さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

モスクワのディナーおそるべし ~イタリア紀行3

2010年06月30日 | イタリア
  エアポート・ホテルの夜、渡された食事券を手に食堂へ行く。やはり薄暗い。体育館のようにガランと広く、テーブルがいくつも並んでいるが、他に客はいなかった。宿泊客は、とても少ないに違いない。テーブルの真ん中にはバスケットがあり、白いパンが置かれていた。さらに木の根を細切りにしたようなものがボウルに入っている。白い切干し大根のようだ。ひとりひとりの皿には干からびた薄切りのハムが3枚のっている。広い室内、すべてこの品揃えが並んでいる。メニューはない。まさかこれがディナーなのか…?
 全くやる気が見られないウェイトレスがやってきた。飲み物を尋ねる。逆に何があるのかを尋ねると、赤白のワインとビールだと言う。そこで妹には白ワイン、わたしにはビールを注文する。しかし出てきたのは1本の赤ワインだった…。コミュニケーションの困難を感じる。別の男がワインのボトルを持ってきたとき、3ドルを要求した。ドルは持たず、円しかないと言うと少し嫌な顔をし、「650」という数字をテーブルに指で示した。3ドル=650円ということなのだろう。レートを不思議に思いながら、千円札を渡すと、しばらくしてまた別の女性が現れ、周りを気にしつつナプキンに包んだ手を開くと、1ドル札をそっと手渡した。このガランとした食堂には他に誰もいないのに、まるで麻薬でも取引するかのように「おつり」を渡すのである。闇物資を闇取引きしているのだろう。こちらは当惑するばかりだ。その態度から察するに、もしいま武装した警官が入ってきて我々を「違法行為」で逮捕しようものなら、どう扱われるのだろうかと想像する。
 
白パンは固く、ハムは干からびており、木の根のようなものは臭くて食べられなかった。赤ワインを飲みながら、次第にこのホテルの実体を認識し始めた。敵国アメリカのドルがオールマイティな、闇物資の社会なのだ。また別の女性が現れ「××はいらないか?」と尋ねる。「すみません、もう一度言ってくれますか?」「××はいらないか?」「その××っていうのは、何ですか?」そこでその女性は答えずに帰っていった。その品は何であるか、いまとなっては永遠の謎である。
 しばらくして米国人のグループがやってきた。店員にドル札を手渡し、なにか缶詰を開けて食べていた。また別の黒人女性の二人組みがやってきたが、そこには誰も職員が行かなかった。我々がワインを飲み、米国人が缶詰を食べているのを見て、その女性らはいぶかしく思っている様子であったが、まるっきり無視されたのである。彼女らが食べたのはテーブルにあるものと水だけだ。実に失礼極まる態度ではないか。さらに中東のイスラム教徒のグループがやってきた。奴らは「チキン!チキン!」と鳥料理を要求していたが、鼻っから相手にされなかった。この状況で調理したものが出てくるわけあるまい。おそるべし、ホテルのディナーであった。



監獄の看守みたいな人に頼むと、ガチャガチャと鍵を開け、写真を撮らせてくれました。
でも下に降りるのは許してくれませんでした(^益^;


独房のようなモスクワのホテルへ ~イタリア紀行2

2010年06月28日 | イタリア
 幸い(!?)ホテル行きのバスの迎えは1時間あまりでやってきた。薄暗いホールを、遠くからひとりの女性職員がコツコツ…と歩いてきた。そののんびり具合が、まさか人を待たせている歩調だとは思わなかったが、横に立ち、面倒臭そうに「ホテル」と一言発したのである。これぞ共産圏の本質だ。競争社会ではないがゆえに、効率やサービスを受ける人間のことは考えない。最低限の「自分の義務」だけを果たせばよい、という公務員的思考法。まあ日本の公務員によくあるような、カン違いした選民意識が見られないだけましかもしれぬが、国家全体が公務員では、熾烈で容赦のない資本主義の民間企業には絶対に勝てないだろうと思った。事実、これは旧ソビエト連邦が崩壊する直前のことだったのである。
  10人ばかりがバスに連れて行かれると、それは白黒映画に出てくるような乗り物博物館ものの旧式バスだった。90歳の老人をムチ打つような喘ぎ声を絞り出しつつバスは走った。外の街道を走る車はみなスクラップのようだ。数分も走らぬうちに、バスは空港に隣接したホテルに到着した。歩いてもすぐな場所へのバスを待つのが、場合によっては数時間という国…。
 エアポート・ホテルは、あまりにも古くなったため引越しが済み、取り壊しを待つばかりの廃墟となったビルの雰囲気がした。人の出入りがないのだ。なかに入ると薄暗く、フロントに人はいなかった。装飾がなく、物がないために異様な雰囲気だ。そのままお化け屋敷として立派に利用できるだろう。6階に行けと指示された。そら恐ろしいエレベーターに乗り込む。4~5人が入るとドアが閉まりかかった。ひとりがドアを抑えようと手を出したが、無常にもドアはそのまま閉まった。安全装置はない。何かがはさまった場合はどうなるのであろうか。「6」のボタンを押すと、そのボタンは2cm程めり込み、もとに戻らない。押した客は苦笑する。異様な音と揺れに不安を感じながらエレベーターは上昇した。落下か閉じ込められる恐怖心を全員無言で共有したあと、エレベーターは無事6階へ到着し、めり込んだボタンははじけるような音をたてて元の位置に飛び出した。
 その階にはテーブルが置いてあり、そこが受付になっているようであった。鍵を渡され部屋に向った。ひどく安っぽい鍵だというのに、回してもなかなか開かない。横の壁を押さえて力を入れると、ベニヤでできた壁がはがれそうになる。なんとか破壊せずにドアを開けるのに数分は費やした。
 なかには粗末なベッドと、小さいテーブルと椅子がひと組。別に不潔なこともないし、それ以上を望む必要もないのだが、あまりにも殺伐とした雰囲気が、刑務所の「独房」を連想させた。事実ここはトランジット用のホテルで、ビザがない以上外出ができるわけもなく、外に通じるすべてのドアが固く閉ざされている、いわば収容所なのである。
 風呂は幸いお湯が出た。バスタブには栓がない。すり切れたタオルを詰めて利用した。10時間以上のフライトと空港の不安な待合室のあとなので、ベッドの上で体を伸ばせるのは本当に気持ちがよかった。



空気は冷たく、このような針葉樹林が果てしなく続いている。この大地がトルストイやドストエフスキーを生んだのですなぁ(^益^;

モスクワの夜 ~イタリア紀行1

2010年06月26日 | イタリア

 世界中で最も観光客が訪れる国イタリア。この魅力あふれる国への旅行記を綴るにあたり、まずはモスクワの話から始めよう。
 初めての訪問は1989年、わたしがフリーターという身分で、貯金残高が近場の温泉旅行にも耐えないほどであった頃である。妹がオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」に入れあげていた。彼女は結婚が決まっており、寿退職していた。身軽なうちに是非イタリアに行きたいという。そこでヒマな(!?)わたしが「通訳&ガイド&ボディ・ガード(これはどうかと思うが)」という身分で雇われた。わたしがすべての段取りをして連れて行ったわけであるが、財政的な見地からは連れて行ってもらったのである。観光ブランを立て、飛行機を乗り換え、列車に乗って、長距離バスに乗って、宿と交渉し、レストランではメニューを説明し、美術品の解説をし、何でもやったんですよ
w(゜曲゜)w

         払ってもらったんだけど…w(゜゜)w

 
女性の読者さん、こんなお兄ちゃんがいたらいいな、と思いますか?男性諸君、こんな妹がいたらいいですか?
 さて、安い航空会社を使うのは当然。他の会社より10万円も安い、ダントツに安いのがロシアの航空機、アエロフロートであった。選択の余地なく決定。しかし日本を昼に出ると、モスクワで乗り換えてローマに到着するのがほとんど深夜であったのが問題だった。宿は日本で予約すると高いので、あちらで毎日安宿を探すつもりだったのだ。(初めてのヨーロッパ2週間だというのに飛び込み!)深夜に宿探しはしたくない。だからモスクワに夕方着いたらトランジット用のエアポート・ホテルに一泊し、翌日午前中の便でイタリア入りすることに決めたのだ。それがあんな興味深い経験をすることになろうとは、思いもよらなかったw(゜゜)w
 モスクワの国際空港に降り立つと、そこはガランと大きく、薄暗かった。免税店の照明だけが煌々と明るい。ホテルへのバスをどこで待てばいいのかわからない。しかたなく薄ら寂しい待合室の椅子に座る。大変すわり心地が悪い。しばらく待てど、フロアには職員もいないではないか。横に座っていた日本人の中年女性が話し出した。

かなり覚悟しなきゃいけないわよ。何時間も待たされるから。先月ここに来た人は、 結局この椅子で一晩過ごしたそうだから。まあ最低5~6時間だわね。

 嫌なことを言う…。通路を歩くと、ダンボールの中で暮らしている(?)人たちがいた。赤子までいる。ほとんどが黒人であるが、彼らはいったい何日間ここにいるのだろう?トイレに入ると、中で散髪をしている人、体を洗っている人たちがいる。中東の人間だ。彼らも長期滞在している様子だ。3月下旬とはいえ、ここは北国。はやくも日は暮れ、そとはすっかり暗くなった。気分も真っ暗になる。


鳴門の大渦 4

2010年06月23日 | 四国・中国地方

淡路島に来たら、鳴門の大渦を見なければなりません。
というわけで、島の南へ向かい大鳴門橋に行きました。



本州と淡路島をつなげる世界最長のつり橋「明石海峡大橋」も大きかったけれど、この淡路島と四国をつなげる「大鳴門橋」もかなりのもの。



その橋のたもとまで行きますと、「鳴門の大渦」が見られるのです。地図を見ると、大西洋と瀬戸内海の間を、淡路島がふたをしているような地形になっています。そのわずかなすきまがこの鳴門海峡。潮が変わるとき、その複雑な流れが渦を作るのです。

洗濯機みたいにでっかい渦ができているのかと思っていたら、意外とこじんまりしたものでした(^益^; 観光用の写真などでは、うま~く撮ってあるわけだな。。。



画像をクリックして見て下さい。渦が見えるかな?(^^)w

さて係長と行く淡路島の旅、ビデオクリップを編集して動画をアップしています。お時間のある方は下のアドレスからジャンプ!
…YouTubeにアップすると、映像がカクカクして残念(゜゜)

http://www.youtube.com/user/sakichi21#p/a/u/0/u9iv6K7C_2U


淡路島モンキーセンター 3

2010年06月20日 | 四国・中国地方

淡路島を観光するってったって、「ナゾのパラダイス」は怪しすぎるし、係長と二人でフラワーパークみたいなとこに行ってもむなしすぎる(゜゜)…

そこでモンキー・センターに行くことにした(^益^;



淡路島には野生の猿が沢山生息しているんですねェ。それを餌付けすることにより、観光客が見られるようにしているのです。



お猿は見ていて面白い^^ しかしひっきりなしに喧嘩ばかりしてやがるw



ここには猿がやってくる季節が貼り出されています。何月は「90%」、何月は「50
%(微妙)」、何月は「ほぼ絶望的」などと書かれています。秋などはおそらく山に食べ物が沢山あるので、ここには降りてこないようです。その場合、入場料とっておいてどうするんだろう?(゜゜)w



さて二日目の昼飯は、淡路牛を食べました~(^益^)b

係長は、いままでこんな霜降りの肉を食べたことがなかったそうですw
せっかく来たんだし、車で回ってもらった礼もこめていってみたぜー!!!