この稲葉家下屋敷は、廃藩置県に伴って東京へ移住した旧藩主・稲葉家の臼杵滞在所
として明治35年に建築された別邸です。稲葉家っつ~のは関ケ原の合戦で家康方に
味方した軍功として、こちら臼杵の藩主となった歴史を持っているのです。
入ろうとしたときに、ワゴン車に乗ってグループ観光をしている西洋人たちがガイドと
一緒に入った。せっかく誰もいないのに、タイミング悪くかち合うとは、むうう。
ちょっとずらして入ったw
中はすんごく広い。それが別邸w
大広間は食堂みたいになってました(^益^;
庭園も広くて立派。
なんとまあ、大名だった人のお家ですからね。
俺が出るときにガイコツ人グループも出る。むううw
塀も立派で、鯉まで泳いでやがるぞ。
少し歩くと神社があった。
神道やお守り、願い事には興味のない私ですが、神社には立派な御神木があるので
それを見るのはいい。
まっすぐ直立した木もいいけれど、こういう複雑な成長をしたのもいいよねえ。
街歩きを続けよう。
絵になる街並みですよねえ~。
港からバスで10分ほどやってきて、臼杵の街歩きスタートです。なんか落ち着いて
古き良き雰囲気の城下町です。
きれいな石畳で整備されています。
このあたりに食事をするところがあるらしいが。。。
ここだ~。
俺に似合わないオサレなレストランでした。
野菜を30種類使ったというランチプレート。とてもビールとか地酒を一緒にという
雰囲気ではない。俺にはアウェー感はあったが、どれも美味しかったよ!
コーヒーを頂いていると、オーナーご夫婦がお手すきになったらしく、少し話が
始まりました。俺が車に乗らずに公共交通機関だけで2週間のスローな旅をしていると
聞くと、おふたりは車で1時間ほどの通勤で(別府だったか)この店を経営しており、
こだわりの野菜を手に入れるのに熊本まで車で行っているから、とにかく車の時間が
長いとおっしゃっていました。お互いのライフスタイルの大きな差を認め合う。。
・・・ま、俺はどこに行っても似たような人を見ることはありませんが^^;
さて街歩き再開!
お寺を通過~。
むむ、この西洋式建物は教会じゃないよね? 観光用の交流ホールでした。
ここがメイン通りかしら。
この街並み・風景は是非残してほしい。適度にアクセスの悪い地方都市だけに、
インバウンドの観光客が少ないのがいい^^
とりあえず荷物を置かせてもらいに、予約した宿に向かいましょう。
この先にそのホテルがある。入ってみると、チェックイン時間まで少しあるので
スタッフがいなかった。すると近所のおばーさんがフロントに何かを置こうとしている。
聞くとここの人のお友達で、何か食べ物を渡そうと持ってきたけどいないから、
置いて行こうとしており、俺の荷物も一緒に置いたら?という。電話はかけても
出ないとか。いや~、バッグに札束や金塊はないけれど、知らない荷物が勝手に
置いてあったらまずいよね~w するとお掃除のおばさんが出てきて、無事に荷物を
預けることができました(^益^)w
というわけで、身軽になって街歩き再開!雨が少し降ってて傘をさしているから
荷物を持ち歩くのはヤだったんですぅ~^^;
とうとう帰る日になりました。行きはフェリーで渡ってきましたが、帰りは飛行機を
乗り継いで帰ります。空港へのバスは港から。
おおお、灰皿がある! 古い電車の車両でも、ネジの痕だけが残っていて本体はない。
これを見るのは何十年ぶり? もちろん吸ってはいけないんだろうなあー。
このボタンも郷土資料館の展示物レベルに古いぞ。押してみたい気になったが、
終点の空港まで乗るからな。。。 ちなみに佐賀県、長崎県、そして五島列島を
旅してきましたが、私が持っているPASMOとSUICAは電車でもバスでもほぼ使えました。
もちろんコンビニでも。これって、地方のカードは他所では使えなくて、首都圏の
2つは全国で使えるという一方的なしくみになっているんですよね。それってどうよw
でも、この最後の最後に空港に行くバスだけが使えませんでした。現金のみ!
自転車で鬼岳に行ったときの道筋で、バスは空港に到着。
小さいプロペラ機だから、飛行機まで歩いて搭乗。
ネットでは前もって席を選ぶことは出来ませんでした。神津島に行ったときは
空港への先着順で席が決められていました。今回はチェックインの際、「もう
非常口の横しか残ってません」と言われる。みんなどうして席を選べたの?
非常口の横の席に座った人は、非常の際にまわりの客を座ったままにさせるとか、
非常口を開けたときには避難する人をサポートするとかを要求されます。敬遠され
る席ですが、前の空間は広いじゃないか。大きな飛行機では窓がふさがれていた
ような記憶があるが、これはちゃんと見えるし。
しかも、斜め前にキャビンアテンダントの人が座る席がこっちを向いている。つまり
お見合い状態だー。これはいいぢゃないか♪ 嬉し恥ずかしぢゃないかね♪
しかし、そこにはおねいさんは座らなかった。。。俺だからじゃないと思うがw
プロペラが豪快に回ります。
昨日登った鬼岳が見えているぞ。
離陸するとすぐに島を離れて海の上。
五島よサヨウナラ~^^
大小さまざまな島がたくさんある五島列島でした。
雲の上~。
お、風力発電の風車?
長崎までのフライトはわずか30分あまり。
すぐに九州本土が見えてきます。
長崎も半島が伸びていて、大小さまざまな島があるんですよね。
長崎空港で羽田行きに乗り換えです。JALだと一旦外に出ないといけません。その
短い時間にお土産を買いました。
右のカステラは、長崎でしか買えないとか。五島の土産は「かんころ餅」。切って
あぶって食べる五島のソウルフード。もち米と芋を練ったものです。明日食べよっと。
五島最後の酒場は、繁華街ではなく川を渡った向こう側の住宅地にあるところを
選びました。さあどんな店だろう?
最後まで雨が降らなかったなー。ま、ひっきりなしに降ってたんだけど、不思議と
俺が外を歩く時間帯には降らなかったのです。
おお、いい感じの木造の家。
住宅地を進みます。調べておかなければ絶対行かない方向。
で、ここを進むのかー。
グーグルマップを見ながら目的地に近づいているわけですが、ホントにあるの?
はっはっは、という感じ。もう近いぞ。
ありました~、その名も「きんぎょ」。
わりと早い時間帯なのに、満席! カウンターがひとつ空いたところらしく、
店員さんは一瞬ためらいがありましたが無事入れてくれました^^;
混んでいてなかなか料理が出せないので、先に大皿の総菜を食べて待っててくれと
言われる。別に急ぎませんからね^^
しかしそれほど待たずに刺身の盛り合わせが到着♪ 隣の常連さんは「いつもは
こんなに早く来ないよ!」と、俺が池麺だから贔屓されているんじゃないかという
顔をする。ちなみに店のママさんもスタッフも女性。
この焼酎のボトルを見たら注文しますよねェ。芋と麦。私は芋のほうが好きなんですが、
いちおう両方飲む。店員さんが「芋のほうが人気なんですよ」という通り、芋のほうが
旨かった。
奥のテーブル席に、気になっていた「あおさの天ぷら」が運ばれていくのを見た。
旨そうだけれど、一人前ひと山あの量は持て余しそう。。。と思っていたら、あとで
ママさんが「少しどうぞ♪」とサービス(^益^)w ううう、嬉しいぞ~♡
「町に戻るのはあっちよ♪」とママさんとスタッフの女性が外まで出てきて教えて
くれました。とっても親切で、いい店でした。最後はこうじゃなくちゃなあ^^
レンズが明るいけれど、もう結構暗くなってきてるんです。
おー、カッコイイ家。
こりゃ昭和なアパートだ。裏にも同じ建物が並んでいました。夫婦喧嘩なんかしたら
内容までみんな聞こえちゃいそうw
まもなく町に出るはずだ。
港に戻ってきました。
では2軒目を探しませう。
お、やはり「勝江」にするか~。昭和のヲヴァ~サン間違いなし!
「こんばんわ~♪」と入ってみると、中には誰もいない。もう一度声をかけると、
奥から予想通りのママさん登場。しかし「ちょっといまこれで♪」と、頭全体に
ピンカ~ル(っていうの?)。むかしのサザエさんで、こんな絵面があったような。
やはり長いことこちらの店をやってるそうです。期待通り、五島の歴史、この界隈の
歴史などをいろいろ聞かせて頂きました。あとで気づいたのですが、いつの間にか
ピンカ~ルはなくなっていました(^益^)w
旅の最後の晩ということでだいぶ飲みました。会計を済ませたあと、「奢るから
一杯飲んで行きなさい。ブランデー、高いやつ♪」とサービスしてくれました。
ブランデーなのに、氷と水を入れる!いい香りが薄まっちゃうw 「ブランデー、
水で割ったらアメリカン」とかいう宣伝あったなあー。
一杯頂いて帰ろうとすると、「もう一杯飲みなさいよ♪」とサービス満点w しかし
五島を去る最後の晩に恋が芽生えてもなあ(^益^)w
千鳥足で帰るとき、足元にミャ~ミャ~泣く声が。手のひらに乗るくらい小さくて
生まれたすぐあとだぞ。それも4匹あまり固まって泣いている。酔っ払った風来坊の
をぢさんでなく、子供なら持って帰っちゃうよ。「だって可哀想。死んじゃうよ!」
なんて言われたらおかあちゃんも困っちゃうよ。私は翌日にカメラを見て、こんなの
いたなあ~、とうっすら思い出したのでした。
福江城址は学校になっているようで、その敷地内にあった新しい建物、歴史資料館に
入りました。入るとまず映像室の鑑賞を勧められる。それぞれ20分ほどの島の歴史と
バラモン凧の紹介ビデオ。同じ少年が出てきてストーリーものになっている。なんか
素人っぽい作り^^; 教会でお祈りしている美女が佐々木希みたいな美人ww
それって、をぢさんが作ったってことか?俺は嬉しかったけど、今どきなあ^^;
さて展示物だが、最初はお祭りに使われるもの?
例によって古道具。全国で判を押したようにありますね(^益^)w
お~、鯨漁の道具。右上の写真を見て下さい。あんなのを小さい船と銛で獲れるのかー。
そして獲ったやつを、こんな刀(?)でさばくわけだ。
そして隠れキリシタンの資料。これは聖母マリア様とイエス・キリストです。
仏教の像に似せて誤魔化していたのですね。
面白かったのがこの3部作。最初は「善人の最後」。ちょんまげの日本人が死ぬとき、
天から天使が迎えに来るわけだ。
こりゃ「悪人の最後」ですな。悪魔に囲まれているぞw
これが「最後の審判」。上に神様。中段に上からお迎えが来ている様子。そして
一番下は悪魔に捕まっているではないか。
一番下のところをアップにしよう。私はこれを覚悟しておかなければなりません。。。
気持ちが落ち着かない上にいるよりは、いっそ身分相応の下にいたほうが気が楽かぁ?
こういうのにひたむきにお祈り出来る人は救われるのだろう。別に素直になれない
わけじゃあないが、私には出来ませんな (´⊙ω⊙`)
これで酒飲めって言われりゃ別に抵抗なく飲めるんですが^^;
そして五島ですから遣唐使の船。模型はあるけど、あまり詳しく語られてはなかったぞ。
自転車で鬼岳にも行ったし、これでもう思い残すことなし。佐賀県一週間、そして
五島に渡ってきて一週間、たっぷり観光しました。そして今宵は最後の酒です。