さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

函館フードフェスタ

2023年02月28日 | 北海道シリーズ


新聞で見た「函館フードフェスタ」、今日までということで、急遽路面電車に乗って
函館アリーナへ行きました。


函館に来ると、いつも宿泊する湯の川温泉のすぐ近くにある函館アリーナ。しかし
中に入るのは初めてです。


おお、何か競技をする会場なんですな。みんな食ってる食ってる。しかしこれだけか。
札幌の巨大な会場に去年入ったので、それに比べると小さく見えるなぁ。


迷わず酒のブースを探す。北海道のワインや、最近増えている日本酒の売り場を
探すが、酒はこの「五稜」だけじゃねーかーw いろいろ飲み比べを楽しみにして
いたのになあ。。。


最初はワインに合わせようと思ったけどしかたない。何種類ものジャガイモが
入ったジャガバタ、これがすごおく美味かったぞー!


そして〆は「函館ブリ塩ラーメン」。これが最近話題になっているらしい。
温暖化のおかげで近年は北の海でもブリ、イワシ、タイなんかも豊漁らしい。
北海道の人たちはこれらの魚が獲れても、慣れてないのでどう調理して食べたら
いいか模索しているというニュースを見たことがあります。おそらくはそれの
ひとつなのでしょう、このブリ塩ラーメンは。もともと函館名物の塩ラーメンは
魚介系ではなかったが、これもまた美味かったです。
しかし北海道に来て楽しみにしていた魚、オヒョウなんぞは近年ほとんど食べられ
なくなったが、ソイやハッカクなんぞは大丈夫なのか???


帰りに滞在している宿の近くの観光客向けの海産物店に入り、そこのフードコートで
弁当を買いました。台湾や韓国からの観光客が増え始めて、なかなか盛況になって
きています。そのうち中国人もやってきて、以前のように植民地みたいになるのかな。

この「エビカニ食べ比べ弁当」、800円でした。さすがに安いな!


函館の朝は寒いが微妙に春の気配

2023年02月27日 | 北海道シリーズ


最初の函館の朝を迎えました。おお、やはり真っ白な雪景色。


玄関の前もつららが。しかしポタポタと雫が落ちて、春の気配を少し感じます。


まだ朝だけど、観光地のベイエリアにはもう人が出始めていました。外国人旅行客は
短い滞在を目一杯動き回りますからね。


コメダ珈琲でコーヒーを飲もうかとやってきました。足元を見ると、気温が低いのが
わかるでしょう。


カウンター席の目の前は窓で、函館山が見えています。いま少し吹雪いてきましたが、
陽も照り始めて向こうの空が青く見える。吹雪&青空のコラボは、都会では絶対に
見られません~(^益^)w


北海道新聞の函館ローカルニュースを読んでいたら、いま「函館フードフェスタ」を
開催中で、なんと今日まで! ううむ、せっかくだから行ってみましょうか。。。


函館・小樽滞在~花粉を避けて

2023年02月26日 | 北海道シリーズ


ここは本州の北端、下北半島の大間の岬。いよいよ花粉症が本格的にひどくなって
きたので、北海道に避難なのです。

年々花粉症の症状が悪化し、目は痒いわ鼻水は止まらんわ、頭は風邪をひいたように
重いわ、特につらいのが寝るときに鼻が完全封鎖状態になること。呼吸をしない
わけにはいかないので口呼吸になるわけだが、すぐに喉がガラガラになる。もう
風呂の中で寝たいくらいだ。

この状態になったとき、「すぐにも仕事を辞めて花粉のないところに移住したい」と
思いました。そんなん夢物語の幻想だと思っていたけれど、ついに本当に無職に
なって花粉から避難する日がきたのです。人間、仕事なんて辞めようと思えば辞め
られるものだな!

さてどこに避難しようと考えたが、外国はコロナの影響があってまだ少し不自由だし、
さらに円安誘導というトンデモ政策のおかげで海外旅行はうんざりするほどに費用が
高くなってしまった。沖縄の最西端、与那国島に行って2ヵ月かけて島々を船で
渡り歩き鹿児島まで戻って来ようかと思ったけれど、かなり行ったり来たりしな
ければならず、さらに費用もかなりかかることがわかり、シンプルに北海道滞在に
しようと決めたのでした。

2か月以上の滞在になるため、ホテルではなくマンスリーマンションを調べた。
函館や小樽は土地勘があるので、便利な場所の物件をチェック。オンラインで申し込み
が出来るようになっているが、「職業欄」とか「滞在理由」を求められる。

先日、温泉旅館にチェックインする際に書かされたのが、この「職業欄」。なんて
書くのか。迷っていると、係のおねいさんが「会社員とかでいいんですよ」などと
おっしゃる。「いえ、無職でして。。。」。一瞬「隠居」とか「隠者」とか書こうと
思ったが、「隠」の字を間違ったらハズいな、とためらって、結局「無職」と書いた。
なんか面白くない1。

今回のマンスリーマンション申し込みも、しかたなく「無職」と書いた。「保証人」は
無視!短期の利用で前払いなんだし!ただ「緊急連絡先」は書かねえといけない
だろうと思って書いた。するとその緊急連絡先に、俺の申し込みの内容確認の電話が
かかってきた。承知しているのかと。なんか面白くない2。

この話を池袋の酒場の大将に話したら、「ハイパー・メディアクリエイター」と
職業欄に書くのはどうかというナイスな提案。そもそもクリエイトは何かを生み出す
わけで、そりゃあ酒に飲まれて数々の恥多きエピソードは日々クリエイトしている
んだから嘘はない。「メディア」は「間に入る」とかいう意味だから、その恥多き
体験を誰かと不本意にもシェアしてるわけだし、誰かに笑い話として伝えりゃ
「メディア」だよw そして何より「ハイパー」が頭につくとカッコイイぢゃねーかー♪

すると大将の奥さんが横から「それじゃあ電話がかかってきちゃうわよ」と冷静な
ご判断w たしかに胡散臭い^^; 今後は「作家」にしようかと検討中なのです。


話が長くなりましたが、本州とさよならすると、すぐに北海道。今回は東からの
アプローチなので、函館山は見えませんでした。着陸態勢に入る頃、乗客の青年が
変な顔をして通路に立つ。アテンダントが声をかけるとますます変な顔をして、
よろけて抱きかかえられていた。演技じゃなくて、ほんとに具合が悪かったのねw

すると俺の横に座っていた青年も、変に前に傾いて顔を膝に乗せるほどにしていたら、
鬼太郎袋を手に・・・イヤ~ンw

飛行機は数分遅れで着陸。荷物が出てくるのを待っていたら、まもなく市街地行きの
バスが出る。俺の荷物が出てきたのは最後のほうで、発車2分前!急いで飛び出して
外を見るとバスが止まっている。乗り場は一番奥。走って行ったらドアが閉まり、
目の前まで来たら動き出した。数秒遅れ。イヤ~ンww


まあとにかくこれから1ヵ月滞在する部屋に入りました。引っ越し先のアパートと
同じで、何も家具類はないのねw いちおうトイレットペーパーは持ってきたよ。
しかしお湯を沸かす道具もコップもないのか。買いに行かないとなあ。


ベッドには回り階段で登るのね♪ さすが雪国、底冷えがする。すぐに暖房をつけるが、
足から凍ってくるようだよ。東京は冬でも暖かい。集合住宅だから、建物全体が
暖かくなっていて、床が冷たいことなんてない。しかしここは違うぞw


というわけで、スーパーの百均で一番に買ったのがコレ。これがないと絶対にダメw

さてこれから函館に1ヵ月、そして小樽に1ヵ月、連休明けの東京に花粉がなくなる
までの少し長い北海道滞在記が始まります~~。(^益^)w


西川口のガチ中華街を歩いた

2023年02月23日 | 関東甲信越


ここは西川口。埼玉で友人と飲むことになったので、話題になっている「ガチ中華街」
を歩いてみた。たしかに中国の町で見るような店構え。こういう店がいくつもある。


こうやってカタカナをつけてくれれば読めるけれど、中国語だけだと読めないねー。


日本人が待ち合わせをしたり、「行こう」と相談するときどう発音すればいいのか。
客も中国人が多いとか。


中華料理といっても、地域によって実に様々。なので日本だと「中華を食べよう」
という言い方もできるけれど、これだけ本格的だと「どこそこの地方料理を食べよう」
とか、中華は中華でも「〇×料理」とならないといけません。


「鉄鍋」からだいたい想像できるけれど、最後の字はなーに?


ちなみに中華だけでなく、その他さまざまなアジア料理もあるのです。


各国料理だけでなく、こういうスーパーもいろいろ。


なんだか日本じゃないみたい。まさにガチ。


こんなにたくさんあるとは思わなかったぞ。


ひとりでは入りにくい。何人かでいろいろ試してみないとねえ。さらに大食いの人も
いてくれれば^^;


外国じゃなくて、ちゃんとドンキもあるでしょ(^益^)w


ザリガニの店かー。旨いっつ~話も聞いたことあるけれど、どんな環境で育った
やつなんだかが気になるな。。。


スーパーでは割と人がたくさん買い物をしていました。なんだか見たことないような
デカい魚とか、この時期にスイカなんかもありました。輸入品かー。


「いちごちゃん」は大きなスーパーです。どんなもんが並んでいるか、入っても
よかったなあー。もう友人との待ち合わせの時間が迫ってきていたので。。。


あ~鍼灸もあるのねー。ほんとチャイナタウンだ。


一画はすごい風俗店がズラリ。あとで埼玉に住む友人が「そりゃさきち・さん、
西川口は風俗店の聖地ですよ」ときたもんだ。


この日は飲んでいたら0時になっており、電車は新宿までだった。。。
金曜の夜とあってタクシー乗り場には10人くらいの行列。日本人って、同じ方面に
行く人たちで乗り合いをしませんよね。ひとりで乗るのはなんとなく贅沢。
酒場一回分を使うのはもったいない気がして、歩いて帰ることに。

意外と若い女性もちらほら歩いている。タクシーがやなのかな。それとも俺と同じで
「そんな金使うくらいなら酒を飲む!」か?
*ちなみに3000円だと、私は「酒場1回分」とカウントしますが、同世代の女性は
「ランチ3回分」と言いました。20代の青年は「牛丼6回だよ」と主張。あなたは
何を何回分と言いますか?

旅行先で食事をとれなかったり、何時間も歩く羽目になっても、河口慧海の
『チベット旅行記』やランドーの北海道旅行記を思い出せば楽なもの。なのできつい
山登りでもなけりゃ極寒でもない、歩いたことのある舗装された道を行くんだから
何てことないのである。

ぽつりぽつりと定期的にコンビニの明りを通過する。たまに小さいバーが開いている。
もう深夜2時を過ぎているというのになかには結構客が一杯だ。ああ平和な日本~。

家に着いたのは3時になる頃でした。。。


明治大学平和教育登戸研究所資料館

2023年02月21日 | 関東甲信越


こちらは生田駅から歩いて15分ほどのところにある「明治大学平和教育登戸研究所
資料館」。大学構内にあります。ここは旧日本軍の秘密研究所だったのです。
コロナのせいで密を避けるためか、入り口には「入館には予約が必要」と書いて
ありましたが、入ると「いまは混んでないので予約なしでも大丈夫です」と入れて
くれました。


構内に入るとすぐに倉庫跡があります。通称「弾薬庫」と呼ばれているそうですが、
何に使われていたかは謎だそうです。内部の部屋にはスイッチやコンセントがある
とか。なにせ日本軍の秘密研究所ですからね。ショッカーよりすごそうwww


ここは1932年、ブラジル(アマゾン)開拓移民の指導者を教育するための「日本
高等拓殖学校」として建てられました。当時は国策として「ブラジルで成功して
豊かになれるぞ」と移民を奨励していたのです。その後ははしごをはずすように
見捨てたのですが。。。

そして1931年の満州事変以降は、国は満州への移民政策にシフトし、そちらに移民を
大量に送り込みました。日本の植民地政策です。なのでこの学校は1937年に閉校
となりました。

その跡地を陸軍が買収し、「登戸実験場」が開設されました。その後は「登戸研究所」
となり、軍の秘密研究所としていろいろやらかすわけです。それをこれから見て
いきます。

とりあえず建物の歴史を続けます。1945年の日本の敗戦と共に登戸研究所は閉鎖。
GHQによって日吉校舎を失った慶應義塾大学がここを借り受けて、しばらく使って
いました。1949年になって、明治大学がここを買い取り、今の生田校舎となった
わけです。


軍が使っていたときの写真を見ると、いま残っているヒマラヤスギが写っています。


さていま話題になっている気球ですが、日本は気球に爆弾を積んでアメリカに
落としてやろうという作戦をとりました。その研究をここでやっていたのです。

なんと和紙で作った気球で、その風船爆弾を太平洋上に吹く偏西風に乗せ、
アメリカ本土に攻撃したのです。放球した数はおよそ1万発。どうやら300発くらいが
どこぞに落ちて爆発したらしいですが、被害はほとんどなかったとか。

最初は「牛疫ウィルス」という病原体の生物兵器として計画され、あちらの家畜に
被害を与えてやろうとしたそうですが、さすがにそれは悪質なので報復が大変な
ものになるだろうと断念、結局焼夷弾を搭載したそうです。

しかしどこまでアホで無駄なことをしたのだろうかと今は思いますが、うまいこと
アメリカ大陸で落っこちるように、風がうまく吹く季節や放つ場所を計算し、また
途中で重りを落として高度を調整したりとだいぶ頑張って研究したようです。


和紙にコンニャクを加工したものを塗りつけて作成したとか。


その他、ここで研究開発をしたものに「電波攻撃」があり、超短波を発振して
攻撃するとか赤外線の熱戦を出す武器だとかを研究しましたが、どれも実用化には
至らなかったとか。

また雷雲を人工的に発生させて敵の飛行機を攻撃する気象兵器とか、盗聴器や
無線機などのスパイ活動の道具など、様々な研究もされていましたが、どれもさして
有効ではなかったようです。そういった国をあげての秘密研究をしていたのです。
悪の組織、ショッカーも顔負けですな。


ホントありとあらゆる悪さを企んでいたことがわかります。戦争ってそういうもの
なのでしょう。

中国での731部隊で有名ですが、日本軍は生物兵器を開発しており、ジャワ島から
入手した毒物コルヒチン、台湾からは毒物の原料となるアマガサヘビを入手、
細菌兵器を作るためにトウモロコシの病原菌、小麦の条斑病の株、稲の害虫である
ニカイメチュウも大量に準備していたとか。なにせ広い中国大陸を侵略するには
日本軍では数に無理があり、細菌をばらまいてズタズタにしてやろうという作戦に
出たわけです。


この建物の木材は、長野の伊那から持ってきたことがわかりました。俺の好きな
酒場の聖地がw ちなみに日本の本土が空襲を受けるようになってから、軍や国の
施設は内陸部に避難せざるを得なくなり、様々な場所に施設が移築され、なんと
伊那にも飛行場が作られたのです。


日本がやった悪事のひとつがこの「偽札作り」です。中国と全面戦争になっても
なかなか戦果はあげられず、ドロ沼の長期戦になってきたとき、日本は中国貨幣の
偽造をしてそれを大量に使用してばら撒き、中国経済をボロボロにしてやろうと
画策しました。その印刷を実行したのが、ここの研究所だったのです。


さすがに簡単にはできません。しかし香港を占領して印刷工場を占拠し、また
ドイツの潜水艦がアメリカ商船を拿捕して本物の紙幣をたくさん手に入れたので、
精巧な偽札を製造することに成功したのです。当時はトップシークレットの悪事、
研究所の中でも秘密にされており、関係者は絶対に口にしてはならないと厳しく
情報統制されていたそうです。んで敗戦時にみんな焼却処分したとか。


細菌のろ過装置。なにせ細菌兵器を使用したら、そこにいる自国の戦闘員や占領部隊が
いられなくなってしまいます。なのでろ過装置が大量に必要となったわけ。


あとからこういうものがワラワラ出てきたと。

日本が国をあげてひどい悪事を働いていたことにうんざりです。しかし過去の黒歴史を
隠ぺいしたり闇に葬ることなく(もちろん当時はそうしたのですが)、「知ることが
できる」いまの環境を作り上げてきた先人に感謝するし、誇りにも思います。それ
なくしては、また過ちを繰り返してしまう可能性を高めてしまうでしょう。そう
しないためにも、こういう過去があったことを目をそらさずに学び、なぜこんなことを
してしまったのか、そしてそれをふたたび繰り返さないためには何が必要かを考える
必要があるでしょう。