さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

みやぎ東日本大震災津波伝承館

2022年07月30日 | 東北シリーズ


長いタイトルの通り、石巻の津波伝承館に向かいます。あの丸い建物の高さは、
津波が停滞したときの高さと同じにしてあるとか。だば~ん!ときたときにはもっと
高いのですが、それが終わって一面が海になったときの高さです。


先ほど門脇小学校の惨状を見たばかりなので、このきれいな建物のなかの整頓された
展示物はちょっとインパクトに欠けるかな。シアターで映像を見ました。何はともあれ
とにかくすぐに逃げろ!ということを強調していました。


あとはこのようなパネルばかりなので、箱の立派さと共にちょっと官製の作りを
感じる雰囲気でした。


震災前の石巻の街の様子。日和山の南は広い住宅街だったのですが。。。


ほぼ全部壊滅状態。津波のすさまじさを感じます。石ノ森萬画館のある中の島も
ほぼ何もなくなっていますね。


2年前、南浜エリアは整備されています。まだ緑地にはなっていませんね。
2本目の橋はまだ橋桁だけ。


伝承館を出て、ここら一帯に広がる「石巻南浜津波復興記念公園」を歩きます。
あの高台に上がってみますか。


お~、高台にしてある意味が分かる。やっと海が見えました。日差しがものすごく
暑いぞ! あの日陰に行って少し座ろうと思ったら・・・うしろから若いカポーが
歩いてきました。半径100mには誰もいません。俺が座ると、きっと「あ~、おじさんが
座っちゃったー」と思うことだろう。

わかりました。座るのは譲りますwww


さっき見た伝承館。たいした内容じゃなかったな。。。


東の工場群。住宅街全部がこのように広い広い公園になりました。さて暑いし
戻ることにしますか。・・・と高台を降りると、さっきのカポーもすぐに降りて
行きました。なんだよー、そんなにすぐに行くなら、俺が座ったのにー。
デヱトなら、くっついて座ってつまんない会話をダラダラやったり、手を握って
いちゃいちゃしたりしないのかー。こんな誰もいないところに来るんだから、
二人っきりになりたかったんじゃなかったのーw


というわけで、すんごい汗だくです。かなり日焼けしています。宿に帰ろう。。。


この中の島も、建物が全部流されて、そのあとは緑地になったんですね。


石巻市震災遺構 門脇小学校 2

2022年07月29日 | 東北シリーズ


痛々しい姿の門脇小学校ですが、右のほうに四角いアルミで出来たようなものがある
でしょう?あれは展望台になっているんです。


そこから見た景色です。ここはかつては住宅地でした。


展示されていた写真ですが、こんなだったのが津波で更地にw


校舎に置いてあった置時計が、離れたところで発見されたそうです。


板の部分が全部なくなるって、津波の威力はどれだけすごかったのでしょうか。
消防車がぐしゃぐしゃになるくらいですからね。。。


震災のビデオを観ました。その中で、この小学校に避難してきた人のつらい体験談が
ありました。この小学校には地震のあとにたくさんの人たちが避難してきました。
しかし津波が迫り、建物の中にいては危険なので、裏山に逃げようということに
なりました。しかしこの画像に見られるように、2階の窓から出ても裏山に渡る
ことができません。そこで教室から教壇を持ち出して、それを橋のようにかけて
避難路を作ったのです。


                    ↑ここに教壇をかけて必死の避難。

次々に避難民が渡って行きました。子供たちと一緒にいた女性が、老人が渡るのを
手助けしていました。しかしいつまで??子供らは先に渡って避難したけれど、母親は
全員が渡り終えるまで補助をしなければならないのかと思っていたところ、うしろの
人が「もう行っていいよ」とバトンタッチを申し出てくれました。そして避難したのです。

しかーしっ!そのあとで、「あの人は自分勝手に先に逃げた」という声が聞こえてきて、
ひどく苦しんだのでした。そりゃあんまりだw そのあとで、息子さんが「お母さんは
悪くないよ」と言ってくれた言葉に救われたそうです。

衝撃的な津波被害の映像も見ていてつらいものですが、あとになってわかってくる、
避難所でのひどい人たち、火事場ならぬ地震場泥棒、このように人を傷つけるような
言動をする人たち、人間が起こす二次被害というのもげんなりするものです。


石巻市震災遺構 門脇小学校 1

2022年07月28日 | 東北シリーズ


門脇小学校にやってきました。


2015年に来たときにはこのようにすべて幕で覆われていました。


いまは工事も終わり、このように隣接して施設が作られ、内部が見られるようになって
いるのです。


最初は体育館だったところに入ります。津波で運ばれてきた車が展示されています。


双葉の伝承館でもありました、ぐしゃぐしゃの消防車。真っ赤な色と、救出に向かう
べき車両がこんなになったんだという絶望感を感じさせますね。


教室です。建物がまるごと津波にのまれたのですからね。。。


〇年×組なんて表示があるのが悲しい。


仮設住宅が展示されていました。体育館での雑魚寝はプライバシーも保たれず、
いろんな人がいたので大変なストレスだったそうですから、ここに入れたときは
ほっとしたことでしょう。


なんか昭和の団地みたいですね。


壁にできた(作られた?)穴が塞がれていました。震災後の被災地の様子を描いた
池澤夏樹の小説『双頭の船』で、それぞれ妻と夫を津波で失った夫婦と子供たちの
二つの家族がこのような仮設住宅でお隣さんになり、その子供同士が仲良くなって
遊んでいるうちに、このように壁に穴をあけて行き来をするようになり、やがて
親同士が結ばれるというエピソードがありました。人って危機的状況になると
ロマンスが生まれやすくなるといいますからね~。俺は普段から平和すぎるのか


いたずら書きがほほえましい。子供もストレスがあるでしょうから、好きにさせた
両親の気持ちがわかる気がします。


石巻 日和山公園からの眺め

2022年07月27日 | 東北シリーズ


石巻げんき市場から見た石ノ森萬画館。


こちらは海岸方面。向こうに見える日和山公園に登ります。手前に見えている船は
離島の田代島、網地島に向かう連絡船です。いずれそちらにも行ってやろうかと
思っています。


さて日和山に登る道は急坂だ。日差しが強くて汗がしたたるしーw


おうおう、来るたびに建物が増えます。もとは住宅地だったのですが、ちと雰囲気が
変わりました。手前にも橋がかかりました。二本並んで、必要あるのかという話にも
なったそうです。


こちらは2015年の画像です。震災から4年経っても津波の跡が残っています。


東方面。だいぶ整備されて、やや右のほうに津波伝承館が出来たので、あとでそれを
見に行きます。

この景色を眺めているところで、語り部の(?)老人がとある人をつかまえて
熱っぽく震災のことを話していました。地震のあとに学校の先生が車でやってきて、
「津波が来るから逃げなさい」と言ったということで、それが許せないということで
(ただ伝えるだけとは何だ?!)思い出しては怒りが爆発してしまう様子でした。
被害があまりにも大きく死者も沢山出たため、「あのときこうするべきだった」
「あの人がこうした(こうしなかった)」という無念さや考え方の違いがいまだに
くすぶっているのでしょう。私は早々にその場を立ち去ったのでした。


こちらも2015年の景色。ほとんど何もありませんでした。


さっき歩いてきた北方面。


さっきいたげんき市場が見えます。あそこから土手を歩いてきたんです。


2015年には、川沿いが津波で建物がなくなっていました。


山を下りて伝承館に向かいます。


さっき山から見ていたエリア。ここには2015年にも来たんです。


右のほうに門脇小学校が見えています。それを見にバスに乗って来たのですが、
どうやら運転手さんに幽霊と疑われてしまいました。そのときのエピソードは
このブログで遡って御覧下さい^^;


おお、あの土蔵は見覚えがある。


ここを歩いたんだよw グーグルマップには「震災遺構 本間家土蔵」と書かれています。
明治30年に建てられたもので、津波でもこれだけは奇跡的に残ったというものです。


松島から石巻へ

2022年07月25日 | 東北シリーズ


朝から暑いぞ松島! 温泉宿だから朝食を宿で食べたが、あいかわらず手を消毒した
あとでさらにビニール手袋をつけるって意味あるのかしら?服を着てるのに、座った
あとでいちいち椅子を消毒液で拭くって必要なの? そしてこうやって外をひとり
無言で歩くのに、マスクつけないとコロナ感染者が増えるのかしらんww


さてさて石巻に向かいます。仙台からここまでは電車も混んでいたけれど、ここからの
下りは空いています。


移動時間も短いので、もう午前中には着いてしまいます。なにせ日曜に石巻マラソン
だから、土曜の宿泊施設はすべて満室。ほんとは金土日と3泊したかったのにw


石巻は石ノ森章太郎ワールドです。


駅舎の横にある灰皿は撤去されていました。「ここに来ればあそこ」と思っていた
ところが近年次々になくなっている。ま、マイノリティは我慢ですw


もう最近の若者はみんな知らないでしょ、009とか。


郵便ポストの上にもホレ、こんなフィギュアがあります。


いつも思うんですが、人のストライクゾーンもいろいろなので、ヴァリエーションに
富んだタイプを揃えてくれればなあ。ストレートのフォアボールの連続じゃ。。。
ときたまデッドボールw


この看板の多さからして、復興が進んだなあと思わせてくれます。まあそこでこの
コロナがもう3年も続いてますけれどね。。。


店を新装オープンしたところも大変でしょう。苦渋の判断で閉店状態になっている
ところも多いとかいう話も聞きました。


今回初めてこの菊池旅館を利用してみました。古風なイメージかと思いきや、きれいで
とてもいい。ビジネスホテルよりよかったぞ。

親爺さんが面白い人で、最初に荷物を預けたとき、「貴重品はないですよね?」「はい。
札束はこっち」「じゃそっちを置いてって♪」といきなりきたので、笑う前に2秒
固まりましたw


石巻げんき市場に。マラソンのイベントが終わったところなのと日曜ですから
たくさん人がいました。


例によって海産物が安くて豊富だが、旅行中だけに見るだけです。


イベント中なので屋台が出ており、牡蠣やらなにやらの串焼きだとかに行列が出来て
いました。ただ温泉宿で立派な朝食を食べたのと暑いので食欲が湧かず、ジュースに
ソフトクリームをのせたやつを頂きました。


外では演奏会? 小学生がエレクトーンを弾いていました。それがすごォ~く上手!
思わずしばらく聞きほれるほど。あとで司会の人が話しましたが、コンクールで
入賞するような手練れでした。

しかしまあ日差しが暴力的な強さで、炎天下でとても聞いていられません。可哀そうに、
会場に座っている人は身内と次の出演者ばかり。あとは建物の日陰のほうに立って
聞いているのでした。雨が降るとか真夏日になるとかの対策をしておくべきだった
でしょうねェ。。