続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三十年目にして。

2016-04-14 07:33:52 | 日常

 ラジオ体操に楽しく通っている。
 昨日の参加者は5人、手首に白いサポーターをしている人がいたので帰り道尋ねると、
「お風呂で転んだんです」と言い、お風呂を底の深いモデルから底の浅い洋式に変えたら出るときに滑って転んだという話。
「泡で洗うんですか」と、もう一人が聞くと、「いいえ、そんなことをしたらもっと転んじゃいます」などと、おしゃべりしながらの帰り道。
「では、ここで。うちは、あの桜の木の向こうです」という。

 ええっ、息子が小学生のころ一緒に通学し、よく遊んだHくんの家。お母さんは小学校の教師だということでお祖母ちゃんとはごく親しくしていたものの、お母さんという人の存在を今の今まで知らなかったので、びっくり。

「じゃぁ、Sさん?」「はい」
「わたしはハマダです」というと、彼女も「もちろんよく知っています」と、お互いにびっくり。
 三十年ぶりの顔合わせ。電話、あるいは一度くらいは直接お会いしたかもしれないけれどお互い忙しいばかりで今日までに至っている。

 息子たちが低学年だったころの幻のママ友、すっかり年を重ねた今になってラジオ体操仲間になるなんて!!


マグリット『美しい言葉』

2016-04-14 07:00:41 | 美術ノート

 『美しい言葉』
 一輪の薔薇のうえに同型の薔薇の蒸気(香り)が描かれ、そのうえに三日月があるという作品である。総じて『美しい言葉』と題している。

 たしかに薔薇は美しいものの代表であり、香りもまた香しく人の心を惹きつける。美しさの相乗効果は人の目を楽しませる魅惑的な存在である。
 これを以って『美しい言葉』であるという。
 訴えるメッセージ性は明らかに《美》の範疇にある。短くも美しく燃える薔薇の特性。

 しかし、上空の三日月は何だろう。三日月は西に傾いたときに見えるが、南中時には見ることが困難である。

 確証、証明、不動に接触するが、確証がなく、証明もできず、流動の憂き目を転落していく。
 『美しい言葉』は存在するが、その実態は幻想に過ぎない。

 在るが、無いかもしれず、無いが、在るかもしれない『美しい言葉』の真実は、人を幻惑させ、誘因の香りを漂わせている。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』281。

2016-04-14 06:51:12 | 宮沢賢治

私は大学へはひってゐて、家庭教師にやとはれてゐたのです。ところがちゃうど十二日目、今日か昨日のあたりです、


☆死の題(テーマ)を合わせた果(結末)の態(ありさま)は、胸(心の中)の詞(ことば)で自由に字を課(割り当てている)。
 黙した魂の日(太陽)を作る実(内容)である。


『城』2286。

2016-04-14 06:32:19 | カフカ覚書

さて、いよいよ出かける支度がととのい、アマーリアがわたしとむかいあって立ち。みんながあの子の美しさに眼を見はっていますと、父は、〈さあ、わしの言葉をよくおぼえておくがよい、きょうアマーリアは、婿さんを見つけるぞ〉と言いました。そのとき、わたしは、どうしてそうしたのか自分でもわからないのですが、自分の誇りであるネックレスを外して、アマーリアの首にかけてやったのです。ねたましいという気持ちなど、もうこれっぽっちもありませんでした。


☆しかしながら、わたしたちみんなは感嘆し、承認したのです。
 父(先祖)はきょうはアマーリア(マリア/伝説)は新郎を迎えるぞ、と言いました。
 そのときわたしはその恐ろしい縁に、高慢さを捨て、アマーリアに愛着を感じました。まるで全然嫉妬なんかありませんでした。