココアやコーヒー、インドから持ってきた紅茶などを飲んだのか。


シュリーマンの幼い恋

シュリーマンは、幼い頃から伝説の古代文明を発掘するつもりであるとか、地元の村にまつわる神秘的な話ばかりをしており、まわりの人々は彼を笑いの対象にしていた。しかし隣村の小作人の娘、同い年のミナは、彼をあざけるどころか、真剣に彼の話を聞いてくれて、将来の計画に賛成してくれ、2人は永遠の愛と誠実を誓ったのでした。まだ7歳です。(*´д`*)ノシ

この幼い恋人たちは、「死んだ盗賊の血の石像」、「恐ろしい暖炉の不吉な継ぎ目」、「城壁の中の秘密の通路や地下道への入口」などを一緒に見たり探検したりした。そして将来は様々な神秘を調べ、最後にはトロイの町を発掘しようと約束したのでした。

のちにシュリーマンは母を失い、ミナと会う機会を失って年月が流れた。シュリーマンが職業学校を終えて商店の小僧となって働きに出るというとき、偶然にも二人はめぐり合う機会を得た。ミナは14歳になっており、2人の目が合うとたちまち涙の雨にくれて、一言も交わさずに抱き合った。そして何も話をできないうちに、ミナの両親が部屋に入ってきたため、そのまま別れることになってしまったのであった。ミナが自分をまだ愛していると信じたシュリーマンは、子供ながらもたゆまぬ精励によって出世し、彼女に値することを示そうと固く心に誓い、自分が独立の地位を得るまでは彼女が結婚しないようにと神に願ったのであった。

シュリーマンはその後懸命に働き、オランダの会社で認められ、ロシアとの貿易で力を発揮し、24歳になってペテルスブルグとモスクワで大きな成功をなして独立の地位を確立したとき、自分の経歴を述べてミナに結婚を申し込みたいと手紙を書いた。一か月後の返事には、ミナが数日前に他の人と結婚したと書かれていた。彼の自伝には、そのときの衝撃と苦しみが長々と綴られています。それは一生引きずったのですね。。。


ティリンスの古代遺跡 立ち入り禁止区域

2016年10月25日 | ギリシャ



こちらは約3500年前の遺跡ですから、あっちこっち立ち入り禁止区域です。
ご覧の通り、ロープが張ってあったり、木や鉄の柵が巡らされています。
そりゃあ崩れそうになっているところは危険だし、積み上げられた石を壊して
しまったら取り返しがつきません。

しかし…ありっ?! 入っちゃいけないところをズカズカと歩いているおっさん
がいるではなーいーかっ。初老で白髪頭の長髪を後ろにしばっている。ぱっと見
野人タイプ( ゚Д゚) 最初は他に見物客がいなかったのに、いつの間にかいたのねw



さてさてこちらは地下道。残っていたことが大発見なのですが、ここも実は立ち入り
禁止で、鉄柵の向こう側に手を伸ばして撮影しているのです。

しかしだな、さっきの野人のおっさんが、中に入って見物しているのであったー!
それだけではない。奥さんも一緒に中に入っていた…w 初老だってのに、2人とも、
奥さんはスカートだっつーのに、鉄柵をよじ登って乗り越えたのだ~w

いつしか後ろにはもう1組の中年夫婦が来ていた。野人の夫婦がさっさと鉄柵を越えて
行ってしまうと、俺に話しかけてきた。

ここ、立ち入り禁止ですよね・・・?

そうでしょう。あちらのご夫婦は入っちゃいけないところをどんどん入ってますが…w

いいんでしょうか。ここはあっちもこっちも立ち入り禁止ですが。。。

         




どこにでも変な奴がいるもんだなー。 怒られたらどうするんだろ。



シュリーマンは、何メートルも掘って掘って掘り出したんです。すごいよねェ。



さて、気になっていた、帰りのバスはどうなるんだろ・・・。



ってね、来たときは、こんな街道で突然降ろされたんですよ。もちろんバス停はナイ。
だもんで、時刻表もあるわけナイ。1時間に1本は来るよね?テキトーに立ってたら
止まってくれるの?

とりあえず、バスが来たら手をあげてみる。たまに通るやつはそのまま通過しやがる。
路線バスかどうかなんて見分けがつかないよっ!

すると、古代遺跡のほうから車が出てくる。見ると、さっきの野人夫婦じゃねーか。
奥さんと目が合った。チャッと手を挙げて挨拶された。ほとんど人のいない遺跡だった
から、「いたやつだ」とわかったのです。別れの挨拶じゃなくて、街にほうに行くなら
乗せてくれねーのかよぉ~w(゚益゚)w

ま、世の中甘くないよね^^; シュリーマンは「ナフプリオンから1時間。馬で早駆け
なら25分」と書いています。 バスなら一本道を飛ばすので10分ちょっと。歩いたら
1時間以上はかかるなあ~、と思っていたら、バスが来て手をあげたら止まってくれた
のでしたー(^益^)b 


ティリンス ~シュリーマン発掘の夢

2016年10月23日 | ギリシャ



ティリンスの古代遺跡に立ち、しばし3500年前にタイムスリップ。



長い通路を経て、宮殿の内部に入ってきたようである。



こちらは端っこで、どうやら櫓だか見張り台のような?



こんな宮殿の跡を掘り起こす作業は、どれだけエキサイティングだったでしょう。
シュリーマンは多くの作業員を雇い、毎日ここに通って発掘を続けたそうです。
そして暑い夏の盛りに、昼休みになると石に頭を乗せて昼寝をするのがとても
気持ちよかったそうです。



いまは石ころばかりですが、もちろんここの領主の財宝、金銀製品や宝石細工、
青銅器や土器なども多数見つかっています。それらは今は博物館^^;


シュリーマンの夢

シュリーマンは、ナフプリアに滞在して、毎日明け方にティリンスの遺跡にやってきて発掘を続けた。掘り起こした遺跡を見ると、城塞の城門を通り、堂々たる楼門があり、歩廊を通って宮殿の中庭に入ってゆく。衛兵所の部屋を通過して、さらに楼門に出る。宮殿奥の広間に行くまで、これほどまでに門の連続が示すものは、領主は人民からとてもかけ離れた存在であるということを示している。偉大なる文明が長い時を経て、ふたたび姿を現した。

宮殿には男子用の広間と女子用の広間があり、ゼウスの祭壇が中庭に置かれている。これはホメロスの叙事詩に書かれている描写と同じ状態を示しているではないか。やはり伝説の物語、古代ギリシャの文明は、はるかなる過去に実在していたのであり、シュリーマンはその証拠を掘り当てたのである!

シュリーマンによる探求はまだ終わらなかった。ミケーネ文明の発掘によって、彼の出発点であったホメロスの世界よりもまだ昔の時代、東方から強く影響を受けたさらに古い文明が存在していたことが明らかになったからだ。彼の夢は実現したともいえよう。しかしその時点で、さらにまたはるかな夢が生まれたのである。