さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

竹鶴政孝のスコットランド留学は大変だったろう 4

2015年01月27日 | 

       

リタに惚れた政孝君、フランスのボルドーにワインの造り方を学びに行った帰りに、柄にもなく香水を土産に買って帰ります。喜んだリタは、文学少女だったので、スコットランドを代表する詩人、ロバート・バーンズの詩集をお返しにプレゼントします。そのなかには政孝の留学目的であったウィスキーを謳いあげた詩、”Scotch Drink”が入っていたからです。少しばかりご紹介しましょう。

O thou, my muse! guid auld Scotch drink!
Whether thro’ wimplin worms thou jink,
Or, richly brown, ream owre the brink,
In glorious faem,
Inspire me, till I lisp an’ wink,
To sing thy name!

おお、そなた、私の詩神よ!古き良きスコットランドの酒よ!
うねる地虫のなかを通って逃げ回ろうとも、
濃い褐色になって、縁からこぼれようとも、
輝かしく泡立って、
私の舌がもつれて、目がうつらうつらになるまで、
霊感を与えておくれ、そなたの名前を謳いあげるために。

(^益^)b 「地虫がうねる」というのは、ウィスキー工場の設備で、無数の管を通ってウィスキーができてゆく様子なのです。

Thou art the life o' public haunts;
But thee, what were our fairs and rants?
Ev'n godly meetings o' the saunts,
By thee inspired,
When gaping they besiege the tents,
Are doubly fir'd.

そなたはパブ(居酒屋)の命だよ。
そなたがおらねば、祭りやばか騒ぎはどうなっちまう?
聖者たちの神々しい集まりでさえも、
そなたによって霊感を受けるのだ。
そのとき彼らは口を開けて天幕を囲み、
倍も火を焚きつけられるのだ。

*( ゜Д゜)y-.。o○ 聖者たちも酔っ払ってバカ騒ぎをするの?

When neibors anger at a plea,
An' just as wud as wud can be,
How easy can the barley brie
Cement the quarrel!
It's aye the cheapest lawyer's fee,
To taste the barrel.

近所同志で訴訟を起こして怒りだし、
どうしようもないほどに狂っちゃったとき、
どれだけたやすくこの大麦で作った汁が
けんかをおさめることだろう!
いつでも一番安い弁護士費用なんですよ、
酒樽を味わうことはね。

w(˚曲˚)w いやいやいや、酒は仲直りの薬になることもありましょうが、けんかの種、火に油にもなったりするじゃないですかー。

O Whisky! soul o' plays and pranks!
Accept a bardie's gratfu' thanks!
When wanting thee, what tuneless cranks
Are my poor verses!
Thou comes-they rattle in their ranks,
At ither's a-s!

おお、ウィスキーよ!遊びと悪ふざけの魂よ!
ひとりの詩人の、心からの感謝を受けてくれ!
そなたがおらねば、なんて変な音の言い回しになっちまうか、
私のヘタクソな詩は!
そなたが来れば、私の詩はすらすらと列をなして謳いあげるぞ、
それぞれの尻をとってさ!

(^益^)ノシ 詩人は酔っ払うと、スラスラと詩が口をついて出てくるそうです。
「それぞれの尻をとる」というのはおわかりでしょうか。この詩は、1スタンザが6行になって並んでいます。1,2,3,5行目の終わりと、4行目と6行目の終わりの単語が同じ音、すなわち「韻を踏んでいる」のです。

「悪ふざけ’pranks’」、「感謝’ thanks’」、「言い回し’cranks’」、「列’ ranks’」と、「詩’ verses’」、と「尻’ a-s’」。’ verses’と’ a-s’、ぎゃはは!酔っ払ったら、詩が二列縦隊になってスラスラと出てきたか?

政孝君は、リタから送られた詩集ですから、特にウィスキーの詩は一生懸命読んだはずです。彼は素晴らしい語学力を持っていました。大学の講義に出て、難しい専門書を読むことが出来たのです。でも残念ながら、詩はよくわからなかったそうです。こりゃあ少しばかり訓練と経験が必要ですからね~。


竹鶴政孝のスコットランド留学は大変だったろう 3

2015年01月24日 | 

        

 竹鶴政孝の奥さん、ジェシー・リタさん。私は連ドラのヒロインよりも好み♪

連ドラのマッサンは華奢なイケメンが演じておりますが、実際の竹鶴政孝は子供の頃は腕白で、中学時代は寮長をやっていて、夜に竹刀を持って見回りをしている姿に下級生などはビビッていたとか。柔道も強く、スコットランドに留学中にはリタの弟に教えてやったそうです。

その豪傑も、異国の地で苦労を重ね、ホームシックで連日枕を濡らしていたとか。そんなときに人は恋をするものです。リタの家に招かれたとき、ピアノが得意なリタは、政孝に合奏を申し出ます。政孝はなんと鼓。選曲はリタが、ロバート・バーンズの詩がスコットランド民謡になっている”Auld Lang Syne”をあげて、それなら知ってるでしょう?と提案。「蛍の光」の原曲です。それをピアノとタイコでポロン、ポロン♪&ポンポンポン!ときたもんだ。

政孝は「蛍の光」が別れの曲だと思っていたので、「悲しい曲じゃないのですか」と聞きますが、「そんなことないんですよ」と原詩の意味を教えられます。

 古い友人は忘れられてしまい、
 思い出されることはない、なんてことがあろうか?
 古い友人は忘れ去られてしまい、
 古き良き昔のことも忘れ去られてしまう、なんてことがあろうか?

 古き良き昔のために、親愛なる友よ、
 古き良き昔のために、
 心のこもった一杯をやろうじゃないか、
 古き良き昔のために。

このあと5番までありますが、幼なじみが一緒に酒を酌み交わし、朝から夜まで野山をかけまわった子供の頃の思い出を懐かしみます。というわけで、決して「別れの曲」ではなくて、変わらぬ友情を確かめあうような内容なのです。

日本ではこの曲、卒業式と大みそかに紅白の終わりで歌いますよね。英国では年末のカウントダウンのあと、年が明けたら新年をお祝いして歌うのです。あれっ?と思いますよね^^


竹鶴政孝のスコットランド留学は大変だったろう 2

2015年01月19日 | 

  

ニッカのウィスキーで、ピートを使わない「クリア」という製品があると聞いて
試しに飲んでみました。ウィスキーを造るときには、ピート(泥炭)を燃やして
麦芽を乾かすので、そのときにウィスキー特有の焦げ臭さがつくわけです。
それがないウィスキー。やはり右のスコッチのほうが旨いな^^;

竹鶴はスコットランドで学んで来た本格的なウィスキーを造ったとき、ウィスキー
に慣れていない日本人が「焦げ臭い」と嫌がって、会社はそのピート臭を抑える
ように要求しますが、それがなくちゃあウィスキーじゃないだろう、と竹鶴は
苦しみます。

飲みやすい=売れるだろう製品を造りたい会社の主張もわかりますよねー。しかし
こんな「クリア」なんて製品を出したら、政孝さんは草葉の陰で泣いてないか?


        *         *         *

竹鶴政孝は、大阪高等工業を卒業して酒造会社に就職し、それからウィスキーの作り方を学ぶためにアメリカを経由して英国に渡り、スコットランドの名門エジンバラ大学に行ってみるが、そこは文系の大学なので理科系のあるグラスゴー大学に引き返した。しかしそこの授業はすでに日本で学んでいた内容だとわかり、実際の作り方を学ぶために実習先を探すのでした。

グラスゴー大学の先生にウィスキーの本を紹介された。竹鶴は大胆にもその著者に会いに行き、教えを乞うが、かなりの額の報酬を要求されて断念。その後はスコットランド北部に散在するウィスキー工場を飛び込みで訪ねては実習の申し込みをするのでした。田舎町に行ってはホテルで宿泊を拒否されたり、工場には紹介者があるわけでもなく、どれだけ苦労をしたことでしょう。なにせ日本に帰ったら、ひとりで工場を設置してウィスキーを造る責任者になるという使命があるんですよ。

さて驚くのは竹鶴の語学力です。彼は日本で工業を専門とした学校で醸造学を学んでいるだけですので、特に英語を専門に勉強したわけではありません。現在のように「生きた英語」やら「コミュニケーション重視」などという教育を受けたわけはなく、おそらくは旧来の文法、訳読重視の語学教育を受けたはずです。

しかし彼はひとりでアメリカ大陸を横断してワイン造りを学び、グラスゴー大学では化学の講義を受講し、「もう学んだことばかりだ」と気がつきます。アメリカでは訛りに苦しんだようですが、それは当たり前で、英国に到着すると「わかるので嬉しい」と言っています。帰りに奥さんのリタと一緒にアメリカを渡るとき、リタはアメリカ訛りがわからずに、竹鶴が通訳をしてやったのです。

彼は日本を出てから何か月も経たずに、普段の生活には困らずに、大学の授業を受けるくらいの会話力を身につけているのです。彼が卒業した大阪高等工業はその後編成されて現在の大阪大学の前身だったのですから、エリート校です。専攻科目でないとしても、当時の英語の授業はレベルが高かったのでしょう。文法、読解の徹底的な訓練おそるべし。それで鍛えられた語学力は、原書で化学の専門書を読むことが出来、日常会話などすぐに可能にしたわけです。


竹鶴政孝のスコットランド留学は大変だったろう 1

2015年01月16日 | 

 

連ドラの「マッサン」でウィスキーが話題になっているので、久しぶりに飲んでみたら、なかなか香り高く素晴らしい味わい。本場スコットランドやアイルランドのウィスキーが一番だろうと思っていたのですが、むしろこちらのほうが素晴らしいような?するとサントリーの「山崎」が、イギリスのウィスキーガイド本で世界一の賞を受けました。日本のウィスキーは、いまや世界最高峰に登りつめたようです。

その立役者はおそらく2人。サントリーとニッカの創業者、鳥居信治郎と竹鶴政孝でしょう。竹鶴政孝の生涯は、自伝の『ウィスキーと私』と、川又一英の『ヒゲのウヰスキー誕生す』に詳しく書かれています。


竹鶴は学校を卒業後に、洋酒を扱う酒造会社で働きますが、そこでスコットランドに行ってウィスキーの製造方法を学んで来い、と留学を勧められます。まだ20代前半で当時莫大な金額のかかる留学をさせてくれるのですから、大変名誉なことでしょうが、船で何か月もかかる地球の反対側の国へ、なんのつても紹介もなく、ただ「英文で書いてもらった卒業証書一枚」を持って行くのですから、それは途方もない冒険だったでしょう。

彼はまず太平洋を渡ってアメリカ西海岸・サンフランシスコに到着し、そこでワイン工場を見学、それから大陸を横断してニューヨークに到着。時代は第一次世界大戦の真っ只中。竹鶴は大西洋を渡って英国へ行こうとしますが、ニューヨークで渡航の許可が下りずに2ヶ月も足止めをくってしまいます。途方に暮れていると、下宿のおやじが「それなら大統領に電報を打って文句を言え」と助言してくれます。

まさか、と思いつつも出してみると、その翌日に移民局から許可の連絡が届くのです。竹鶴は「アメリカはなんと面白い国だろう」と驚きます。「これが民主主義」というエピソードですね。合衆国は、主にヨーロッパからの移民で出来た国です(原住民のほとんどは虐殺されてしまいました)。

出身地や言葉の違う様々な民族がひしめきあって開拓をしたのです。とめどもない縄張り争いや紛争を避けてうまくやってゆくには、各地域、各団体が代表を出して議会制を敷くのが合理的です。なので民衆は議員や大統領に対して、おそらくはクラブ連合の話し合いに出てゆくサークルのリーダーとか、クラス委員長、生徒会会長に対するような同胞意識、「うまいことみんなに配慮してよ。よろしくやってくれよ」といった感情に近いものを持っていたのかもしれません。

一方で日本の議員や首相に対する意識は、こういった根っからの民主主義とはメンタリティが違うでしょう。いまだに議員を「先生」と読んだりするし、「大臣」などという時代錯誤的な言葉を使い、民衆の代表(「民主主義」なんですが)というよりは、白紙委任に近い形で従うべき「お上」といった感覚を持っている気がします(当の国会議員も選挙のとき以外は偉そうに勘違いしているやつが多いような)。とても長い間、日本は階級社会でしたからね。

ともあれ竹鶴は、アメリカ大統領に電報で文句を言って、アメリカ東海岸から英国のリバプールへ船で渡ることができたのでした。

 


おぞましき「自粛」をはじめたNHK

2015年01月10日 | らくがき

NHKの正月番組の収録で、お笑いコンビの「爆笑問題」の政治ネタがすべてNGにされたという。

太田光は「要は全部、自粛なんですよ。これは誤解してもらいたくないんですけど、政治的圧力は一切かかってない。テレビ局側の自粛っていうのはありますけど。問題を避けるための」と説明したそうである。

圧力がなくて自粛するわけがありません。そのネタに関して直接政治家から「やめろ」と言われたわけではない、と太田光はかばっている(?)ようですが、それなら尚更NHKは不健全な空気になっているということです。

政権に対して(つまるところどの党や政治家に対しても)批判的姿勢を保ちつつ、できるだけ中立の立場であるべき公共放送の会長が、「現政権に同調する」と言ってはばからないほど、あのモミイさんは非常識です。その会長さんは、今回の政治家を風刺するお笑いネタの圧殺を知らなかったといいます。

それならばNHKの職員たちは、「現政権にたてつく内容はまずい」と思わされるような「圧力」を普段から受けていると想像されます。「やばくないか、コレ」という空気が浸透しつつあるのではないでしょうか。

案の定、会長さんはあとで「規制する&規制しないや、圧力とかでなく、しゃべる人の品性や常識があってしかるべき」と言ったそうで、政治への風刺に対して否定的でした。私が思うには、「品性や常識」に欠けるのは、当の会長さんそのものでしょう。

直接「これはOK、それはNG」とやるのは独裁的な姿勢が露わになるので、「自分は関知してない」と言いながら専制的・検閲的な空気が蔓延しているのは、当のNHKだけではなく、あらゆる文化に悪影響があるのです。お笑い演芸のみならず、反戦的なセリフが出てくる連ドラや大河ドラマの脚本、紅白で歌ったサザンの歌詞、こういったすべてのものを作り出す人々が創作して発表をする際に、曇りのないのびのびとした気持ちでいられるだろうか?

おりしもフランスの週刊誌の出版社で、風刺画を発端に殺人が起りました。許しがたい犯罪です。風刺画はそもそも「品のない」デフォルメです(たまに大笑い)。北朝鮮の将軍様をからかうような米国の映画も「品のない」パロディーです(見たくもないが)。ローマ・カトリックの聖職者たちの腐敗をバカにした『痴愚神礼賛』はものすごく下品です(500年前だよ)。

思いきって言いましょう。健全な文化の形成には、これらすべての「下品さ」はなくてはならないものです。一部の権力による「品性や常識」という理由での圧殺には断固反対です。「これは口にすると危ないかな」という「自粛」が生まれる空気は健全ではない。

最後に、こういう「自粛」という圧殺があったことが伝わるという社会、「それには断固反対だ」と言える自由がある社会にとりあえず万歳。