高知をブラブラする1日。観光地らしきものはすべて行ったことがあるので迷う。
桂浜もなあ、と思いつつ、その近所に「日本サンゴセンター」がある。こちらの
名産品なのです。今年の夏か秋にチェングォがお母さんを連れて日本に来るかも
しれないのです。中国人は赤いサンゴが大好きなので、お土産にひとつ買っておき
ますかー。小笠原諸島で中国船が強奪したものではなく、ちゃんと買ったやつを
なあ(^益^)w
というわけで、5年ぶりの桂浜。午前中なので人も少ない。
この人、動乱の時代に身の危険を顧みず、権力争いや武力闘争に突っ走る連中を
説得して、広い視野から世の中を良くしようと奔走した人ですね。いつも不思議に
思うのですが、群れをなして権力の拡大そのものが目的となっているような、
私利私欲に全力で走っている政治家たちに限ってこの人の名前を出したりします
よね。そもそもこういう人に憧れる人たちは政治家にはならない気がするのですが。
さてここから浦戸大橋を渡って東へ向かいます。バスはないし、タクシーは嫌いだ。
というわけでまた歩いていくぞ~。
誰もいない散歩道、静かでいい。
いったん山の上に出るわけだな。
西へ向かう国道は交通量が多いようだ。
しばらく歩くと浦戸大橋に出た。これって歩いて渡れるの?ここまで来ちゃってから
また桂浜に戻るのはやだよー。
以前に東京・お台場のレインボーブリッジを徒歩で渡ったことがあります。そのときは
車道と離れた余裕のある歩道があったので、景色を見ながら「歩くのもいいね♪」と
お姫様のような女性と散歩を楽しんだのですが、そんな思い出を浮かべていたのが
甘かった。
歩道はあるにはあるが、狭い!トラックが列をなして行き交う。横を大型トラックが
耳をかすめて疾走してゆく。足元が揺れる。音がすごい。風がすごい。
ぐおおおおおおおん!
死にそう。。。
こんなとこ、歩いて渡るやつは滅多にいないだろう。すれすれを飛ばしてゆく
運転手も嫌だろなー。
2月下旬だというのに、額から汗がしたたり落ちる。トラックがひっきりなしに
爆音を立てて数十センチ横をかすめてゆくので、ハンカチを出してぬぐう余裕も
ない。足元を揺らす轟音が近づくたびに、足を止めて横の手すりをつかむ。悲しい
ことに、この修羅場、「大橋」という名の通り途方もなく長いのだ。先に見える
頂上が中間地点だろう。ううう、まだ先だ。
ここが橋の「頂上」あたり。すごい高さだよね。ほとんど山登りなんだよ。
ううう。ようやく下りになってきた。明らかに寿命が縮まったよ。
ところで、橋のたもとにたどりついたとき、橋の反対側の歩道を歩いて行く人がいた!
それは若い白人女性のバックパッカー。「やめとけー!トラックがほっぺたかすめて
行くぞー!死にそうだぞー!」と呼びかけてやろうと思ったのに、2人の間には次々と
トラックが轟音を立てて行き交っており、声をかけてやる間もなく彼女は行ってしまい
ました。新聞で観光客がトラックにひかれたというニュースも見なかったので、無事
渡りきれたのでしょう。しかし、この歩道はあんまりだよ。。。
葉牡丹を出て、しばし夜の繁華街を彷徨う。高知の夜は、なかなか賑やか。
こういったディープな路地裏も魅力的なのだが…。
日曜でも営業しているバー「フランソワ」に入る。
すると客は誰もいなかった。老バーテンダーがひとり。しぶい。一杯目はライムの
カクテル。シェイカーの振り方がさまになってるぜ。
2杯目は何を飲もうかと向かいの棚を見ていて目についた一本。「あれはチェリー・
ヒーリングですか?」と聞くと、「それはこっちに」と並んでいる瓶の奥から出して
くれる。これはコペンハーゲンのバーで飲んだサクランボのリキュール^^
かなりのベテランだな、と思って「何年くらいやってらっしゃるのですか」と聞くと、
「50年以上」ときたもんだ。「高知はハイカラなものが好きなので、戦後から流行った
んだよ」ということでした。それからしばらく長い歴史の一端を聞かせて頂いたの
でした。
そしてオレンジにアプリコットのリキュールをアレンジしたカクテルを所望。いまは
日曜だけここに立っているとのことでした。高知のレジェンド、実にいいタイミングで
訪れることができたのでした。
夜も更けて、はりまや橋もひと気がなくなるまで飲み歩いたのでした(^益^)b
居酒屋「葉牡丹」もバー「フランソワ」も実によかった。充実した夜でしたなあ。
そういえば、酔っ払って方向がわからなくなり、女の子3人組に「ここはどこですか」を
やってしまった記憶あり。いくつもの飲み屋の印が書いてある、やや恥ずかしい地図を
見られて「このホテルはずっとあっちよォ。タクシータクシー」と言われましたが、
ヲヂチャンは2~3㎞ならすぐに歩いてしまうのですよォ~(^益^)w
さて夜になって、いざ酒場へ。そういえば徳島から田舎を回ってきたので、都会は
久しぶりな感じだな。
高知の人気店、葉牡丹。ここは日曜でも開いている。日曜は他の選択肢が少ないので、
混んでいるだろうな、と予測。オーソドックスに17時開店というならその開店直後を
狙うのだが、ここは午前11時からやっているのだ。
行ってみると、案の定入口で立って待っている奴が3~4人。しかし他の店を探し
歩くのも面倒なので、待つことにする。こういうときにひとりはいい。カウンターの
隙間にひとつでも開けばするりと座れるのである。
室戸岬で食べた「のれそれ」を食べる。ここは午前中からやっていて年中無休。
なので一年中にぎやかなのである。隣の中年ご夫婦は、この店に来たかったと
香川県から来たそうである。
のれそれと馬刺しとくれば、日本酒だろう。こちら名物の「若鳥の足」を注文した
ので、そちら用にビールは残しておく^^
「トリの足ください」とおばちゃんに行ったら、なんかニヤニヤして「トリのモモ
でしょ^^」と笑う。そうかねェ?しかし最後に伝票を見たら、「若鳥の足」って
書いてあったぞ!
正面の棚にお銚子が並んでいるでしょう?あれにはすでに酒が入っているのです!
お銚子のおかわりを頼んだら、2秒で目の前に出てきました。まさかそれは誰か
他の人が注文したやつだろう、と思ったら「頼んだでしょ!」と言われてびっくり。
2秒って、世界記録レベルじゃないか?
いつしかお隣のご夫婦と話が始まりました。こういう隣り合わせた客と楽しく話が
出来るから、それを目当てにやってきたとおっしゃる。それが高松の栗林公園の
近くで居酒屋を経営しているご夫婦だったのです。普段から会話して楽しんでいるん
じゃないですか?でも客としてくるのとは別かあ。
あとから来た客が入口で立っていたら、「私たちが出れば座れますよ」と立とうとする
ので、「いまはお客なんだからゆっくりしてもいいんですよ」と言うと、「すっかり
気を遣うのがしみついちゃって…」と笑っておりました。
奈半利駅に高知行きの電車がやってきました。毎度1両編成はバスみたいだ。
阪神タイガース電車で、どうやらこのあたりでキャンプをしているのかな。
土佐くろしお鉄道の電車は、海岸線に沿って高知へ向かいます。だんだん家が多くなってくる。
電車は高知行きでしたが、手前の御免駅で降りる。
それはここから路面電車が出ており、JR高知駅よりもそちらのほうが予約してある
ホテルの前につくからです。それにしても、遅い昼飯を食おうと思っても、駅前に
食堂などはない。
最初は郊外、そしてだんだん高知市内に入ってゆきます。路面電車の走る音は、
何かとても愛着を感じます。その音がかき消されないように、車は少ないほうが
いい。このゆったりしたスピードが、とても人間的。そう、あまり早いと暴力的に
なりますからね。
ホテルの横に、ケーキ屋さんがありました。チェックインまではもう少し時間が
あったので、そこで休むことに。
おお、ちょっと場違いか。いやもちろん昼飲み角打ちなんてのがあれば喜んで
行くのですけどね。いかにも風来坊の雰囲気のおっさんが「こちらで頂けるの
ですよね」と聞いたので、店の女性はやや引き気味の雰囲気でした^^;
旅先だと果物が嬉しいね。
ホテルの目の前は運河。
おっと、ここは明治時代に北海道入植者が船で出航した場所なのかィ。
すし詰めの貨物船で移民団は35人も船で病死、その後開拓した土地(北見)でも
餓死者が出るというような壮絶な入植だったそうで。さぞや大変だったのでしょう。
しかしだな、あちらの原住民アイヌから見れば侵略者だったことも忘れてはなり
ません。ちょうど池澤夏樹の「静かな大地」を読み返そうと持っていた旅の途中
でした。なぜもう一度読もうと思ったのか、それは小説の主人公がイザベラ・バード
に出会うという場面を確認したかったからなのです。バードさんはハワイやアメリカ
西部を旅して原住民と触れ合い、西洋人が「開拓」、「文明化」と考える活動が、
実は野蛮な侵略であり、「未開人」と呼ぶ原住民が実は「気高い人種」だということ
に気づきます。
これひとつでも、歴史は複層的なものであり、一方的に書かれるものには常に注意
する必要があるということがわかります。
さてホテルに到着。ビジネスホテルなのに、和室っていいよね!荷物をワラワラ
広げられるし、畳に寝っ転がれるし^^
窓からはお隣の一流ホテルが見えています。見下ろされているんだな。しかーし、
こんな広い和室じゃねーだろ(^益^)b
室戸からのバスは、奈半利(なはり)に到着。ここからは電車があります。
室戸岬へ向かう途中、線路が終わってしまう東側の甲浦は店も何もなく、とても
寂しいところでしたが、西側の奈半利もわりと寂しい終着駅という感じでした。
駅の裏側へ行ってみると、このように線路が切れています。駅前で昼飯でも食おうか
と思いましたが、あまりその気になれるような店はありませんでした。地元の
名産品などを売っている店で弁当もありましたが、それも…。
なので町をブラブラ歩いてみることに。吉良川町と同じような造りの家がありました。
ここも栄えている時代があったのでしょう。
立派な蔵つき。
海岸線をバスで走っているとき、このような津波避難所がちらほら見えました。この
町にもこのように設置されています。
ちょっと登ってみたくなる。一番上は展望台みたいに町を見渡せるかしら、と思い
ましたが、途中で壁があり、「緊急時にはこれを破って下さい」と書いてありました。
破って上に行ったら怒られるでしょうね^^;
これまた豪商のお屋敷ですな。壁も立派。
人は住んでおらず、建物を保存しているだけのようです。
これは窓がサッシになっているから現役でしょう。大家族でも十分すぎる広さだなあ。
これはもはや「お城」というイメージ。普通の家族なら掃除が大変だぞ^^;
これもすげーなー。そもそも売りになどでないだろうけど、いくらくらいするんでしょ。