さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

阿爾泰(アルタイ)へのツアー

2012年08月30日 |  新疆ウイグル

ウルムチに着いた翌日から、アルタイへのツアーへ参加。
そこは新疆最北部でロシア、カザフスタン、モンゴルとの国境が交差する秘境である。
遊牧民族が暮らしている標高2000mを超す
アルタイ山脈の奥地には喀納斯(カナス)湖
があり、そこは素晴らしい景観だとか。

その神秘的な湖には、しばしば10mを越える巨大魚が目撃されているとか!

公共の交通機関を利用するには大変な僻地だし、車を借りたとすればウルムチから
10時間以上も運転しなければならない。チェングォの提案で、中国人の3泊4日バス
ツアーに参加することになった。

これがまたいろいろあったんですぅ~(^益^;



朝5時にホテルを出る。。。
なにせ12時間近くバスに乗るので、朝早い出発になるのだとか。
バス・ステーションのすぐ近くにこのような食堂が開いているので、朝食を食べる。



黒い米のお粥と、ニラまん。
早朝からそんなに食べられない。それにバスが何時間走るかわからないので、
飲み物食べ物を腹に詰め込む気になれない。だってーw(゜゜)w



近くの24時間営業のスーパーに入り、チェングォは若干の食料を買い込む。
私は酒の品揃えに目が行った。地元産のワインが沢山あるではないでーすか!
中にはアラビア語の表示もついている。

あまり世界中で知られてはいませんが、この新疆ウイグル自治区はワインの産地。
水はけの良い土地(砂漠だからなあ)、豊富な地下水(雪を頂いた高山からの
雪解け水)、乾燥した空気(湿度5%のときもあるとか)、昼間と夜の大きな温度差
(昼間40度越え、明け方は10度ちょっとだったり)、というわけで、葡萄を作る
には適した土地なのです。

しかし大都市北京でも上海でも、こちらの地方で作られているワインは見つから
なかった。よそではあまりワインを飲まないからか…。

これからバス・ツアーに出発なのだが、なるべく早く試さねば!



さてこれがこれから4日間つきあうことになる観光バス。中国人でぎっしりだ。



ウルムチの町を出ると、すぐにこういうステップの景色になる。
何時間走っても似たような景色。マルコ・ポーロも大変だったろう。



360度広がる大地の真ん中で、このように石油を掘り出している。
数え切れないほどのポンプがギッチャンギッチャン動いていました。
これのおかげで砂漠の真ん中に大都市ができたわけだな…。



いったい休憩はあるのかな?と思っていたら、バスは突然このようなスタンドに
停車。まるで大海原にぽっかりと浮いている小さな孤島のよう。

まー ほとんどの人がトイレを利用するわけです。

俺もしっしをしようとなかに入ると・・・


数人がすでに実行中。しかし、何かしきりが大きいぞ???


ふつー「小」をする場合、ひとりぶん横幅は7~80cmぐらい?それがゆうに
1m以上はありそうだ。


あれっ?腰の高さまでのしきりに数人並んであっち向いてやっているのに、
しゃがんでこっち向いてるやつがいる???


うわっ! 「大」だ・・・ il||li _| ̄|〇 il||li


おれがすべき「しきり」の間に入ると、そこには30cm程の「落とすべき」すきま
があった。そうか、これが噂に聞く恐るべきオープン型厠だったのだ…。

普通コンパートメントに入ると、進行方向、すなわち壁を向いてしゃがむものだ。
しかしオープン型だとこっち向いてやるのね。確かに無防備だものなあ。

そいつは中東系の黒い奴だった。おそらくは絶海の孤島気分でひとり
せいせいとやっていたのだろう。それが突然バスが到着し、ワサワサと
人が大人数でやってきた。目がキョロキョロと泳いでいやがった。お気の毒
なり。。。

見るのも嫌だが、やるのは死ぬほどイヤダ。俺は腹がゆるくなりやすい。
これは今後最大の注意を払わねば…(=゜益゜):;*.’:;



こんなふうに無限に広がる大地に向かってやっているやつもおった。
これもいいかもしれぬが、手を洗わないのもどうかと…w(゜゜)w

ここで突然「日本人の方ですか?」と話しかけてくる青年あり。
内モンゴルの出身で、大阪の大学に留学している若者であった。

この写真の手前のゴミの山を指さし、「日本では見られない光景ですよね」と
少し恥じている様子。中国人の多くはどこでも吸殻やゴミのポイ棄ては
当たり前。あたり構わず唾や痰を吐く。でも日本でもそんな感じだった頃も
あるんだよ。これから、少しずつでせう^^;


烏魯木斉(ウルムチ)へ

2012年08月27日 |  新疆ウイグル



翌日には早速北京から烏魯木斉(ウルムチ)へ飛びました。
飛行時間は成田から北京へ飛んだのと同じくらい。はるか西方の都市です。

「都市」と聞いて、「へ?」と思いますか?
そうなんです。大都市w(゜゜)w 高層ビルが並び立ち、大通りは片道3車線。
車は混雑しています。

ここは「世界でもっとも海から遠い都市」だそうです。ユーラシア大陸の真ん中。
タクラマカン砂漠とゴビ砂漠のはさまれたオアシス都市。それがまあ大きいこと。

そのウルムチに、チェングォが西安大学時代の友人を訪ねるのに、私も
同行させてもらったわけです。中国人は親戚でも友人関係でも、親しい人の
親しい人は、大変大事に思ってくれます。なので見も知らぬ外国人の私でも、
このウルムチの人はとっても歓待してくれるのです。

前を歩いているのが、右がチェングォ、左がその友人です(^益^)
さすが中国、歩いていると呼び込みがワンサカ寄ってきます。

「ホラ、うちで食べてって!新鮮で安いよ!!!」という感じです。。。



夕食に、ウルムチらしい食事を提供してくれました。オープン型レストラン?
どれかの店に決めると、うしろのテーブルで食べるのです。

新疆ウイグル自治区にはイスラム教徒が多く、豚や牛は食べずに、羊を食べます。
この友人もイスラム教徒なんです。



肉のみならず、魚や野菜などもふんだんに並んでいます。
そして「あれとこれとそれねー」と選んで注文。



こんなのもありますが、私は当然パス(^益^;イヤーン



やはりメインはこのように、羊の肉をスパイシーに焼いたもの。
そこそこカライw



この魚はぐりぐり回って焼かれております。



私は数々の国を旅してきましたが、どこも食事の盛りが多い。
どこでもそう感じるんだから、日本は世界で1,2を争う小食、小盛りの国のハズだ。
その日本でも、私は特に小食と自覚しておるのです。

このウイグル人、「ほら食べろ―!」と歓待のつもりで景気よく注文してくれる
わけですが、頑張っても数本なんだよー。それに辛いものをあまり沢山食べると、
腹のなかがグリグリゆっちゃうしー(゜゜)

ところで、こういうところで豪快に食べていると、ポケット・ティッシュを売りに
来たりする人がいます。このときはおばーさんで、横にロール・ペーパーが
あるのに、わずかな金額で買ってくれと言います。

このウルムチ人は、あっさりと冷たく追い払っていました。私は真夜中に近い
この時間に一生懸命小銭を稼いでいる老女が可哀相になりました。でも相手を
しているときりがない。次々来るんだもんw

別のおじーさんが、小銭をほしいと言ってきたときも拒否。チェングォと友人は
少し恥ずかしくなったようで、「日本にも乞食がいるの?」と聞いてきました。

私が小さいときには少しいたかなあ。「いまは政府が生活保護を支給している
ので、いなくなったよ。もちろんいろいろ問題はあるけれど」と答えました。
問題は大きな貧富の差を生みだしている政策にあるわけで、悪いのは物乞い
じゃないんです。

ちなみにモンゴルの帝王、クビライ・カーンは、この地を訪れたマルコ・ポーロに
よれば、広く集めた税金を、手厚く貧民救済にあてていて、物乞いはいない
ようにしていたとか。実に800年前のことです。

さて我々に小銭を拒否された老人は、我々の食べ残した枝豆を、ビニール袋に
入れて去って行きました(´;д;‘)ノ



向こう側に座っていた人たちを盗撮(^益^;
ここには中東、ロシア、カザフスタン、モンゴル、漢人と、実に様々な人種が
入り混じっているのです。



ここ新疆ウイグル自治区は、中国から独立したいと動いている人もいるのです。
というわけで、それを許さない漢人がちっと威張っているカモ…。

この問題はまたあとで少し詳しくお話しませう^^


中国:新疆を訪ねる~シルクロードの旅

2012年08月25日 |  新疆ウイグル


まずは地図をご覧頂こう。
今回の旅は、中国北西部、新疆ウイグル自治区を周りました。
 「新疆」は日本語読みで「しんきょう」、中国語では「シンジャン」と発音します。

ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠など、多くの砂漠が広がる地方、俗に言う「シルクロード」で有名な地域です。

「絹」などが中国からはるかヨーロッパまでもたらされた道だから、「シルクロード」と呼ばれたわけですが、東西交易の影響で言えば中国の物品が地中海方面へともたらされ、また逆にはギリシャの紋様が奈良のお寺で見つけられたりするわけですし、エリアはまことに広大なのです。

またそのルートは新疆地方の砂漠地帯を通るだけではなく、上海や杭州などから海路で東南アジアを周ってインドを通過する行き方もあったわけだから、別に「シルクロード」という言葉が砂漠の多いこのあたりを示すというのは不合理な気がしますねェ。

まあ許してやろう(^益^;



さて、内陸部のシルクロードは、北京から西へ向かうとすれば、敦煌(ドゥンファン)まで行き、そこからあまりにも広いタクラマカン砂漠を南に迂回するルートと、北に迂回するルートに分かれます。

私の今回の旅は、その北ルート、すなわち吐魯番(トルファン)、烏魯木斉(ウルムチ)を訪ね、またそこからアルタイ山脈のふもとまで北上します。ここは四つん這いになると、右手がモンゴル、左手がロシア、左足がカザフスタンで右足が中国になるといったような、国境線が隣接したところです(もちろん大袈裟ですけど^^)。こんなさいはてはどうなっているんだ?



おい、ここでいきなりヴォーヌ・ロマネが出てくるのはどういうことなんだ?と思われるでせう。オー・マルコンソール(2007)、デュジャックの造るプルミエ・クリュ!

こいつはわがお宝の一本だったので、砂漠の旅をする前には消費しておかねーと、何かあったら心残りじゃないですかー(^益^;

それに出発の日はオリンピックでサッカーの試合がある日。日本男子が銅メダルをかけて韓国と激突する日であったのだ。試合は午前3時スタート。夜明けの5時までやってるから、一本消費するのには丁度いいではないかね。

デュジャックのヴォーヌ・ロマネは、素晴らしい逸品!スミレの花を思わせる繊細な香りに酔う。色は美しい薄い紫。このワインは、純真で聖なる少女が貴婦人へと変わってゆく一瞬を描いたもののよう。

しかーし、サッカーは0-2で負けかよ。出発の日にもかかわらず徹夜したのに…。

しかたなく荷物をまとめ、そのまま成田へ向かう。


げっ!混んでる! なにコレ? (=゜益゜):;*.’:;


そうか!今日は土曜日、世の中はお盆が始まる休みの最初の日だったんだ!

お盆は御先祖様が帰ってくる時期だろうがよォ。成田から出国してんぢゃねー!



ふひー。危なく遅れるところだった。
しばし休んでビールを飲む。ワイン一本飲んだもんだから喉かわくワィ。
チェングォのお土産には昔一緒に北海道に行った思い出のお菓子、「白い恋人」を
買ってゆく。

機内では午前中なためか、ビールを飲んでいるのは俺だけ。「何になさいますか」と言われて、ビールがあるのにジュース頼みませんよねー。俺以外みんなそうだったけど。



チェングォが予約してくれた北京のホテルは「マルコ・ポーロ」。
今回の旅にふさわしい名前じゃないか。13世紀に彼は実に30年近くの旅をし、
ヴェニスからコンスタンチノープルへ行き、中東を経てアフガニスタンから
中国へ来て、当時のモンゴル帝国の王、クビライ・カーンに会い、北京から
上海、海路でベトナム、インドネシアを通過してインドを周り、再びヨーロッパへ
帰ったのです。

それにしても、北京のマルコ・ポーロ ホテルはご覧の通り、一流でしたw



ひとりで寝るのはもったいない感じでしょ?



バスタブに浸かりながらもテレビが見れたりするのです。オリンピックは中国選手
ばっかりしか映さないけれど…。



夜には近場にある、この巨大レストラン・モール?に行きました。
いったい何十件入っているのだろう??? はるか見えないほうまで、一階と
二階、全部レストランだよ!!!



まあ北京に来たわけだから、チェングォはダックを勧めてくれました。
キャイ~~ン(^益^;





この青菜はチェングォの定番♪



こってりした豚のバラ肉。これがとろけるように柔らかい。。。



ストロボを使いたくないので天井のライトで写したものだからこんな色になって
しまいましたが、醤油味の炒飯です。これもベリグー。



いやいや、紹興酒は飲まないとねェ(^^)
しかし、深夜から明け方までワインを飲み、空港と機内ではビール。
到着してからレストランへ繰り出し、そこでビールと紹興酒とは、もうずっと
飲み続け^^;

いいね、いいねェ~~~。

中国:砂漠の旅、はじまりはじまりィ~~~♪


夜の東京タワー

2012年08月09日 | 関東甲信越



夜の東京タワーに登りました。
空いていてなかなかGOOD!



おそらくあちらは満員でしょう。東京スカイツリーが見えました。
あちらのほうがずっと高くて人気かもしれませんが、あちらには見えない
ものがある。それは当然スカイツリー(^益^)b



こちらは東京湾方面。レインボーブリッジと台場が見えますね。
あの橋を渡ってデエトしたことあったなぁ。。。
あのひともあれを見て、俺のこと思い出してくれたりするのかなw


さてさて、週末からチェングォに会いに中国に行きます。
北京で合流してから一緒にウルムチへ。そこに一週間ほど滞在して
名所を回り、それから夜行列車で敦煌に行く予定です。
タクラマカン砂漠やゴビ砂漠、そしてロシア・モンゴル・カザフスタンとの
国境地帯はどうなんだ?

サソリはそのへんにチョロチョロいるのか?
ウイグルのお姫様と恋に陥ったら王宮に住むことになるのか?

無事に帰国できましたら、月末あたりにこのブログで珍道中をご紹介する
予定です。乞うご期待!(^益^)b


オリンピック観戦

2012年08月05日 | らくがき



なぬっ!金メダルを逃したから死刑執行?!

そんなわけないよね(^益^; 連日熱戦が繰り広げられ、毎晩明け方まで
テレビを見っぱなしw すぽおつは面白いなぁ~。

昨夜はアーチェリーで日本人が素晴らしい銀メダルを取った試合を見ました。
その激戦だった準決勝、手に汗にぎる接戦を制した感動で興奮したのですが、
次のもうひとつの準決勝、優勝候補の韓国と中国の選手が入場する瞬間に、
映像はジャニーズなんぞが真ん中にいるスタジオに切り替わり、「やりました
ねー!」とか、全くどーでもいい感想の場面に。。。

おいおいおい、日本でテレビを見ている中国人、韓国人、アーチェリーファン、
すべてのスポーツファンをがっかりさせるぢゃねーかっ!!! (=゜益゜):;*.’:;

ううう、そんなもんなんでしょう。。。 il||li _| ̄|〇 il||li

思い出されるのが海外でオリンピックを見ていたときのこと。

英国では伊藤みどりがフィギュア・スケートで銀メダルを取ったとき、映像は
英国の10位かなんかの選手の映像ばかりを映しやがって、結果は新聞で
見るしかなかった…。せめてメダリストの演技ぐらい見せろよ!
ちなみに英国では冬のオリンピックにはあまり関心がなく、スポーツは
ラグビーやサッカー、クリケットのほうが紙面をにぎわせていましたw

フランスではフェンシングばかり映しやがって、体操なんて映しやしねえ。

中国では体操がたっぷり見られましたが、もちろん中国選手ばかり。次に
金メダル候補の日本人が出てきた瞬間に場面が切り替わったりしていました。
だから今回の日本での映像編集、なんだと思うのです!

前回、前々回のオリンピックは中国に滞在していたので、110mハードルの
劉翔や飛び込みの郭晶晶を何十回も見させられました…。

う~ん、私ももちろん主に日本人選手を応援するし、わからんでもないの
ですが、ナショナリズムなんかより、もっと世界のトップ・アスリートたちの
最高の闘いを放映してくれないもんですかね。沢山チャンネルあるんだし!