さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

天草キリシタン館

2017年09月30日 | 九州シリーズ



ここは本渡城址。「殉教公園」といいます。ヤな名前だねーwww

1589年、キリシタン天草種元が天草五党の乱で小西行長・加藤清正に包囲されて
両軍ともたくさんの死者を出したのです。どちらもキリシタンとはこれいかに。
これは戦死者の慰霊の塚なのです。



キリスト教の墓地もありました。



その横に、天草キリシタン館があります。

ここも撮影禁止だったので、私がご説明。

「天草四郎メモリアルホール」と同じで、南蛮文化の伝承、天草キリシタンの歴史、
そして天草・島原の乱が紹介されており、ビデオの上映もありました。

見ものは「天草四郎陣中旗」で、聖杯の上に十字架が描かれており、左右から精霊が
それを見守っています。古いポルトガル語も書かれています。十字軍やジャンヌ・
ダルクの旗と並ぶほど有名な聖旗だとか。血痕がついており、切り裂かれた痕も
あります。天草・島原の乱で使われたとか。

保存のために薄暗い照明になっており、「こりゃすごいな」と思ったのですが、
ニャンとレプリカでした。。。 ならしつこく「撮影禁止」とか薄暗くしたりしなく
てもいいじゃん~~~。



カリスマ少年、天草四郎。これは外なので撮影できました。



絶望に瀕した多くの人々の心を救済したのでしょう。しかし私はカリスマは嫌い。
どおしてか?「崇拝する」ということは、「思考停止する」ことにつながるからです。

人の上に立ちたがるタイプ、前に立つのが嫌で、ついてゆくタイプもありますが、
私が好きなのは、「一匹狼」といえばカッコつけすぎですけれど、我が道を行くタイプ。
「流れ」に従わないと白い目で見られたり、「自分勝手」と批判されたりもします。
それをはねのける勇気と、自分に対しての信念を持っていたいものです。



この日も暑かった。歩いている人に全然会いません~。



「祇園橋」です。珍しい石造り。



1832年にかけられたそうです。



すきまがあって、下の川が見えますぞ。



このあたりは、天草・島原の乱のときに、両軍の戦死者によって川の流れは血に染まり、
屍でいっぱいになったとか。オバケがゾロゾロ歩くような話も出そうですなあ^^;


本渡歴史民俗資料館

2017年09月29日 | 九州シリーズ



バスは天草の中心にある本渡に到着。ホテルのチェックインまでは時間があるので、
「天草市立本渡歴史民俗資料館」に行くことにした。



日差しがじりじりと暑い。この日も34度くらいか。景色はのんびりしているのだが。



街はずれの海岸沿いに、その資料館はあります。歩いている人は全然見ない。こんな
ところまで歩いてくる人も、ほとんどいないだろうなあー。入場無料!
お決まりで、入ると入口で「おっ!きたっ!」という顔をされて、わざわざ事務所から
出てきて「どちらからですか」と聞かれる。ウェルカム感が高いのです^^



天草の歴史を扱っているので、古代から現代までをカバーしております。中央の馬車は、
海の交通が中心だった天草の港を結ぶ客馬車です。



天草は焼物も有名ですが、このような土人形も数多く作られました。



乳飲み子を抱える女性像は、隠れキリシタンのマリア像にもなったとか?



ひきうすを頑張っている姿もいいですが、横にいる子供、シリ丸出しで、ケツメドに
金玉袋が見えています。リアリティあるね~(^益^)w



実物大の人形も、じじばばのキャラまでにじみ出ているよう。



ほおお、初期の洗濯機。ローラーの間に洗濯物を入れて、絞られてせんべいみたいに
なって出てくるんだよね^^



電話が開通したのが大正時代。電話交換手は女性の仕事の花形だったそうです。
そして各家庭に電話が引かれ、女の子に電話をかけるとあちらの父親が出てきて、
女の子からかかってくれば横でかあちゃんの耳がダンボになり、携帯電話になると
そういう苦労はなくなって、フリン活動が容易&活発になったわけだなあ。



さすが本渡、大きなショッピングセンターがあったので入ってみました。涼しくていい。
こういうところにはゲームコーナーがあるのだ。幼児や子供はほとんどいなくて、
じじばばがコインゲームなどをやっていました。



昼飯どきなので何か食おうかとも思ったが、暑いのと体調がすぐれないのとで飲み物
だけに。それもビールはやめておく。「メロンソーダ・アイス」と書いてあったので
そう言ったらおばちゃんは、「え?クリームソーダね?」とおっしゃる。
いや俺だって、そういう言い方がポピュラーだとは知ってたよ。でもさ、書いてある
通りに言ったんだもん!(´;д;`)ノ

いやあ、まったり。遠い地にやってきて、非日常を満喫です。(^益^)b


天草 さんぱーるから本渡へ

2017年09月28日 | 九州シリーズ



朝の弓ヶ浜温泉。普賢岳も夕暮れとは違う姿を見せております。



こういう景色を見られるところに住んでみたいものですのお。



さて洞窟温泉の宿もさようなら。おなじみの提灯「日本秘湯を守る会」が下がっています。
立派な置時計も、変なくまモンの横で影が薄くなりますな^^;



宿から道の駅さんぱーるまで送って頂き、ここからバスで天草の中心、本渡へ向かいます。



「天草四郎の母まんじゅう」って、絶対とってつけたよねw
たしか蜂起軍が兵糧攻めにあって立てこもっているとき、四郎の家族が人質になって
投降するように説得役をやらされたけれど、四郎は聞き入れずに全員死ぬまで抵抗したの
ですよね。。。



本数の少ないバスですが、乗客はいつも誰もいないかチラホラ。これじゃあ赤字になる
だろうし、運営も大変でしょう。



景色はとてもきれい。あのくらいの手頃な島に別荘を立てたら素敵だろうけれど、
船も必要だし大金持ちじゃないと無理だろうなあ。



今回は主に絵葉書のような景色をお楽しみ下さい。クリックして画像を大きくしてね♪


弓ケ浜温泉 湯楽亭の洞窟温泉

2017年09月27日 | 九州シリーズ



私は温泉に泊まっても、基本は素泊まりで夕食は居酒屋に出ます。しかしここ弓ヶ浜
温泉では周りに店などありません。道の駅「さんぱーる」まで車で送迎してもらう
ということもあるし、今回2週間の旅で、唯一「朝夕食事つき」となりました。



外に出ると、すぐに海岸で、北には普賢岳が見えます。前回の旅ではあそこに登った
なあ。島原もいいところでした。居酒屋もよかったしねー。



まもなく夕暮れ。手前に見えているのは「湯島」。島原の乱では、あそこに密かに
集まって反乱の相談をしたとか。



さて洞窟温泉。これに入るためにわざわざここの宿にしたのです。手前にいくつか
湯舟があり、洞窟は一番奥。誰もいなかったので、撮影もできました^^;



この右奥に洞窟の入口があるのです。



なかは暗いぞ。カメラを持ってきたのはここまで。

あとから入ると、意外に広い。奥にまだ奥がある。しかし暗すぎて、夕方は途中まで。

夜にもう一度入ると、明かりがついているので昼間に入るより内部は明るい。すると
奥のまた奥まで洞窟は続いている。湯はややぬるめで俺の好みなのだが、体調が悪い
せいか寒気がして、ゆっくり温泉を楽しめませんでした~w



というわけで、夜の酒は風呂上がりのビールだけ。温泉に泊まってなあ。。。



私は居酒屋に行くと、食べ物はこれくらいで、あとはひたすら飲んで終わりなのです。



刺身はすごく立派でした。大きな切り身が3切れずつありました。実にこれがほんの
スタートなのです。まだ5分の1くらいなのです。

これでも半分しか食べられず、「もったいないので翌朝出してくれ」と頼みますと、
ヅケにしてくれました。「朝食はそれだけでいいから」といってもそういうわけにも
いかず、フルコースに残した刺身とウナギの卵とじがプラスされて、翌朝も半分も
食べられませんでした。_| ̄|〇

「食べられなくて、すごくもったいないですー」と泣きを入れると、仲居さんは
「ゆっくり食べればいいんですから」と慰めてくれましたが、ゆうに5日ぶんくらい
あるんですから!

だから素泊まりにしないとなあ~~~www


天草四郎メモリアルホール

2017年09月25日 | 九州シリーズ



天草へ入るバスは1時間に一本くらいでしたか。予定ではもっと三角西港をぶらついて
からと思っていましたが、展望台から大汗かいて降りてきたら、目の前にバスがやって
きたので乗ってしまいました。乗客は俺ひとり。

バスはすぐに天草にかかる橋を渡ります。さっき展望台から見たやつです。いま通って
いるのは古い橋。右側に新しい橋が建設中なのです。



こりゃ大変な工事でしょうなあ。



四国などもそうでしたが、橋が架かると車であっという間に本土に渡ることができます。
すると島の住人は学校や買い物など本土に行くので、島の経済が一気に寂れます。
これをストロー効果というそうです。う~ん。。。



これが完成したころにまた来るかもしれません~。



さて初めての天草。ちょっと瀬戸内海に雰囲気が似ていますね。



「さんぱーる」という道の駅みたいなところでバスを降りると、「天草四郎メモリアル
ホール」があります。天草の旅は、日本の初期キリシタンの歴史をたどることにもなるの
です。ここの見学はそれの一番最初。



内部は撮影禁止でしたので、私がご説明しま~す。

まずは大航海時代の到来により、イエズス会の宣教師たちが日本までやってきたという
歴史の紹介、そして主に九州地方で布教が始まり、キリシタン大名、天正遣欧少年使節団、
天草でのキリスト教の広がりなどが説明されます。

光と音がうずまくタイムトンネルをくぐって中世日本へのタイムスリップ、なんて演出も
ありました^^; そして映像ホールでは「わが心の天草四郎」が上演されて、島原の乱
までが映像に出てきます。

当時の天草や島原では厳しい年貢の取り立てをともなう圧政に農民たちは苦しんでおり、
飢饉が続くと 天草四郎を総大将とした一揆が起こりました。圧政に飢饉が重なると反乱が
起きやすくなります。そこで神の名のもとに結集する宗教の力が加わり、天草四郎という
カリスマが最後の引き金となったのでしょう。(ここらから私の考えが加わります)

島原の乱では、12万人の幕府軍でも手を焼き、最後には蜂起軍37000人が全滅するという
悲劇に終わります。キリスト教はあの世志向です。苦しい現世は短い苦難にすぎず、死んで
本当に永遠の天国が待っているという思想です。だから死ぬのは怖くないどころか厭わ
ない。むしろ殉教、望むところ、といった考え方でしょう。

死ぬのを恐れない兵士ほどやっかいなものはありません。戦況が絶望的ならば、普通は
降参を考えますが、最後の一人まで捨て身で戦う決意があるのですから。デウス様おそる
べし。いいの?それで。女子供までみんな死んでいいの?私には「信仰による悲劇」と
思われます。

しかーし、ここの展示では、「天草四郎は、人は皆自由で平等と説いた」と強調しています。
中世の日本は、というか幕末まで、日本社会はずっと身分制度でした。しかしキリスト教
では、神が人間を創造したわけで、「士農工商」なんてのは違う、というわけです。

そしてここの展示では、ルネサンス時代に花開いたヨーロッパ文化が紹介され、次に
「自由・平等・博愛」のフランス革命が紹介され、最後にはアメリカの独立戦争が出て
きました。それが天草四郎の蜂起とつながるの??? う~ん。。。

最後の部屋では、天井の高い部屋が瞑想空間になっており、静かな音楽と光の中で、天に
登った天草四郎をはじめとするキリシタンたちの姿を思い起こして下さい、と書かれて
いました。歴史(history)の語源は、「ストーリー」ですからね。。。



さてバス停の前には、「さんぱーる」という道の駅のようなショッピングセンターが
ありました。



熊本で食べた「カサゴ」なんかもありました。みんな安い。近くに住んでいたら、そりゃあ
豊かな食生活になるでしょう。



天草には、真夏にこういう柑橘類があるのです。これがまたけっこう甘くて美味しい。
土佐では真冬に菜の花やら葉物が豊かだったし、やはり南国は食生活が違いますなあ。