さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

足尾銅山つづき

2019年08月31日 | 関東甲信越



坑道を進んでゆきます。実に涼しくて良い。冬はほんのり暖かいんだよ。こんな
ところに書斎があったら勉強もはかどるか?



さっき、この嬉しそうな顔あったよね?I-Bの平田君は何度も出てくるなあ。



また平田っ!三つ子だったのか?



木で支えていないので、だいぶ固いんでしょうね。



江戸時代エリアから、大正・明治エリアを通過し、昭和エリアになると近代的な
道具を使い始めます。いつの間にか平田はいなくなりました。江戸から昭和まで
生きちゃいねーか。



こんなトロッコでの運搬係ならいいかもなあ。



坑道が終わると、資料室になりました。



ボタンを押すと、削岩機がガタガタと音をたてて揺れるのです。



外では平田君のお兄ちゃんが嬉しそうに働いていました。これで苦しんでいる顔
なのかもしれませんが。



俺、これの運転手ならいいなあ。冬は暖かく、夏は涼しい所をガッタンゴー。
「遊園地じゃねえんだぞ!」って怒られそうw



銅がどんなふうに作られていったか、お人形が教えてくれました。たくさんシリーズに
なっていたので、見たい人は行きましょう。ヒロII世の店も行こうね♪



おっと、おさるさんがいたぞ。



少年がお母さんに甘えていました。小さい時期は、すぐに終わっちゃうぞ。



銅いたしまして。銅もでした。


足尾銅山観光

2019年08月30日 | 関東甲信越



足尾駅から通洞駅を通過して、ずっと歩いてきましたが、ついに食事をする場所はなし。
足尾銅山観光に到着してしまいました。まあこれもしかたねーかー。



裏を見てみると、おお?「お食事」の看板が!みなさん、この光景を見て、営業中の
可能性は何%くらいだと思いますか?ちなみにずっと歩いてきて、観光客はひとりも
見ませんでしたけれど。やってない、に2000ペソ。



私は99%閉まっていると思いましたが、やってましたよ、その名も「ヒロII世」!
名門貴族なのか?開店したのはお父さんだったのか?バビル2世を真似しただけか?



渋いわー!こういうところを発見したときって旅の醍醐味。50年もの昔に旅行して
きたって感じです。ちなみにヒロ2世は、ナイスな風貌のおじーちゃんでした。



ナポリタンを注文したら、アイスコーヒーをサービスしてくれました。(´;ω;`)ノ



調理しているのは、奥にいたおばーさん。きっとヒロ2世の奥方でしょう。
鉱山で働いている労働者の子供なんかがこれ食べたりしたのかなー。そんときゃ
初代ヒロだったのかなー。足尾比呂座衛門とかだったのかなー。



食べ終わって通洞抗のほうへ向かうと、トロッコ電車が出るところでした。急いで
切符を買う。どうやらお子さんたちを連れた団体がバスで到着していたようです。



トンネルに入ったら、もう働いている人形さんがいました。



最初は江戸時代の様子。



トロッコに乗っているのはとても短い時間で、あとは降りて歩かされる。ちなみに
外はムシムシしていたのだが、トンネル内に入ったとたんに空気はひんやり。乗り物に
乗っているときは風を受けて快適だったのになー。



わりとすぐにつき当たる。この先1200㎞って、東京ー博多くらいだそうです。
どれだけ多くの人々の、どれだけ過酷な労働量だったことか。



ローソクの薄暗い明かりのなかで、一日中掘ってたんですねー。



顔が嬉しそうだが? ちなみに私の友人で、つらい状況のときにも笑顔の人がいます。
実は普段から笑っているように見えるだけで、内心は苦しんでいるのに、よく「何か
良いことでもあったの?」と言われたりするそうです。

私は朝ボーっとしているときとか、まったり酒を飲んでいるときに、「ちょっとコワイ」
とか、「つんとしてる」って言われるときがあります。だいたいおヴァカなことでも
思ってるんでしょうけれど、高田純次の冗談みたいなこと考えているのにゴルゴ13
みたいに見えているなら、それはいいことではないか、と思っています。



目が合ってしまうと、いちおう「ご苦労様です」とご挨拶。君は同じクラスだった
内山君のようだが・・・?



たくさんの労働者を監督するには、かなりの数の管理人がいたことでしょう。
今でいうと、コンビニの本部から来るやつらって感じでしょうか。さすがに労働者も
ここでは笑っていませんね。

さて、あなたは
1.嫌われても楽な仕事
2.楽じゃないけど、嫌われるようなことはない仕事
どちらがいいですか?


足尾から通洞へ

2019年08月28日 | 関東甲信越



さて足尾から通洞へ向かいます。雨さえ降らなければ、1駅ぶんはたいした距離では
ありません。庭のついた小さな家がありました。余生を過ごすにはいいなあ。



この渓谷には、こういった静かな集落が続いています。



おお、教会がありました。調べてみたら、明治時代に造られたもので、登録有形文化財
だそうですね。まあそんなことより、銅山で働く人々の生活が過酷だったんじゃないか
なあ、と思ったりしました。「こんなひどい人生はほんのわずかの時間。あとは永遠の
天国が待っていますよ」という慰めが忍び寄る。一方で「迎賓館でブランデーを飲んで
いるような連中が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と聞いて
溜飲が下がったのかしら。



さてこのあたりから通洞の町に入ります。もう昼飯時を過ぎているんだが、なにか
食べられる店はないかな?



それなりに店はあるようですが、ほぼどこも営業していないようです。



食堂があったが、やってないー。



パン、洋菓子、足尾みやげ、喫茶店?の表示があるようだが、ここもやってない。



ここは通洞の駅前。ううむ、昼飯は抜きか。。。



食事処~、やってないのね~。



ほぼゴーストタウンですな。。。



ホルモン末広さんは飲み屋さんだから、昼はやってません。昼もやってよー。
手間はかけさせないからさー。



飲食店はほとんどないが、土産屋、菓子屋の看板はいくつかありました。いまはやって
ないけど、需要があった時期はあったということですか。


間藤から足尾へ

2019年08月26日 | 関東甲信越



わたらせ渓谷鉄道の終着駅、間藤です。おそらく数多くの鉄っちゃんがこの駅を
訪れたことでしょう。カモシカが見られると書いてありますが、そうそう出てこない
でしょうねェ。



駅のすぐ近くには大きな工場がありました。



道は山の奥へ続いています。予想通り、ここは「電車の終着駅へ来ること」だけの
場所のようです^^; こんなブログなんて見ちゃったら、あなたはもうここに
来たいとは思わないでしょうね。別に特別なものを期待していたわけじゃありません。
「どんなとこだろう?」という好奇心だけ。あとは「行ったな~♪」という記憶が
私の大事な箱に残ったわけです。だいぶ増えたぞ♪



来た電車が30分ほどで戻ります。ワンマンの運転手さんもわかっていて、日々こう
やって来ては折り返す乗客の相手をしているのでしょう。



1つ隣の足尾駅に戻ってきました。行きに電車のなかから、何やら撮影をしているのを
見ました。別に関心もねーのに、大勢のスタッフが「あっち行ってね(来るなよ)」と
駅の外に追い出す。せいぜい役者だろが。ところで駅名が変わっているではないかー。



渡良瀬川を渡ります。これが足利の、森高が歌った渡良瀬橋につながっているわけだ。



橋の横に、こんな写真が出ていました。最初は馬車が引いた鉄道だったと。



それから「ガソリンカー」。小さくてかわいいねェ。



鉱山が稼働して多くの人々が働いていたときの宿舎が見えます。



どうやらみんな空き家になっているようですね。きつい仕事で働くお父さん、そして
忙しくて働き者のお母さんと子供たちがいたんだろうなあ。



廃墟となったいま、住んでいた人たちがなつかしくて見に来るなんてことがあるのかな。



一ヵ所窓が割れていて、中がのぞけました。オバチェいないかな。



こちらは「古河掛水倶楽部」。
足尾銅山は、江戸幕府直轄の銅山として栄え、その銅は東照宮や江戸城の屋根や、
銅銭「寛永通宝」にも使われたそうです。しかしその後は廃山になりました。

1877年に古河市兵衛が経営するようになり、日本の鉱山としては最先端の技術を取り
入れ、日本の銅の約半分を生産するに至り、東洋一の銅山と呼ばれるようになった
そうです。そ
の隆盛期に、貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館が
ここの建物というわけです。すんげー儲かっていたんだろうねェ。

労働者は山の奥深くで重労働。社長は蝶ネクタイで車に乗り、こういうゴージャスな
建物で玉突きをしていたりしたわけだ^^; 内部はすごく立派だそうですが、なんと
週末にしか見られないんですぅ~。ちなみに門から撮った上の画像、重役の家で、
本館はもっと奥にあるんだよ!



外から見られるのは、あとこの書庫だけ。迎賓館でなくていい。ここに住みたい♪
つったって、これも国登録有形文化財だそうですが。。。


わたらせ渓谷鉄道の終点まで

2019年08月24日 | 関東甲信越



さて桐生駅から、わたらせ渓谷鉄道に乗ります。



今回は栃木市、足利市、桐生市と回ってきて、これから渡良瀬川をつたってゆく
ローカル線に乗り、矢印の終点間藤まで行くのです。なんでこんな山奥までヒョロヒョロ
と床に落ちたジンジロゲみたいに延びた路線が出来たかというと、それは有名な足尾銅山が
あるからでしょう。しかしそれが閉山になったあと、よくも今まで残ってきましたよね。
とりあえず終点まで乗ることに意義あり!



まずは終点の間藤まで行き、そこから戻ってきて足尾で降りて、銅山の跡がある
通洞まで歩きます。



素敵な色合いの起動車。普通は真っ赤が多いですけれどね。ちなみに観光用に
トロッコ列車が走っています。今回はそれの時間にはタイミングが合いませんでした。



改札がちと傾いている。こんな古い駅舎が残っています。



足尾鉱毒事件は有名ですが、いまはきれいになったのかな。



駅に温泉がある。立ち寄ると次の列車まで時間がだいぶ空いてしまうので、こういう
のを楽しむには朝早くから出発しないといけませんー。



あの奥のほうのスロープは、魚が行き来できるようにするためかな?
あそこにワナを仕掛けたらオニだよねー。
しかし水の中に道路標識みたいのを作らないと、魚もわからんだろう。。。



ここの駅には、特急車両を利用したレストランがあります。少年を連れていたりすると
喜んでもらえるかもなー。



10分ほど停車したので、外に出てみました。



雨の予報はなかったのに、バラバラと大粒の雨が落ちてきたので車両に戻る。



するとあっという間に土砂降り。雷も鳴りました。山の天気だなー。しかしすぐに
やみましたよ。出発地点の桐生は灼熱でしたが、さすがに1時間以上列車で登って
くると、空気はだいぶ涼しくなってきました。



足尾駅では、なにやら映画の撮影か?かなりの人数のスタッフ。滅多に来ない電車が
反対側のホームに来たもんだから、作業がストップして、みんなこっちを見ています。



さあて、終点の間藤に到着です。線路が終わっていますね。10分前の雨はどこへやら。
ここの地面は濡れてない。