モンテーニュ先生、最初は酒に酔っ払うことを不徳と批判しましたが、途中からは「たまには酔ってはめをはずすのもいいではないか」と、言っていることが逆になってきました。そもそもモンテーニュは「人間は多様性と矛盾に満ちたもの」と繰り返していますし、四角四面に割り切って考えるのが嫌いです。
確かに酒を飲むことは、ストレス解消には絶好だし、実に人生を楽しくする。一方で楽しすぎてはめをはずし、繰り返し恥ずかしい思いをしては後悔するし、ひどいときには恥ずかしいことをしたような気がしても思い出せなかったりするのである。これは実に困る。しかし私にとっては、酒はサイコー!に決まってるんですけどね。
酒はいいのか悪いのか、という議論を真面目に続けるかと思いきや、話は飲む酒の質の問題に移ってゆく。難しい好みや、やかましい選択などはやめろという。うまい酒ばっかり飲んでいたら、いやでも時おりまずい酒を飲む苦しみにあわなければならない。愉快な飲み手であるためには、そんな敏感な舌を持ってはならない。 え?
こんな酒が並んでいたら、生きててよかったと思うよねえ。
ドイツ人はどんな酒でも、ほとんど同じように喜んで飲む。彼らの目的は味わうことにはなくて、ただ酔っ払うために飲むのであり、そのほうがずっと安上がりだ。彼らの快楽はずっと豊富であり、しかもずっと手近にある。フランス人は二度の食事のときだけ、控え目に健康に気をつけて飲む。もっと時間をかけて、幅広いもっと強い飲み方に慣れるべきだ。快楽は我々が一生を通じて最も大事にしたく思うものであるから、それにはもっと多くの時間を捧げてしかるべきである。
「不徳」どころか、安い酒を一日中飲んでいろって言うわけですか?
モンテーニュの『エセー』は、「随想録」と訳されたりしています。長いひきこもり生活のなかで20年を超える年月を費やし、つれづれなるままに書き連ねたエッセイ集で、私の手元にある翻訳では2000ページを超える大作です。内容も様々ですが、「自分観察=人間観察」といった壮大な試みです。
私が紹介するとすれば、真っ先に思い出されるのが「酔っぱらいについて」という章ですね。何をおっしゃるかと読んでみると・・・
さて酔っ払うということは、とりわけ粗野乱暴な不徳であると思う。全く肉体的、下界的なものである。だから今日(1572年頃らしい)最も野蛮な国民といえば、この不徳を尊重する国民だけである。他のもろもろの不徳は判断理性を変質させるものだが、この不徳にいたっては理性をくつがえし、肉体を麻痺させる。人間最悪の状態は、自分を見失い自分を抑えられなくなったときである。
・・・ひどいっ!ワインを愛するフランス人のくせに、酔っぱらいは最低、といきなりの断罪だ。ちなみに酔うことを尊重しているとモンテーニュが批判している国民は、ドイツ人のことらしい。昼間っからビール飲みますからね。それはとてもいいことじゃないですか。現代では、午前11時からパブが開店する英国が私は大好き。日本でも、早めに開店する居酒屋は素晴らしい文化ではないかね。
私が好きな、昼間っから酒が楽しめる店は思い出すだけでもこんなにあるぞ。池袋「ふくろ」、荻窪「鳥もと」、浅草「神谷バー」、赤羽「まるます家」、大宮「いづみや」、横須賀「中央酒場」、大阪「天満酒蔵」、徳島「安兵衛」。これらの店にはすべて表彰状を出してもらいたい。
近年は高齢化が進んでいるから、夕方5時ぐらいから開店することが多い居酒屋だけど、まだ明るい4時頃から開店するところも増えつつある。もうジジーババーが開店前から並んでいたりするのだ。サラリーマンが仕事を終えてやってくる前に酔っ払って帰っちゃうなんて、良い棲み分けではないか。最近増えている24時間営業の「ナントカ水産」みたいなチェーン店は好きじゃないけどねェ。
開店と同時に入って飲み始めるのは、なんか優越感^^
俺が昼間っから居酒屋に行きたいという話はいい。モンテーニュの話に戻りましょう。「酔っぱらいは最低!」と始めたにもかかわらず、モンテーニュは途中からトーンが変わる。
古人がこの酔っ払うという不徳をさほど非難しなかったことは確かである。多くの哲学者も寛大だし、ストア学者(ストイックという言葉になってますね)だってそうで、なかには「時には禁を破ってうんと飲むとよい。酔って心をゆるめるがいいさ」などと勧めている者さえある。
それからは酒を勧める人たちの引用が続く。酒飲み競争で勝ったソクラテスは棕櫚の葉を勝ち得たとか言い出したり、ペルシャ人は酒の後で最も重要な問題を討議したというし、どこかの王様や偉い人も沢山飲んだらしいぞ、なんてエピソードのオン・パレード。
なんか言ってることが逆になってませんかあ?
(つづく)
小学生に英語を教えるっていうのもケッコウなことです。エリート教育のために、チイチイパッパの英会話学校に入れるもよろし。「家では英語を話すんだ」と、お母さんが子供にヘタクソな英語を話しているのをテレビで見たことがあります。是非頑張って続けてほしいものです。でもはるかにもっと徹底した語学英才教育を試みた人が、500年近く前にフランスでいました。かの国を代表する思想家、ミシェル・ド・モンテーニュのお父さんです。究極の教育パパゴンですぞ。
じいちゃんは魚売りでした。父親は成り上がりの商人でした。商人として成功すると、不動産ですねえ。土地を沢山持てば、地主です。大地主になると、立派な家柄がほしくなります。ただの成金じゃなくて、本物の貴族になることです。まずは名門の学校に行かせてもらい、そのあとで戦争に行って一旗あげました。10年も外国で苦労したそうです。帰ってきて大商人の娘を奥さんに貰いました。それはスペインからの移民でユダヤ人だったけど、おかげでかなりの大金持ちになり、晴れて帯剣貴族の一員になることができました。弟たちは司法職と僧職につけてやり、いよいよ名門貴族としてのスタートを切るため、子供の完璧な教育に情熱を注ぐのでありました。
長男ミシェルが生まれたら、すぐに母親から離し、貧しい村の農民のところに里子にやりました。最低の暮らしに放り出すことによって、経験を積み見聞を広め、心身ともに鍛え上げるためです。まだ赤ん坊なんですけど、それは方針ですから。そして2~3歳になったら屋敷に連れ戻し、いよいよ英才教育が始まりました。当時のエリートはラテン語を学ばなければなりません。なので母国語のフランス語ではなく、ラテン語で育てたのです。聖書の言葉、学術用語、国際語としても、ラテン語はとにかく必修だったのです。それを話す国は当時もうなかったのですけど(はるか昔のローマ帝国ですぜ)。それでドイツ人のラテン語学者と助手二人を家に住まわせ、ラテン語だけを聞かせました。召使たちにも、子供の前でフランス語は使わないように厳しく管理しました。彼らにも片言のラテン語を教えたのです。親バカも徹底していて、「寝ている子供を急に起こすのは脳ミソよくない」と聞くと、ピアノの奏者を雇って、朝は優雅な音楽を奏でて自然に目覚めるようにさせる、といった育て方をしたのです。
学校に上がったら、他の子供達は普通にフランス語なので、最初は言葉が通じませんでした。先生達は困ったはずです。ラテン語を暗誦する劇に出たときだけは大活躍だったそうですが、それ以外はすごく浮いていたと思われます。こんな奇妙奇天烈な英才教育は成功したのでしょうか。そのせいかどうかは全くわかりませんが、ミシェルはやがて法官・裁判官になり、ボルドーの高等法院の審議官になり、さらに宮廷に出入りするようになって、ついには王の相談を受けるほどの人物になります。
地位も名誉も得たこの名士は、38歳の若さで宮使いを辞し、自分の家の離れにあった塔を改装して書斎にし、そこにひきこもることにしました。どれだけ表面的に華々しい社会的経歴を誇っても、きっとそのひきこもり生活に憧れていたのだと思います。そこでどんな精神生活を送っていたかは、次回お話しましょう。
先日、ワインショップでその名もズバリ、「ミッシェル・ド・モンテーニュ」を発見。造られたのが20世紀で17年モノですが、千円台のテーブルワイン。メルロー主体でカベルネ・ソーヴィニヨンなどのブレンドで、味のほうは予想通りの「それなり」(^益^)w
そうは思っていたけれど、この名前を出されたら買わずにはいられない。フランスを代表する作家、「ミッシェル・ド・モンテーニュ」ですからねェ。ふか~い思い入れがあるのです~。
思索や本が好きで、個人主義者(仕事嫌いでもいいのだが)であるならば、誰もが一度は憧れる生活、それは監獄生活(しかも独房)、もしくは長期入院生活(肉体的苦痛は考慮に入れてません)ではないだろうか。そんな世の中と隔絶した生活が実現したときのこと。
それは英国のとある大学の学生寮でした。小さいベッドと壁にくっついた板だけの机の他は、歩く場所もないような狭さでした。訪れた友人は「独房か蜂の巣だ」と言っていました。望むところだったのです。入学式の二週間前に英国生活は始まりました。毎日本を読みノートをとること以外、することはないのです。あとは監獄よりひどいであろう食事に、一日で計一時間ぐらい費やすことぐらいでしょうか。朝はビスケット、昼にはよくサンドイッチ(英国人の定番)やフライドチキンなどを買いましたが、胸焼けをして食べきれず、残りが夕食になることもしばしばでした。しかし精神的には開放感に浸っていました。
部屋に目覚まし時計はなく、アラーム音から解放されました。携帯電話も持たないので、電子音と離れて暮らしているわけです。したがって毎朝の目覚めは自然な、まるで小さな泡がポッとはじけるような始まりでした。睡眠で中断されても、その前後はずっと同じ時間が過ぎてゆくのです。時計を見ない。何事にも追い立てられることはない。気遣いがない!睡眠時間はだんだんずれてゆきました。明け方までの読書、それが昼までになり、またさらに…。午後3時に寝て夜の10時に起きたり、夕方に寝て深夜に起きる。ベッドで寝転がって本を読むので、眠くなれば時間を気にせず昼寝をするため、時間もへったくれもないときたもんです。
本と最低限の雑貨を除いては何もない部屋で、日本の生活ではほとんどすることのなかった、午前中の斜めの陽射しのなかでの読書が続いたときのこと。静寂のなかにすっかり浸る。あまりにも静かであると、聞こえるのは自分のオナラぐらいなのである*^益^*。発泡するミネラルウォーターと(水道水は飲めない)、英国料理の基本である揚げた芋のせいではないでしょうか。読書に没頭していると、再び音が鳴る。そのたびに一時間ぐらい経ったかと思う。なんと平和なことよ。ちなみに時間のみならず、日付まで気にしなくなっていたので、気がついたときには入学式は終わっていました。ぎゃっはっは!
さてそのときに読んでいたのが、フランスの随筆家、ミッシェル・ド・モンテーニュの『エセー』でした。
三崎港の散策は続きます。この角は広告会社。営業中?
壁の紋様がいいですね。栓抜き? いや、タオルがかかっているのかあ。
手前の蔵造り?もシブい。壁の下のほうは、何やらギリシャ風か?
向こう側のカバン屋さんは、典型的な昭和の造りですね。閉店しているのかなー。
雑貨屋さん、50年変わってないって雰囲気。向こう側の「紳士服」もそうだなあ。
そして立ち話しているヲヴァ~サンたちも昭和初期ってか。
ここ、「トロと休日」というコンピュータ・ゲームに出てきた気がするのですが。。。
「蘭」とだけ書いてありますが、スナックでせう。雪だるまがドアについているので、
現役ですね。きっとヲヴァ~サンひとりだと思う。しかし昼間なので確かめられません。
左手前の建物、何かの店だったのでしょうか。ドアの左、これって掲示板ですよねえ。
若干ここの歴史について興味がありますが、知る由もなし。。。