小樽の駅前から港へ向かう通りは、「日銀通り」と呼ばれています。いまや人口が減り
寂れつつある小樽には、なんと日本銀行の支店があったのです。ここにはどっしりと
した銀行が並び、「北のウォール街」と呼ばれていたとか。
莫大な富を生み出した鰊漁、そして石炭を運び出す港として、小樽の街は北海道
経済の中心地であったのです。
画像の旧日本銀行小樽支店は、いまは改装されて「金融資料館」となっています。
営業上のカウンターがそのまま残っています。なんと大理石作り!
なつかしいお札が展示されていました。
そういえば、と思い出しますよねえ。
これらも新鮮だ、と思ったら、わりとすぐに変わっちゃったなあ。
その他、関東大震災は土曜に起こりましたが、次の月曜には日銀は開店したという
逸話や、一億円の現ナマはどれくらいの重さなのか持ってみよう!といった展示
などが印象に残っています。
その真向いにあるのが、こちら「小樽バイン」というワインカフェ。旧北海道銀行の
本店だったそうです。お向かいさんの旧日本銀行と似てるかな?なんと設計者が
同じなんですって!
内部は当然ながら、すっかりワインカフェに改装されています。
ワインは工場直送だそうで。「北の匠シリーズ」というのを注文してみました。
左から「藤本毅レンベルガー」、「田崎正伸ツヴァイゲルトレーベ」、「北島秀樹
ケルナー」です。これらのワイン、ショップで見て気になっていたんです。なにせ
エチケットにドカンと漢字で自分の名前を印刷しており、「勝負したろか!どや!」
というプライドを前面に出していたからです。
んで飲んでみたら… やるではないですか!十分にワールドクラスです。私はドイツ
ワインは、せいぜい夏にリースリングを飲むくらい。というわけで、これらドイツ系の
葡萄はあまりなじみがなかったのですが、こちらの気候にあうのかしら。なかなか
美味しいワインを作っておりますねー。
地元産のトマトを使った冷製パスタ。お上品な味でした。昼からグラスで3杯飲んだ
ので、もうちょっといろいろ飲み比べをしたいところをぐっと我慢でした。。。
というのは、この日の午後は天狗山に登るつもりだったからです。
この日は「北一ヴェネツィア美術館」に行くことにしました。堺町通りという海辺に
近い通りにあります。行ってみてびっくりしたのは、「寂れた小樽の街」ではなく、
賑わいを見せる観光地、という雰囲気だったからです。
上の画像は北海道のお菓子で有名な「六花亭」。古い倉庫を改装してあるんですね。
こちらは「北一硝子」。これも味わいのある建物。
通路にはトロッコが行き来した線路が残っています。店の中は煌びやかなガラス
工芸品が華やかに飾られています。
きれいなブローチやらベンダント、素晴らしいグラスなどが並べられていて、見ていて
ほしくなり、しばらく考えましたが、持って帰るのも大変。送ることもできますが、俺の
さえない部屋に立派なグラスを並べてもなあ…。
こちらはカフェだったか土産物屋だったか。写真を撮るのに、つい古くて味わいのある
建物ばかりを注目してしまいました。この通り、左右に様々な観光客向けの店が
びっしり。そして客がゾロゾロと歩いており、中国からなどの外国人観光客が沢山
いたのです。みなさんお菓子を食べたりソフトクリームを食べたりしながら土産物を
見ておりました。
工芸品の作成体験をさせてくれる店などもあちこちにありましたよ。
さて「北一ヴェネツィア美術館」ですが、ひときわ目立つ御殿のような建物。
入館料は700円。高いかどうかは見る人の判断ですねェ。入ってみると、外は
観光客で一杯なのに、中はだ~~れもいません。みんな土産物屋は見ても、
金は払わない^^;
写真撮影は禁止なので、見たい人はみなさん現地に行きましょう~w
HPの画像の転載なら、美術館も許してくれるでしょう。中央にあるのはヴェネツィア
から運んできた素晴らしいゴンドラ。ダイアナ妃が乗ったものだそうです。しっかり
保存して展示してくれるなら、と譲ってもらったそうで。
このゴンドラ、左右対称ではなく、歪んで作られています。なぜかというと、ゴンドラは
ひとりの船頭が一本のオールだけで漕いで操ります。なので船頭が片側に乗った
ときにバランスがとれてまっすぐになるように、最初から傾くようになっているんです。
ゴンドラ造りの職人は若い頃から何年も修行して、このような豪華な装飾と繊細な
作りの船を作るマスターになってゆくのです。これだけでも見る価値があるぞ!
その他、ゴッホの絵をガラス細工で作ったもの、ヴェネツィア貴族の部屋を再現して
当時の家具を並べたり、長い歴史のあるガラス工芸品が沢山展示されていました。
見ごたえのある美術館をあとにして、ふたたび賑やかな通りを歩き出しました。
真っ赤な消火栓が素敵な装飾。しかし張り巡らされた電線、なんとかならんもんか
のお。。。
岬に移築された鰊御殿を見たあと、しばらく歩いたところにもうひとつの鰊御殿が
あるというので行ってみることに。
↑ これは途中で見かけた朽ちつつある倉庫。
マンホールは北海道仕様。これは函館の旧公会堂かな?
さてこちらが目的地。祝津の網元で、大富豪である青山家の別荘なんです。
大正時代に6年半もかけて造られたとか。日本海沿岸を下り、九州やら瀬戸内海を
回って大阪まで行ったという「北前船」で小樽の鰊を運びました。そして日本中の
あらゆるものを持ち帰ったわけですが、金に糸目をつけず、最高の木材や大理石に
至るまで持ってきて、この別荘を建てたのです。
入場料が1000円を超えるというので少々お高い気がしましたが、内部を見て回ると
「安い!」と思ったくらいです。こんな素晴らしい木造建築は見たことがありません
でした。そりゃあ法隆寺や平等院といった歴史に残る建造物はありますが、人が
住む民家としての木造建築では、これは人類最高峰の傑作のひとつだと思います。
なんだよ、外ばかりの写真って? そうなんです。内部は写真撮影禁止だったの
ですぅ~~w(゜゜)wアウウ・・・
もうね、柱、天井、窓枠、階段、流し、便所、あらゆる部分、あらゆる細部が、最高の
材料を惜しむことなく使い、最高の技術を持った職人が妥協なく力を発揮し、完璧な
芸術総合作品を生み出したという奇跡のような建物。
西洋建築の壮麗さとは全く違う、中国の御殿とも全く違う、繊細な陰影と渋くて
クールな落ち着きがこれほどの高みにまで達するのを目にする感動!
というわけで、写真などを見て「こんなもんか」と知った気になってはいけませんので、
是非訪れて直に見ましょう^^ きっと生きててよかった、と思うはずです。
祝津まで行きは観光船に乗りましたが、帰りは旧青山別邸の前からバスが出ていた
ので、それに乗ると小樽にさっさと着いちゃうんですねェ。
だいぶ歩いたので、甘味で有名な老舗の喫茶店に入る。小倉あんとソフトクリームの
コレが人気だそうですが、小さいサイズのにしておきました。それでも十分大きい?
この日の夜は、小樽からバスで15分余り山の中に入ったところにある朝里川温泉に
行きました。豪華なシティホテルも広くていいけれど、やっぱり風呂は温泉がイイ。
部屋からタオルだけ持ってゴー。
そこには広いスパ施設があり、広間の食堂で食事も出来ました。う~ん、やっぱり
街中のホテルより、温泉に泊まって、目覚めのひとっ風呂、散歩から帰ってまた
風呂に入って昼寝して、また寝る前に入るっつーのが俺には一番かな~~w
鰊御殿の2階から北の海を臨みます。天気に恵まれ、景色がきれい。
「千と千尋」の湯殿を思い出させますよねえ。階段の手すりの下の部分の細工に
注目。匠の技術です。
畳の広間は壮観です~。
右の窓枠の細工も見事。一流の職人を集めて作らせたのでしょう。
漁夫の寝室が何段にもなっていました。いわゆる雑魚寝だったのでしょう。
当時使われていた道具類も展示されていました。
鰊が群をなして産卵期にやってくると、メスは浅瀬の藻に卵を産み付け、オスは
それに精子をぶっかける。それで海は一面乳白色になり、濃厚なクリーム状の
泡でベトベトになったとかwww
それを見て、海辺の人々は歓喜に沸いたそうですが。。。 俺もオスなので、それに
ついては一応なじみがあるのです。青い海が一面ベトベトの真っ白って… ウゲー
観光船で祝津につくと、すぐ近くの岬の山の突端に、こちらの鰊御殿が見えてきます。
少し山登りをしなければいけません~。
「御殿」という名の付くとおり、重厚でものすごく立派。これはしばらく前に、元の場所
から移築されたのだそうです。
江戸時代に、北海道が「蝦夷」(えぞ)と呼ばれるアイヌ民族の住む「外国」だった
時代から鰊漁は行われており、まあ買うよりは直接獲ったほうが儲かるということで
本土から商人、漁師が入ってゆくようになり、1855年に幕府が北海道を直轄地
として侵略・占領してから大規模な鰊漁業が始まったそうです。
大量に獲った鰊は加工されて肥料になり、日本中の農業に利用されました。
当時は獲り放題だったので、巨万の富を生み出したのですー。
2階からは山を見おろして、さっき着いた船着き場も見えました。
すごい床の間です。箱館奉行所の豪華な造りを思い出しました。
ここは2階の片隅で、実はガラス張りになっており、「隠し部屋」なのです。
鰊はあるとき大量に群れを成してやってくるので、そんなときには総出で漁をしな
ければなりません。すると経験のある、若くて屈強な漁師の引き抜き合いがあった
そうで、時期が来るとこういうところに隠すこともあったとか!
あと、沢山の使用人の賃金やら、鰊の売上金であるとか、とにかく多額の現金が
動いたので、それをしまいこむ場所も必要だったとか。
持ってる人は大変ですよね~^^;