『ことばの用法』
言葉とはそもそも何だろう。言葉なしでは生活が成り立たないし、流通も滞る。外部への伝達手法であれば、個人のうちに留まることなく放出される《力》となり得る。
感情・意思・考えなどの伝達手段は一つの記号として同一の物を想起させるという役目を担う。同族意識にも通じる手段である。
共通の概念、不明な空白に《大砲》《女の身体》《木》という文字が描かれた作品、背景は煉瓦と暗緑色である。
煉瓦(人為/文明)と暗緑色(時空の不明)が同一画面に並置されているということは、、現代から未来への時空の変遷そのものを一括しているということかもしれない。換言すれば経験のない未知の時空である。
そこに得体の知れない空白(空虚)が領域をしめ、文字を列記している。
《大砲》破壊殺傷の兵器。
《女の身体》性、人間の連鎖/歴史。
《木》生命の木に象徴される生と死。天と地を結ぶとされる神性の通り道。
物理的現象、精神的現象を含めた人間の英知・想像。
これら言葉の用法は、果たして永続的なものだろうか。後の超未来の時空においても通じるものなのだろうか。
言葉が現在の通念を越えて、どこまでも永続的に同じ用法として通用するだろうか。言葉が実体を失い単に不明なものとして浮遊することがないとは言えない。
今、信じているもの、絶対を疑わないものに対する疑惑をマグリットは微かながら抱いている、危惧し、むしろその方向への流れを期待している節もあるのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カンパネルラはさっきから、訊こうと思ってゐたのです。
☆路(物事の筋道)の法(仏の教え)の趣(考え)は、崇(高くそびえている)。
それを尋(聞き正す)試みである。
と、わたしは、あの子にこんなふうに言ってやるのです。こんなことを何日かくりかえしていると、そのうちにため息まじりに手紙をとりあげて、届けに出かけていきますわ。けれども、これは、どうやらわたしの言葉が効を奏したからではないようなのです。またぞろ無性にお城へ行きたくなってきたんです。でも、言いつけられた任務をはたさないでは、おめおめと出かけていくわけにもいきませんからね」
☆わたしは彼に言葉をかけます。幾日もくりかえし行ったり来たりしているうち、彼は先祖の汚点の手紙(書き物)に嘆息し去ってしまうのです。けれども、わたしの言葉の効果ではなく再び死を促したようなのです。委任されたことを遂げないであえて(死へ)遂げることは出来ません。