さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

3軒目はバー「アドニス」

2020年07月30日 | 関東甲信越


「きりん」で酔っ払って寝ていたおねいさんが、突然「一緒に行く」と言い出して、
サントリー・バーの「アドニス」に向かう。少し歩き出したが、どこにあるか少し
不安になる(スマホなんてものは持ってない)。おねいさんを連れて道に迷うのは
まずいと思って、「きりん」に戻っておやじさんに場所を聞くと、なんと客のいない
店をほうっておいて、一緒にそこまで行くと言ってくれた。店開けておいていいの?

おっちゃんは下はジャージで、上は下着のシャツ。最初に店に入ったときには笑ったが、
それで町を歩くのはなあ(^益^;

実はおっちゃんも、アドニスの場所が定かではなかった^^; 夜の繁華街にワラワラ
と立っている若い客引きに聞いてくれたが、知らないという。「若いやつはああいう
バーを知らねえんだな」とおっちゃんも不満。

歩いていると、俺のおぼろげな記憶でようやくたどり着く。おっちゃんも満足そうで、
にっこりして帰っていった。次回はお礼になんか差し入れを持っていかないとな。。。
おねいさんに気を遣って案内してもらったのに、おねいさんは「店を開けておいて、
大丈夫なのかしら」とあきれていた。来てもらったのはどうしてかーw


このぬいぐるみは、おねいさんが大事にしているもの。「きりん」でもカウンターに
置かれており、途中で酔いつぶれたときにはおっちゃんが「忘れるなよ」と首のうしろの
フードに入れておいたのです。

こちらのママさん(着物を着て健在でした!)が、おねいさんのふくらんだフードを見て
「何?」と聞いたので、俺が出してあげたのです。(それまで本人は忘れていた)

ここに来たら、なかなか飲めない「山崎」を頂きます。

おねいさんは改めて俺を見て、「あんたイケメンね♪」とつぶやく。

80代のおばーさんではなくても言ってもらえることあるんだな(^益^)b

ウエンツに似てるわよ」とおっしゃる。

それってハーフのガイジン顔じゃね?

私の顔は、純東洋風なのである。西洋人風要素はカケラもないのである。
ということは、「イケメン」って褒められたのも。。。

おねいさんは少し目がトロンと酔っており、ママさんに「カラオケないの?」と聞く。

そういう店じゃねーよーwww

場違いな雰囲気が明らかなので、ママさんはカラオケをやっている普通のスナックを
紹介してくれる。店には8人の団体が入ってきて、いきなりうるさくなった。ほぼ
満員になり(コロナ騒ぎはどこの話だ?)落ち着かない空気になったので、もう早々に
スナックでもカラオケでもいいから移動しようということになった。

東京からわざわざ来たのになー。。。


2軒目は「きりん」

2020年07月28日 | 関東甲信越


さて2軒目、といっても酒を飲むのは1軒目ですが、伊那に来たメイン・イベント、
「きりん」です。「マスター」というよりは「おっちゃん」と親しみをこめて呼んだ
ほうがよさそうな大将が、店の外に椅子を出して座っていました。ちょっと休んで
いた様子。「どうしたの?」と聞いたら、「いま亀に行ってきたんだろ?」と俺が
店から出てくるのを見ていたようです。

ちなみに甲府→諏訪→伊那と渡ってきて、だんだんコロナの影響がなくなり、ここは
まったく普段通りの運営。つまり思いっきり密で話しまくってます。「東京から来たん
ですけど」と一応断っておきましたが、全然気にしていない様子でした。(^益^;


店内には初老の男性と中年女性(おねいさんか^^;)がふたりカウンターで飲んで
いました。いつものようにみんな仲良しで、おっちゃんはこちら側に来て一緒に座り、
話に花が咲きました。蕎麦の話が出たので、「亀」でいまさっき食ってきたこと、そして
伊那市創造館で知った「入谷野在来種」の話を出すと、初老のおっちゃんは「それなら
高遠だ。先に電話して確認してからにしたほうがいいよ」とアドバイスをしてくれました。

だんだん酔っ払ってくると、マスターの過去の●×の話題が出て来て盛り上がる。それは
ここに公開するわけにはいきませんー。毎回そうだな。。。

そのうち横のおねいさんは酔いつぶれて寝てしまい(ちなみに昼からずっと飲んでいた
らしい)、おっちゃんのほうはタクシーを呼んで帰っていきました。自転車で来ていた
そうです。明日歩いて取りに来るのかな?


ここの地酒、「井の頭」。この街のあちこちに看板があります。ここからすぐのところ
にある蔵です。近年は滅多に飲めない、昭和初期を思わせるきつい味わいの酒です。
この店、というか、この町全体が昭和にタイムスリップしたようなところなので、
実にぴったりな臭い酒なのです。

さて適度に酒が回ったところで、次の店は「アドニス」というバーに行こうと決めて
いました。これまた昭和感のある、当時はちょっと高級感を感じさせたサントリー・バー
なのです。きっちり着物を着た貫禄のあるおばーさんがいるんだよ。

「次はそこに行くんだ」といって勘定を済ませたところで、寝ていたおねいさんが
起き出した。なんと「一緒に行く」ときたもんだ。今度は酔って寝てしまうような雰囲気の
店じゃないんだけどなあ。。。


伊那の夜 一軒目は蕎麦屋「亀」へ

2020年07月26日 | 関東甲信越


こちら宿泊先のホテル。いい感じの古い和室でしょう。前に泊まったところです。


鏡台が骨董品ですな。古風な宿だけに、部屋でWifiが使えないのが残念。


窓からは先ほど訪問した伊那市創造館が見えるではないか。


さてまだ明るいが、夜の出動。店の看板、最初の1文字が隠れてて「スマタ」と
なってて撮影。くだらなくてスミマセンw


むう、ここらはまだ開いてないな。「伊那そば処マップ」を見て、「からつゆそば」が
食べられる「亀」という店を探して彷徨っています。


おお、知らなかったぞ、古い映画館があるんだ。ジブリをやってますな。新潟で
「高田世界館」という日本最古の映画館に入ったが、次回はここも入ってみよう。

しかし「亀」が見つからん。地図によればこのあたりなのだが。しばらく彷徨うが、
ついに見つからない。しかたなくあきらめ、メインの居酒屋、「きりん」に向かう。


あれえ! ここ、奥が「きりん」なんですが、手前に「亀」があるじゃないかぁw
そういえば「動物通り」なんだから、気がつくべきだった。それにしても観光マップが
間違っているとはwww


というわけで、当初の予定通りにまず「亀」で「からつゆそば」。

しかし入ってみると、テーブル席では宴会が盛り上がっているし(コロナ影響ゼロ)
メニューは居酒屋みたいだ。「ここは蕎麦屋ですよね?」と聞くと、元気なおばちゃんは
「そうです。でも居酒屋メニューもやっているんです」というお答え。

地酒もいろいろあるし、とっても飲みたくなる。馬刺しも名物だしなあ。しかし
このあとに「きりん」で飲み、そのあとには「バー・アドニス」に行くことに決めて
いるのだ。まだ明るいうちから酔っ払ってはいかん、と我慢する。

左上のメニュー、「座砂夢子」って「ザザムシ」だよね?ここは昆虫食が揃っている
ようです。伊那市創造館の伊那観光ビデオを見ていたら、それの紹介もしてたぞ。


からつゆそばは、大根おろしをベースにした汁に、焼き味噌を溶かして食べるのです。
焼き味噌は蕎麦屋で一杯やるときには定番なのだが、今日は蕎麦だ。。。


溶かしてスタンバイ。「お好みで唐辛子を入れてね」とおばちゃんに渡される
そのあとにおばーちゃんがやってきて、また渡される。家族経営で感じのいい店だ。


さあて来ましたよ。まー旨かったです。しかしこの店には昼間にビデオで見た
入谷野在来種の蕎麦はないようだ。


蕎麦は正義!

2020年07月23日 | 関東甲信越


伊那市創造館は、もともと図書館。奥のほうはこんなエリアになっていました。

その手前には、伊那市の郷土資料館のようなエリアになっていて、特別展示でタイトルに
あったように「蕎麦は正義」という企画展がありました。何が正義?( ゚Д゚)wトランプ?

ビデオがあったので、スイッチを押して23分のドキュメンタリーをたっぷり観ました^^

信濃の山国は、奈良時代に山岳信仰の高まりの中で、修行の場となる霊山として有名に
なりました。修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)は奈良の都からやってきてこの地で
修業をしたそうです。

このときに世話になったこの地の人に、お礼に一握りの蕎麦の種を渡しました。蕎麦は
厳しい自然環境のなかでも育って収穫できるからです。この地から「行者蕎麦」が各地に
広がったというわけだ。

高遠藩主の保科正之は蕎麦が大好きで、山形最上藩、福島会津藩へ移動したときも、
蕎麦職人を連れて行ったそうです。山形の「寒ざらしそば」や会津の「高遠そば」などは
その由来だとか。


さてさて、話は現代に移りますが、脱サラして伊那に移住してきたとある人が(名前は
忘れました)、地元のとある老人に「むかしの蕎麦はこんなもんじゃなかった」という
のを聞き、むかしの蕎麦はどんなものだったのかを調べ始めます。

すると蕎麦の栽培は、昭和に入ってから粒が大きくて収穫量が多く耐病性が優れている
新種に変わっていったそうです。それまでの在来種は作る人がいなくなりました。

その在来種を探して8年。ついにとある研究所でたくさんの蕎麦のサンプルが保存して
あり、そのなかに「入野谷在来種」があることを発見。わずか一握りを手に入れる。

長年保存してあったサンプルですから、発芽する可能性はゼロに近かったそうです。
他の種と交配しないように他所から2㎞以上離れている畑で、農薬フリーで水のきれいな
ところ、それは近年の農業離れ、休耕地が増えていることから見つけることができました。
どこかの山の上のほうです。

初年度発芽したのは、なんと6粒だったとか!しかしそれを増やしていったのです。

毎年大変な苦労をして収穫を増やし、ついに「入野谷蕎麦」を食べるときがきました。
「おお~!」という香りだったそうです。すごくロマンを感じる話だなあ~。

その蕎麦が食べられる店を検索しました。高遠にある。しかしなんと前日の午前中までに
それを予約しなければならない。明日帰るんだから、今回は無理だー。


ここにはむかしの収集品を中心に残してあるようです。つまり戦時中のものが多い。


建物は改装しても、古い雰囲気は残してある。それでいいぞ~。


戦争中はこんなのばっかり読まされていたのか。そりゃつらいな。。。


んで「不適切」なものは、このように黒塗りされたそうです。わがブログだって、
ほとんど黒塗りになるんじゃねーかー?w(゜益゜)w


漂泊の俳人 井上井月

2020年07月20日 | 関東甲信越


伊那市創造館には、井上井月(いのうえせいげつ)の特別展示室がありました。
彼の直筆の短冊などが展示されていました。残念ながらそこは撮影禁止。是非
直接見ましょう^^;

井月は新潟出身で、元は武士だったらしいのですが、30代半ばでふらりと伊那に
現れ、それからはこのあたりでずっと漂泊の人生を送りました。教養があって書に
秀でており俳句を詠むので、あちこちで招かれて食事や酒、宿泊の施しを受けて
暮らしていました。伊那はそういう懐の深さがある土地だったのです。

2011年に「ほかいびと」という映画にもなりました。それは「物乞い」=「乞食」
という意味もありますが、「ほかい」とは、元来は神を祝福することを意味しま
した。それが祭りや酒宴のときの祝いごとも指すようになり,門ごとに祝言を
述べて歩き,報酬として米や物を得る人々も「ほかいびと」といわれたそうです。

つげ義春の「無能の人」にも井月が描かれています。この映画が作られたとき、
つげは井月を「ほかいびと」というよりは、「蒸発した人」という視点から注目
したと言っています。つげ漫画の流れから見れば、わかる気がしますね。

井月は心の師と仰ぐ松尾芭蕉の『幻住庵記』を暗記していて、酔っ払ってとある店先で、
そこの唐紙に約1300字を全部書いたそうです。それが(複製?)ここの展示室に置いて
ありました。この『幻住庵記』の筆跡を見た芥川龍之介は「入神」と絶賛したとか。
いまでいう「神降臨」ですね。山頭火も井月を尊敬し、山口県から伊那まで井月の
墓をお参りに来たそうです。

「世捨て人」「ほかい人」「乞食」「俳人」、いまでいえば「ホームレス」。井月は、
酔って機嫌のいいときには「千両、千両」と言ったそうです。お金なんて関心なかった
くせにね(^益^)w