塩田平もしばらく南に歩くと平野を抜けて、山の方に入ってきます。この先には
「無言館」があるのです。
山の上にありました。
無言館? それは第二次大戦で戦死した画学生の作品を展示する美術館なのです。
建物は十字架の形をしており、まるで暗い教会のよう。
内部は撮影禁止ですので、様子をお伝えしましょう。
まずは普通の美術館のように、壁にずらりと絵が飾ってあります。美術を専攻した
学生さんたちの絵ですから、特に「~展」といったように特定のコンセプトがある
作品群ではないですし、またひとりの画家の作品を並べたわけでもないのです。
ただ、絵を学んでいて戦死した若者たちの作品を並べているのです。。。
最初の絵を見ます。普通の学生が描いた肖像画です。下に説明書きがあり、
「美術学校に入って召集令状を受け取り、○×で戦死。享年○×歳」などと簡単な
プロフィールが書かれています。
次々に見ていくと、絵は風景画だったり肖像画だったり。それが説明書きを見ると
ほとんどが20代。中には美術学校に入って1週間で招集された若者もいる。
恋人の裸体画を描いて、「帰ってきたらきっと完成させる」と言葉を残したと
書いてあったり、両親や妹の肖像画を描いていたり。
こりゃ「無言」になるし、泣けてくるw(T益T)w
死因を見ると、乗っていた船が沈められたり、撃たれたりというのもありますが、
意外と戦地での病死が多い。場所は中国北東部だったり南アジアの島だったり。
おそらくはまともな食事も出来ず、衛生状態もひどかったのでしょう。そして
人殺しを強要され、故郷の人々を思いながら若くして殺された(病死もほとんど
殺されたうちに入るでしょう)。
中央にはガラスの展示ケースがあり、そこには使っていた画材、戦地とやりとりを
した手紙などの遺留品が並んでいました。これもリアルすぎて見ていて苦しくなる。
「無言」で強烈に訴えてくるメッセージを、「無言」で受けとめる美術館でした。
外に出ると平和な田舎の空気。無言館を出たあとは、しばらく圧倒された精神的
ダメージから回復できませんでした。
相思相愛だったはずの恋人を失い、永遠に続くはずと思い込んでいた幸せが
ある日突然に失われてしまうような経験、満ち足りた人生を送っていたら、不治の
病を宣告されて自分の寿命がつきかかっていることを知らされる瞬間。そんなこと
人生には誰にでもありがちなものなのですが、それは避けようもありません。
しかし、前途有望な若者たちが人殺しに参加することを(おそらくは暴走老人たちに)
強要されて、あれよあれよという間に思いもよらなかった修羅場に放り込まれて
しまう。これも歴史上何度もあったことなのですが、何度「もうやめよう」と反省
しても、しばらくするとまた逆戻り。しかしなんとか努力して避けることはできる
かもしれません。とても難しいことなのかもしれませんが。
上田も5日目ともなると見物するところがなくなっちまった。そこでバーテンダーの
お姉さんが勧めてくれた塩田平の静かなエリアを散歩することにした。先日上田から
別所温泉まで電車に乗って行ったが、その途中で降りて歩いてお寺や美術館を周る
長い散歩道だ。
別所線は30分に一本。駅には20分前に着いてしまった。すると次の電車は
なんと途中の下之郷止まり!アーレーw 次の次が別所温泉行。すると50分後。。。
しかたなく駅の反対側に行き、千曲川のほとりを歩いてみる。なかなかきれいな
所だね^^ おお、下之郷行きの電車が上田を出てゆくではないか。
ゴキひろしが「千曲川」の歌を歌っていたっけな。あいつはあまり好きではない。
私は森進一派(^益^)bミナトマチブル‐ス🎵
天気は良く、風はほとんどない。上田に来て、まだ一度も傘をさしていないし、
そもそも寒くもない。天気には恵まれた旅でしたねェ。
というわけで、塩田町に到着。降りたのは俺ひとりだった。
さてこれがほぼ今回歩いたコース。塩田平から南下して無言館(美術館)へ行く。
ここは行ってみたかったけれど公共交通機関がなく、「車で20分」とか書かれて
いたのであきらめていたのだが、今回ずんずん歩いて行くことに。
それから塩田城址を見て龍光院、塩野神社、中禅寺を回って別所温泉まで歩く!
10kmで数時間のコ~ス!冬に歩くやつは滅多にいないだろう。天気が良いので
穴場だなー。
さあてスタート。ここらは古い建物が散在していてなかなか良い土地柄だ。
向こうには火の見櫓が見えてきた。
立派なお屋敷がちらほら。敷地が広くて静かで結構ですねえ。
駅から離れてくると、こんな感じになってきました。実はこのとき詳しい地図を
持っていませんでした。この方向でいいんだよね?という感じで進みます。スマホを
持っていれば地図を出して現在位置を表示できるのでしょうが、まあ最短コースが
必須というわけでもありませんし^^;
左の木の間には神社があり、そこを通ってきました。神社には大きな木があっていい。
なんかほとんど道がないところも通る。なんとなく方向は間違っていないと思うの
だが、こっちでいいのかなー、と歩き続ける。こんなところの真ん中に一軒家を
建てて、そこにひとりで住んでみたいなあ。
今回の写真は、みんな絵葉書かカレンダーみたいにきれいでしょ(^益^)b
懐古園も見たし、腹も減ってきた。
懐古園の裏手に回る。どうやら寅さん会館も郷土博物館も閉館のようだが、暇なので
一応行ってみることにした。土産屋さんもだいぶ昔に閉まったらしい。寂れている
のお、小諸は~。
ちょっと歩くと、あるある。寅さんの写真が。
き、金の像! なぜ小諸に?と思って調べてみたら、渥美清さんの親しい友人が
小諸に住んでおり、その関係でここでロケをやりたいと話が決まったそうです。
その友人の方がここを開いたそうですが、その方もお亡くなりになり、閉鎖と
なったそうです。
すぐお隣の郷土博物館もやっぱり閉まっていた。
というわけで駅に戻ってきました。いまは寂れちゃいるが、元は信越本線の要所
だっただけに、線路はこのようにたくさんあります。ここからは千曲川沿いに
小海線があり、中央線の小淵沢に出られるんですよね。そういえば沿線の清里
なんてところもバブルの頃はリゾート地として栄えていましたけれど、いまは
だいぶ寂れているようです。
「一膳めし揚羽屋」です。ここは島崎藤村の御用達だったようで、「千曲川のスケッチ」
にも出てきました。とても古いはずですが、外装をきれいにしてますね。なんと看板は
藤村が書いたそうです。
なかも新しく改装されていました。古~いイメージを想像していたのになあ。
「一膳めし膳」を注文しました。膳がリダンダント?
食後は駅前の昭和な喫茶店に行ってコーヒー。予想通りおばーさんがひとりでやって
いました。カウンターからコーヒーを運んでくるのがとってもゆっくり。時間の
スピードが全く違う異空間。ドアをくぐればタイムスリップってやつですね^^
近所のおじーさんが来ていました。おばーさんはそのおじーさんの席に座り込んで
お話の相手をしておりました。まったりほんわかしています。俺はなんでこういう
喫茶店や居酒屋が好きなのか、考えました。
先日渋谷の居酒屋に行きました。日本中から立派な酒を取り寄せており、次々と
全国の銘酒を飲むことが出来るのですが、例によって2時間近くになると「ラスト
オーダーです」と若いアルバイトの女の子が愛想もなく言ってくる。つまり「出て
行け」というわけだ。その女の子も、時給いくらで働いており、早く帰りたいと
思っていることだろう。そりゃしかたないよねェ~。
一方でこういう田舎の居酒屋や喫茶店は、客の回転などに関心はなく(いつも空いて
いるんだから^^;)、働いている人たちは「時給いくら」で嫌々やっているのでは
なく、「今日は誰が来ておしゃべりするかな」と仕事と生活(人生?)がくっついて
いる。「儲けのため」というよりは「好きで」やっている感がある。だから居心地が
いいのではないかと思うのです。
残念ながら資本主義はグローバルに癌細胞のように世界を蝕みつつあるので、
日本のあちこちに生き残っている絶滅危惧種は風前の灯火。どこもじじーばばーが
長生きしてくれないかと思っているのですが、あと10年も経てばあらかたなくなって
しまいそう。だってどこも後継ぎはいないよねェ。
だから俺は行かねーぞ、居酒屋や喫茶店の大手チェーン店には!
駅のそばにある「くらしかる浪漫館」は閉鎖。その向こうには城址の大手門が
残っているそうです。
懐古園が天守閣のあとを神社にしておりますが、わずかに残っている大手門は
線路のこっち側。お城の址とはいえ、真ん中に線路を引いてしまうっつ~のも
どうだかよなぁ~~w
さてさて小諸見物もこれでおしまい。駅前に戻ると、「小諸ロイヤルホテル」が
目についた。ROYAL HOTELときたもんだ!「王室の」って…(^益^;
駅前に人は全然いないけれど、これって営業しているの???
帰ってからネットで調べてみました。失礼しました、立派にやっているようです。
口コミを見ると、「施設が古臭い」、「ユニットバスが汚い感じで入る気がしな
かった」、「エアコンをつけたら嫌な臭いの風が出てきてつけられなかった」
などと悲しい報告ばかり。しかーし、みなさん「でもフロントのスタッフがとても
親切だったのでよかった」とか、「対応がとても感じがよかった」といったように
そろって良い印象なのです。いーねー、がんばれよ、こもろ王室ホテル!
展望台からの眺めも観たし、天守閣址をぐるりと回って帰り道。静かで誰も
いません。冬といっても天気はいいし冷たい風もなく、散歩日和でした。
子供の遊園地がありました。閉鎖になってるの?調べてみたら、11月下旬から
春休みまで閉館なんだって。
動物園エリアに入りました。「長野県最古」なんて自慢してましたが、そりゃ別に
どうでもいいような^^; 近所の幼稚園や小学校低学年の子供たちが来るので
しょうね。いま、おっさんひとりが寂しく歩いているっつーのも。。。
昼でお食事タイムのようでした。
ダチョウさんです。でっかいので、こんな狭い檻のなかでは可哀想。
だから私は動物園があまり好きでないのです。
熊も狭い檻の中で無期懲役でしょう?何も悪いことしてないのに…。
ライオンもいました。例によって同じ所をずっと往復しています。これは明らかに
閉じ込められたことによるストレスの神経症なのです。この檻の向こうで、何やら
工事をやっていました。ズドドドド!と工事の機械の騒音がして、その排気ガスが
漂ってきていました。ひどすぎる。
ペンギンさんはサイズが小さいので、それほど不幸には見えませんでしたが。
フラミンゴもいました。むかし千葉の行川アイランドというレジャー施設で、
「フラミンゴショー」というのがありました。フラミンゴがゾロゾロと歩き回る
のですが、2人の係員がゆっくり歩いてうま~く追い回しているだけなんです^^;
うまいことフラミンゴの団体を2つに分けて、各グループがゾロゾロ。円を描いて
最後に真ん中で合体し、2人の係員が並んでおじぎをして、観客からの拍手で
おしまい。なんかほのぼのしてたなー。でずにーランドができちまったら勝てる
わけねーよー。
でっかいトリさんがもらったエサを狙って、たくさんのスズメが集まっていました。
横ドリされても怒らないんだねェ。
おサルさんもいました。放し飼いの嵐山や淡路島の連中に比べて、ちと可哀想。
そういえば函館のおサルたちはいま温泉に入っているのだろうなあ~。
小諸はあっちもこっちも「閉館」「休館」なので、午後にとっておいた懐古園に
行くことにした。ここは元小諸城。1487年に造られて、それがのちに拡張整備、
大改造などを経て、明治維新まで残っていたのです。
維新後は廃城となり荒廃してゆきましたが、旧小諸藩士たちの努力で本丸址に
神社を祀り、まわりを公園にして「懐古園」と命名したそうです。
小諸には島崎藤村が教師として7年間滞在し、その様子は「千曲川のスケッチ」に
描かれています。上田でその本を手に入れて読みました。
実に素朴な田舎暮らしが描かれています。小諸は冬寒くて、11月下旬にもなると
雪に覆われ、真冬には洗面器の水は凍り、たくあんも凍って噛むとじゃりじゃりと
なり、雑巾で床を拭くと、拭いたそばから水滴が白く凍ると書いてあります。
温暖化が進んでいるんだよねー、コレw 雪どころじゃねーぞ?
ちなみに1月になっても日本中あちこち暖かく、野菜が育ち過ぎちゃって、今日
なんか大きなキャベツが一個100円、立派な大根も一本150円だったぞ。都心に
運んで来てその値段なら、農家はいくらで売っているんだ?
この懐古園には藤村もよく訪れたと書いてあります。いまもきれいに整備されて
います。ほとんど人は来ていないけど。。。
というわけで神社までやってきました。お寺と違って、神社ってサクッと建てられて
しまうものなのかなぁ。
神社が本丸のあったところ。その裏手に回ってきました。本当に人は全然いません。
一番奥に展望台がありました。特に登ったわけではありませんが、やはりお城だった
だけあって、このエリア全体が高台にあるわけです。
ほおお。千曲川も、こうやって見るとあまり風情がありませんなあ。
左の方にある建物は千曲小学校だそうです。